うつろびともひとがたも、みんな友達
新しい仕事が決まった。不安が色々あるし、いつまで続けられるのだろうか、なんて、始める前から考えている駄目な俺いつもの俺。でも、やらねば生活が終わるんだよなーとりあえずあまり暗いことばかり考えるのは止めよう。
そういう風な考えがいい、とおもってはいても、東京の今の状況がとても悪く、これが改善されるということは考えにくいから、ちょくちょく具合が悪くなる。
てなことを、ここ数ヶ月書き続けている。自由に、ふらりと外に出られない、何かのイベントや美術館とかに行けないってことがこんなにもストレスになるんだって、前までは気づかなかった。嫌なことに底なんてない。元気がないのは通常のことだけれど、そこばかり見るの、止めなきゃな。って、止めるのは無理だと思う。だから、別のことを考える時間を。何かを読む、作る時間を。
久しぶりに次の小説を書くアイデアが浮かんできた。色々資料やら幻想の肉付けやら骨組みやらをぼやぼや考えていきたい。作り上げたものが何にもならなくても、俺は俺の小説が好き。そんな小さな幸福で生きていられるんだ、案外。そういうことにして。
雑記。ここに書いていないのも読んでいることを思うと、本、結構読んでるなあ、俺。
岩合光昭『ネコを撮る』読む。動物写真を撮るのが抜群に上手い著者による、ネコとの対話記録。技法的なことも書いてあるが、それよりもシンプルな話、猫の性格や生態を知ろうとする、街を歩く、猫の生活に入り込む。構図も重要だが、被写体への理解と、忍耐、楽しみが伝わる本。猫を尊重しているのだ。
生田耕作訳 マンディアルグ短編集『燠火』再読。悪夢から覚めても別の悪夢。淫靡と嗜虐に糖衣を纏わせ、わりと読みやすいのにおぞましく、素晴らしい短編集。宝飾や少女や怪奇に眼を奪われていると、いつの間にか無数の刃で貫かれているのだ。悪鬼を育む幸福。
ぱっと見て惹かれ、中身も知らずに購入した『モダン図案 明治・大正・昭和のコスメチックデザイン』がとても良かった。舶来品への憧れや日本独自の浮世絵や叙情画により生まれた、懐かしさと品のあるデザイン。くすんだ硝子瓶や痛んだパッケージすら愛おしい。宝石箱を集めたような一冊。
昔の化粧品、ってとても惹かれる。自分で使いたいというわけではなく、「きれい」や「あこがれ」といった、美に対する夢がつまっている感じがとても好きだ。単に硝子瓶が好きなのも大きいけど。デザインに花が多いのも俺的には好きなポイント。
ロオデンバッハ『墳墓』読む。短い散文と、『死都ブリュージュ』等を手掛かりとした著者の評論。何故彼はこんなにも墓や死に固執し美しく飾るのだろうか。愛の幻想を留める為なのか。彼は死を嘆きながらも恐れてはいないのか
「すべては虚偽と無益となる中に唯「死」のみは真実なのである」
ロジェ・ヴァディム脚本『恋するレオタード』見る。バルドーと親友の少女はウィーンの声楽学校に通う。そこの音楽教師のジャン・マレーに二人は恋してしまうが、彼は別居中の妻帯者で浮気者。愛に振り回される、二人の少女の成長を描く。若いバルドーが妖精のようなかわいさ!親友やマレーも魅力的。
邦題からセクシーなラブコメと思いきや、愛が大切な少女の成長物語になっていて楽しめた。バルドーとは対照的な親友の女の子(清楚でかわいらしい)にもスポットライトが当たっているし。
小川三夫『棟梁』読む。徒弟制度、共同生活を送る宮大工の半生とその言葉。エゴの塊の表現者ではなく、集団で1つの物を作る職人の言葉。
木は一本一本違うし、人も一人一人違う
言葉で教えられないから弟子に入ってくる。
人は育てることはできないが、環境さえ準備してやれば学び育っていきます
俺は集団生活とか子弟制度とか無理だけど、職人の人に憧れというか敬意を持っている。同じこと(のように素人には見える)を繰り返し行う人って、やっぱ好きだ。芸術家という名前のエゴイストに比べて、職人は与えられた仕事を全力でこなすぜって感じがカッコイイ。芸術家も、一部はすごく好き。
