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#41:誰もが悩んだことがある「この苦しみさえなかったら」は絶望ではなく希望。

🍀本日のテーマ🍀

【「この苦しみさえなかったら」と考えられる時点でその苦しみは武器である】

🔶全体とハイライト🔶

🔹誰もが考える「この苦しみさえなかったら」

🔹その苦しみに悩まされなくなったら起きるメリットについて考える

🔹わかっていてやらなかった後悔ほど大きいものはない

🔹今気づいたなら今が人生最大の分岐点

🔹シンプルで些細な気づき一つがもたらす人生へのインパクト

🔸人生の壁はあるべくしてあり越えるためにある
(辛さが幸せの種)

🔸「この苦しみさえなかったら」の深み
(苦しみを知っていて初めて苦しみがなかったらと考えれる)

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本日もお疲れ様です、りあけんです!
本日は上記のテーマでお話ししていきます。

皆さん考えたことはないでしょうか。

この苦しみさえなかったら」と言ったようなこと。

自分の中の「こんなところさえなければ」と言ったことってきっとありますよね。

その代表例と言えるのが「強迫性障害」。

では「もし強迫性障害に苛まれることから解放されたら」。

強迫観念といったしつこく、そして消えない繰り返される不快な考え。

もしこれに悩まされなくなったとしたら、人生どうなると思いますか。

そのメリットをざっとあげるとするなら、



✔︎やりたいと思っていたことに挑戦する

✔︎億劫で腰が重かったけど、動きが軽やかになる

✔︎人が止まる必要のない場面で、止まらないで前に進める

✔︎気になったことを放置できるようになる

✔︎作業に集中できる、好きなことに没頭できる

✔︎会いたい人に会う回数が増える

✔︎心に余裕ができて人に優しくできる

✔︎本当に思っていることを話せるようになる

✔︎精神的な余裕はその他の悪癖へ対処するためのエネルギーとなる

✔︎意欲が向上し、自己成長につながる行動を増やせる

✔︎知識が増え、経験が増える

✔︎将来感じるであろう後悔を減らせる

✔︎二度と手に入らない今という時間を大事に過ごせる



などなど挙げ出したらキリがないくらいありますね。

これらのメリットがあることはみんな薄々はわかっている。

でもこれほどまでの好転要素があるとわかっているのに、変われない。

それほど恐ろしい(強迫性障害)とも言えます。

ですが、それほどもったいないとも言えるのです。

わかっていてやらなかった後悔ほど大きいものはないと思います。

こうしていればこうなっていたのに、なぜ自分はできなかったのだと。

失ってしまった時間はどんなに嘆き悔やんでも戻ることはない。

人生にはセーブ機能もリハーサルもない。

今気づいたなら今が人生最大の分岐点ということになります。

本日の気づきはシンプルなもので、
この苦しみがもしなかったら」と考えるというだけのものです。

ですが、気づきがもたらすインパクトは侮れないものです。

そんな些細な気づきが人生を変えることがある。

ゲームでは敵は強ければ強いほど倒した時の喜びは大きい。

山は高ければ高いほうが登った時の景色が美しい。

もし抱えている苦しみがつらければ辛いほど、乗り越えた時の喜びも大きいのです。

その壁はあるべくしてそこにあって、乗り越えるためにある

その旅が自分をより豊かなものにしてその人生をより幸せなものにしてくれる。

辛さこそ幸せの種とも言える。

何か達成感や満足感を感じる時は、その前にめんどくさいことや苦痛が伴うものです。

一生懸命時間と労力をかけて作った料理の方がカップ麺より美味しいもの。

ヘリコプターで山頂に登っても登山の喜びは味わえない。

今自分に与えられた苦しみこそ自分の幸せに必要なものと考えることができる。

この苦しみがもしなかったら

これはなかなか深くて、
もし苦しみを味わっていなかったらそれはつまり、
それがなかったらどんなにいいか、というメリットや成長すらないということ。

その苦しみがあってこそのその苦しみから解放されて得られる喜びということになる。

なら、その苦しみが自分の強みになると言えるのではないでしょうか。

この苦しみがなかったらと思えるのは、その苦しみがある人だけと言えますね。

本当にその苦しみがない人に、その苦しみを味わったことがない人に、
その苦しみがないありがたみがわかるはずがない
のですから。

本日はこれで終わりにしたいと思います!

本日の気づきが何かにつながれば嬉しいです。

それではまた次回⭐︎

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