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#40:自分で不快を作り、自分で迷路を作り、自分で抜け出そうと努力する「無意味な自分ゲーム」

🍀本日のテーマ🍀

【「不快感に苛まれたくない」というゴールにたどり着くための、「全てを諦める」という道】

🔶ハイライト🔶

🔹気になることがない人はいない。度合いが問題になる。

🔹不快感に対する反応・行動を調整していくことは必須。

🔹「考えすぎない」という点、それはもうわかっている。

🔹「全てを諦める」という考え方は「ゴール」につながる一つの道。
(不快感に苛まれないようになりたい)

🔹出来事=不快ではない。不快感を作っているのは自分。

🔹不安を「何とかしようとする」ことを諦めるということ。

#強迫性障害



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本日は上記のテーマでお話ししていきたいと思います。

皆さんは「どうしても気になって仕方ないこと」ってありますか?

それを確認したり、それをしないと気が済まないといった癖みたいなものとか。

まさに強迫行為という悪癖につながるような不快感ってやつです。

それは人それぞれ違うだろうし、
全く一切気になるものがないって人もいないでしょう。

強度というか度合いの問題だと思います。

多少気にしても10秒後はもう気にしていない人もいれば、
その不快感に一日中囚われる人もいる。

身体が元気でも、精神が疲弊していては、健全ではないです。

となると、この不快感に対する自分の反応、行動は上手に調整していくことが
人生には必須
と言えますよね。

そしてこれだけのことが人生ひっくり返るくらいインパクトがあると思っています。

結局人生生きていれば不快感を避けることはできないですよね。

その不快感をその時だけ何とかやり過ごせたとしても、
次の日にまたやってくる、そして繰り返す。

それはきっと当人も苦しさを感じるはずです。

生きるって辛いことってなっちゃっても不思議ではない。

その一方で生きることが楽しいと、毎日活力に溢れている人間もいる。

同じ人間ですから、なるようにしてそうなっているはずです。
何か理由がそこにある。

その一つは、「考えすぎない」という点。

基本的に悩めば悩むほど精神的に落ち込みますよね。

つまり考えすぎているということになる。

それは気にしすぎない、心配しすぎないということにも繋がりますよね。

でもそれはみんなわかっている。

それがわかっていてできないから困っている

どうしてできないのか、その理由もわかっている。

脳の中でエラーが起きているんだと。

どうしたらいいのか、それが1番知りたいところですよね。

結論はシンプル、「全てを諦める」ということ。

もちろん、どうすればいいかに関してはたくさんのアプローチが存在している。

プロセスもたくさんなるし、複雑なテクニックもある。

でも唯一シンプルで間違いないのは、ゴールとして、「不快感に苛まれないようになりたい」という思いだと思います。
その結論は揺るがない。

道がたくさんあってもその先のゴールは一つ。

そして人それぞれ得意な道や苦手な道があって、
道に優劣をつけたり是非を問うのは無意味で、最短ルートもない。

複雑になればなるほど混乱する。

だから今日は一つ、シンプルにゴールへ向かう気づきとして、共有したいと思ったのが
全てを諦める」ということです。

何をいってるの?ってなるかもしれません。

全てを諦めるというのはどういう意味か。

皆さん、思い返して欲しいです。

不快感を感じた時、その不快感が生じる理由って何だと思いますか。

相手が悪口を言ったから?
自分だけハズレくじを引いたから?
運が悪くて酷い目にあったから?
心配事がたくさんあるから?
気にしすぎだから?

もちろん強迫観念も。

冷静に考えると誰もが気づけることなんですが、
その出来事自体が「不快」な出来事ではないということ。

つまりその出来事に対してする自分の解釈や判断、思考が「不快」にしてしまう。

そしてその作り上げた不快に対して抵抗したり執着したり、余計な行動を起こす

出来事や不快感を感じるに至った理由はさておき、往々にしてこの流れが起きている。

つまり、自分で問題を作って、自分でその問題を解決しようと、
自分ゲームをプレイし出している
のです。

それに何の意味があるのか。

ゼロから作っては作ったものに対処しゼロに戻り、それを繰り返す。

そこに何か自分の生きたい人生に必要なものがあるのだろうか。

きっとないのではないだろうか。

感情を落ち着けたいとか、気持ちを穏やかにしたいとか、問題解決したいとか、
それは誰もが思うところだと思います。

ただ、そもそもその行為が必要ないことだったとしたら。

とんだ勘違いで取り越し苦労だったら。

それは「頭の中に棲みつく悪い虫のしわざ」だとしたら。

そう、そこで「全てを諦める」というわけです。

シンプルにこれはゴールにつながっています。

ゴールは「不快感に苛まれたくない」でした。

つまり強迫観念に対し強迫行為をしないと言ったようなこと。

全てを諦める、要するに強迫観念に対して抵抗することを諦める。

不快を感じたその出来事に対する解釈を諦める、判断をしない。

考えないし気にすることを諦める、抵抗することを諦めるということ
です。

それ自体がとても不安を感じることでしょう、慣れてないですから。

普段確認しまくっていたことがあったとして、
それを一回だけにするとか。

それでもきっと不安でしょう。

でもその不安を何とかすることを諦めるのです。

ないものはない。

考えなければそれは存在しないも同然です。

なので存在を諦める。

とても不安だけど、その不安から逃れようとすることすら諦めるのです。

結果だけを見ればそれはつまり、
強迫観念が起きても強迫行為をしない」ということになりますよね。

ゴールにたどり着くための一つの道として、
この「全てを諦める」という気づきはアイテムボックスにしまっておいていいかもしれません。

本日はこの辺で終わりにしたいと思います。

本日も読んでいただいてありがとうございました!

ではまた次回⭐︎

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