原作 マンディアルグ 挿絵 オーブレー・ビアズレー 翻訳 生田耕作『ビアズレーの墓』再読。怪しげな帳の中を覗けば、残虐と豪奢、奇怪と乱痴気。数多の宝石が輝き、弾け、滅する。サディスティックな饗宴の当事者になるのは、おぞましくも豊かだ。
「罪のない快楽はわたしの好みにあいません」
『コオリオニ 上巻』と『悪魔を憐れむ歌 4巻』、主人公(たち)が暗闇の中をバイクで走るシーンがある。どちらも見開きで、暗闇の中、バイクは光の尾を放ちながら進んでいる。とても美しいのだ。電子版の良さもあるけれど、ページを開いたら暗闇(見開き)で、主人公が一瞬光になるなんて、辛くて綺麗だ
見開きの感動って、漫画を読む幸福の一つだと思う。特にコオリオニで佐伯さんがバイクに乗るシーン、好きすぎる。というか、コオリオニは本当に好きで、一時期毎日読んでた位。作者の梶本レイカが今も制作を続けていると言うのは、読者としてはとても暖かく有難いことだ。
プロでもそうでなくても、何年も何十年も続けるって、困難で素敵なことだ。
市川雷蔵主演『妖僧』見る。厳しい山嶽仏教の修行に耐えた道鏡は、法術を得る。そして女帝の病を治し、二人は恋仲になるが……
僧侶と女性天皇の(禁じられた)恋ということで、芝居の動きや言葉は抑えられ、落ち着いた画面が多い。モノクロの映像も合っている。長髪に髭の雷蔵が新鮮!
市川雷蔵好きだけど、俺はチャンバラ映画が好きではない……途中で必ず飽きてしまう……なので、彼の出演作はあまり見られていない。ちょいちょい、見ていきたいとは思っているけど。
『パリの小さな美術館』読む。美術館というのは、どこも素晴らしいと思う。邸宅や修道院を改装したとか大好き。特にギュスターヴ・モローが自邸を公開したのは見てみたい。習作や未完成品もあり、若き芸術家に全てを見せたかったらしい。誰かの作品に想いを馳せる時間は、豊かなものだ。
ロジェ・グルニエ『写真の秘密』読む。戦場や報道に身を置いた作家、カメラと共に歩んだ人生と写真。スーザン・ソンタグ、ダイアン・アーバス、ボードレール、ナダール、ウィージー他の発言。作家や芸術家にとっての写真という神秘、発明について語られており、読み口は軽やかだが、読み応え抜群! 以下引用。
15p スーザン・ソンタグの考えでは、「写真は、愛する存在やモノを、もっとも単純なかたちで、置換によって所有することを可能にしてくれるのであり、この所有行為が、写真に、唯一のモノのいくつかの性質を帯びさせる」という。
69p(ウィージーが)「三流の新聞雑誌にとっては、殺人犯の女たちが美形で、見た目がいいことが大事なんだ」というのだ。ウィージーにとっての飯の種である、ニューヨークの歩道で殺されたギャング連中について、彼はこう告白している。
「ときには、あまり画面に血を見せないようにと、レンブラント風に、横からの光を使って撮影していたんだ」
76p 写真撮影が不可能な場合もあるものの、そんなときでも、ちょっとしたテクニックで、泣き悲しんでいる一家に一枚撮ってくれるように頼むことだってできた。
マグナムの有力メンバーであるインゲ・モラスは、「やましさなしに写真を撮れるということが、わたしにはわからなかった」と告白している。
彼女はマグナムが好きで、50年代のことを、なつかしさをこめてこう述懐している。「あれは、すべてが芸術になる前の、報道カメラマンであることが幸福に感じられる時代だったのです」
132p ナダールは、だれもがそんなふうに「芸術家」になれるはずがないと、はっきりわかっていたのだ。
「写真の理論など、一時間で覚えられる。写真の基礎知識も、一日あれば学ぶことができる。学ぶことができないのは、光の感覚であり、さまざまに組み合わされた光によって生み出される効果を、芸術的に判断することなのだ。またもっと習うのがむずかしいのは、対象を精神的に理解することであり、モデルと一体になるための機転や気働きなのである。そうしたものを学んではじめて、暗室の最低の奉仕者にも手が届くような、乱暴かつ行き当たりばったりに撮った、無頓着そのものの造形的な複製(ルプロデュクシオン)などではなく、もっとも親しみにあふれ、好意にみちた、親密なる似姿(ルサンブランス)が得られるのである」
