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背景を識ることは交流すること

熱い日が続いていますね。

オリンピックでも、熱い試合が繰り広げられ、さまざま選手の活躍が見られます。

初めて採用された卓球の混合ダブルスでは、世界王者の中国に勝ち、日本の選手が見事金メダルを獲得しました。

同じく初採用のスケートボードも、若い選手が躍動。

柔道では、兄妹が揃って優勝をし、ソフトボールもアメリカを破って金メダルでしたね。

単純に、日本人として、同じ国の選手が活躍している姿を見るのは、嬉しく、勇気づけられます。

もちろん、メダルに届かなかったり、予選で敗退したりした選手も、もっと言えば、オリンピックの代表に選ばれなかった選手たちも含めて、選手みなさんの勇姿は、見ている人にエネルギーを届けてくれています。


そんなオリンピックを観戦する中で、私がひときわ心を震わせるものがありました。

それは、
それぞれの選手の、

オリンピックに出場していることの
試合会場に立っていることの
その試合に懸けていることの

その奥にある、人とのつながり、背景を識ったとき、私は、涙が溢れ出します。


人は、その瞬間に見えている姿を、その人そのものだと思うことが多いように感じます。

でも、オリンピック選手でなくても、人は、"今"に至る、それぞれの背景、ルーツを持ってます。

表面に出てきている姿の奥にある、人とのつながりや背景に触れたとき、人は、共感し、心を震わせ、涙する。

感動する。

なぜだろう?

そう自分に問いかけると、出てきたものは、

自分の内側との共鳴

という感覚でした。


人は、それぞれの人生を送り、それぞれの背景を持っています。

その背景には、喜びもあれば、

悲しみ

怒り

苦しみ

挫折

などなど、さまざまな感情や体験が積み重なっていると思うんです。

それは、みんな同じ、もちろんオリンピック選手も同じだと思うんですよね。

仲のいい友達でも、自分の人生の背景を全て晒すことはなかなかない。

でも、オリンピック選手など、テレビや新聞、インターネットなどに取り上げられる人は、取材などを通じて、その一部が明らかにされていく。

全てかどうかは分からないし、それが、メディアによって意図的に変容されたり、劇化されていたりすることはあるのかも知れない。

だけど、その人の背景の一部を垣間見ることはできる。

私たちと同じ、喜びや悲しみ、怒り、挫折、そして人とのつながりなんかもある。

そこに、私たちは自分の人生の背景を重ね合わせ、共感し、

重ね合わせた背景を持つ選手たちが、

オリンピックという世界の舞台で躍動するのをみて、

活躍する選手たちにも私たちと同じような感情や人とのつながりを伴う背景があることを識り、

感動する。

そんな流れがあるのかも知れません。


その背景を共感し、涙することで、

ひょっとしたら…

自分の内側に積み重なっていたさまざまな感情が露わになり、

少しずつ、昇華することにつながるのかもしれません。


実は、選手たちも、取材に応じ、その背景をオーブンにしていくことで、

そして、そこに人が共感していくことで、その選手の内側に積み重なったものも、パワフルに昇華されていく。

そんなことも、あるのかも知れません。

これは、なかなか目には見えにくいけれど、

人と人との交流

エネルギーのやりとりではないかなと、

私は思うんです。

それぞれが、自分の内側にあるエネルギーを受け取れたり、交流することによぅて無意識にエネルギーの交流が起きる。

だからきっと、頑張っている人の背景を識ることで、人は感動し、

また頑張ろう!

って、お互いに言えるのかも知れません。


もちろん、ここまでお伝えしてきたお話は、オリンピックやその選手に限ったことではないと思います。

メディアが取り上げられる人たちは、元々持っているエネルギーが強いと思うので、自ずと人の関心が集まり、共感の輪を広げる力も持っている。

でも、私たちのような普通の人にも、そのエネルギーはあるし、触れ合う人の背景を識っていくことで、共感が生まれ、交流、エネルギーのやりとりが生まれていくのかも知れません。

これって、すごいことですよね。

何でもかんでも晒すことはできないかも知れないけれど、

私たちも何か、自分の背景やルーツを人に伝えたりしていくと、

そこに交流が生まれるかも知れませんね。



私も、やってみようと思います。

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