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信じて任せること

最近、不安や孤独を感じる人の多さに驚いている。

コロナでも、コロナでなくても。

頑張ったことを、頑張ってきたことを認めてほしい。

上司から、頑張っていると評価してほしい。

部下に、自分がどれだけ我慢して、我慢して、頑張ってきたか認めてほしい。

世間から、認めてほしい。

背景は、人それぞれあるのかもしれないけれど、そのことを、自分に許している人は、そんなに多くない気がしている。

自分に許していない人達が、不安や孤独を発露した人の存在を知ったときの

当たり、バッシング、蔑みが…

辛辣。

そこまで言うの?
そんなに批判するようなこと?
存在すら否定していない?


自分はこんなに我慢してきたのに、やすやすと楽な方向にいきやがって。
我慢しない奴なんて、受け入れられない。
受け入れてたまるか。

そんな声が聞こえてきそう。

時代の流れは、自由な方向に、形のない方向にいっていて、その流れはどんどん早くなっていくのだと思う。

とても我慢をして頑張ってきた人たちは、案外ピュアで、優しい。
頑張り屋さんが多い気がする。

そんな人たちが、
ほんの少しでも、頑張ってきた自分を受け取って、許して、褒めて欲しかった自分を褒めて、ねぎらっていけたら、

少し、世界は和らぐんじゃないかな。

かといって、無理に希望を作り出すことは、なんか違う気がする。

希望はそれぞれの中に、ちゃんとある。

わざわざ作り出して与えることは、きっと、
相手の存在を認めず、力を奪っていくことになるんじゃないかな。

どれだけその人を信じて、任せられるか。

それが大切なのかも知れない。

かくいう私も、

どれだけ人をコントロールすることなく、

ひいては自分自身をコントロールすることなく、

どれだけ信じて、
任せられるかが、

大切なテーマになっているのですが…。

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