推し神様
好きなもの、大切なものって、クソだと思いませんか?
よく、テレビとか漫画とかで、家族とか大切な人を人質にとってるシーン。大切なものを作るのがいけないんじゃん、とか思ってました。
大切なものを作るとういことは、自分が弱くなっていくということなんですよ。
そんな、私でも大切なものがありました。
私、学生時代、陸上部でした。ずっと陸上をやりたかったのですが、田舎の学校だったので、陸上部がありませんでした。だから、念願のようやく叶った陸上競技。嬉しくてたまりませんでした。
足が遅いなりに頑張って、県大会に出て、それなりの満足感がありました。寝ても覚めても陸上のことを考えて、陸上に捧げました。自己満足でしたが、毎日、充実感に溢れていました。
でも、時々、喧嘩したり上手くいかないことがあると言われるんです。大人から。
「じゃあ、陸上やめれば?」
「陸上なんて辞めさせるからね。」
「明日から部活に行くな。」
あぁ、ずるいなぁ、と思いました。力のない子供の好きなものや頑張ってることを、たったの一言で取り上げられる大人って。言うことを聞かせるための脅迫の材料にするなんて。
陸上を取り上げられるから悲しかったのではなくて、その度に痛感する自分の弱さや無力さが、悔しくて悔しくてたまらなくて、声もあげられず涙だけがボロボロ出てきました。
どうせ、取り上げられるなら何も好きにならなければいいや、大切なものを作らなければいいや、毎日を死んだように生きればいいや、と、思いました。
感情なんてゴミだ、と思いました。好きという感情が無くなれば、大人から脅されない、と思いました。
そこから、何をしても何を見ても心が動かなくなりました。停止された世界に住んでいる私を避けるように、行き交う人の流れや進む時間、動き続ける社会。見たくありませんでした。
それなのに、出会ってしまったのです。厄介な「推し」というやつに。
クラスメイトが、男子アイドルに騒いでいるのを横目で眺めていた学生時代。このまま終わるんだな、と、思っていたのに。
「推し」ができても、隠れて動画を見てました。自分だけが、ひっそりと隠れて推してれば良かった。どうせ、取り上げられるだけだから。私の大切なものとして、私の感情とともに、隠れて推すことにしました。
でも、ある日、散歩中に夫に言ってしまったのです。「生歌、聞いてみたいんだよね。」言った後に、あぁ、しまった。って思いました。大切なものをもう取られたくなかったから。
そうしたら、夫は何も言わずにスマホを取り出し、ファンクラブに入会をしました。そのまま、全てのライブに申し込んでくれました。後日、ライブが当選をしたことを知りました。
ライブに当選したことよりも、自分の好きなものを大切なものを「推し」を好きでいて良いんだ、ということを知りました。その時、その瞬間、私は生まれて初めて、安全で安心できる場所を手に入れた気がします。私の「推し」が運んでくれたのは、私の唯一の居場所でした。
今日は3回目のライブ参戦。今は電車の中で、前に座っている小学生ぐらいの女の子も同じグッズをつけています。隣にはお母さん。
どうか、この子も好きなものが好きでいられる人生を送って貰いたいです。