この本は新聞社に勤めていたカメラ好きの(専業カメラマンではない)作家の、写真に対するエッセイ・評論で、とても面白かった。読みやすい平易で冷静な文章と共に、様々な人の写真観、美学について触れることができるから。
インゲ・モラス「やましさなしに写真を撮れるということが、わたしにはわからなかった」って言葉、好きだな。でも、写真は、報道写真は、求められてしまうんだ。
でも、何よりも美しいか胸に来るかってのが一番だ。写真の曖昧な立ち位置は、俺を戸惑わせて魅惑する。
数十年ぶりに、『たこをあげるひとまねこざる』を読む。めっちゃ面白い。好奇心旺盛で、何でもまねっこをしてしまうジョージは、ウサギを家から出したり、ケーキをエサに釣りをしたり、タコに乗って飛ばされたり。めくるめく展開が飽きさせない。他のシリーズも読み直したくなった。
祝 真・女神転生5発売記念で、真・女神転生2再プレイする。メガテンや派生シリーズ全部好きだけど、初期メガテンのディストピア感絶望感狂おしいほど好き。たしか悪魔絵師金子は、女性キャラでは真2のベスが一番好きって言ってた。自分「メシア」のために生み出された戦闘美少女。胸キュン。
ロジェ・グルニエ『夜の寓話』読む。戦争を経験した新聞記者である著者の、私小説のような短編集。或いは、フィクションを元に「記事」として再構築した感がある。脱走兵や焼身自殺等ショッキングな題材もあるが、あくまで筆致は淡々としている。記者の眼差しで記録された記事。少しの感傷とユーモア。
渋谷Bunkamuraギャラリーの壁に、世界こども図画コンテストの絵が展示されていた。こどもの絵って見ていて楽しいな。思ったものを、どばーってカンバス(白い紙)にぶつける感じがする。エネルギーと自由さ。きっと、描いてる子供も、楽しくって仕方が無いんだろうな
海野弘 監修『北欧の挿絵とおとぎ話の世界』読む。雪に閉ざされ、日照時間が短い白の世界。北欧神話はキリスト教化によって異端と見なされ消えていった。しかし、おとぎ話は19世紀半ばから注目され、再生される。美しい絵や温かみのある絵が沢山収められた、幸福な一冊。
ルネ・ドマール著 建石修志 画『空虚人と苦薔薇の物語』読む。著者が死んでしまった為未完になった、至高の頂を目指す『類推の山』の話中話。不思議な双子とうつろびとの幻想譚。未完の為、決して辿り着けない『類推の山』の不可侵さと、奇妙で美しい調和を見せる。建石の画も題材にぴったりで素敵
巖谷國士 著 宇野亜喜良 絵『幻想植物園 花と木の話』読む。身近な植物や記憶の中のそれらを、暖かな眼差しで綴る。宇野の挿絵も可愛らしい。霞草は、英語ではベイビーズ・ブレスだって。かわいい。ベルニーニのアポロンとダフネは、小さなモノクロ写真でも伝わる迫力!本物が見たい。
ロジェ・ヴァディム監督『バーバレラ』見る。高校生の時に小西康陽のコラムで知って、見たいなと思いつつ、十数年! 期待通りのアホエロsfだった。ジェーン・フォンダの健康的なセクシーさが全て、と思いきや、背景や映像もサイケデリックだったり昔のsfの手作り未来感がある、奇妙な魅力の作品。
泉鏡花 著 中川学 絵『絵本 化鳥』読む。若い子にも泉鏡花の世界を、ということで、絵本に原文もある豪華な一冊。動植物の尊さ美しさを知る少年と、優しい母親の幻想的な話。日常を感受性の眼で拡大する少年。著者に重ねて見えてしまう。最後の文章は、優しく切ない。幻を信じるには愛が必要なのか
東雅夫 編『澁澤龍彦玉手匣』読む。テーマに沿って澁澤の短いエッセイを集めたアンソロジー。澁澤は仕事が多く、書き散らしたような物も見受けられるのだが、この本に収められているのは、ペダンチックでディレッタントで己惚れ屋で愛らしいドラコニア、王子様の姿。編者の愛と敬意を感じる一冊。
寝転がっておなかにカワウソぬいぐるみ置きながら本読むの幸せ。
本物触りたくて、カワウソカフェ検索したらあった。かわいい。でも、カワウソは不特定多数に撫でられてストレスにならないのか?と思うと行けない……(動物カフェを否定したいわけではない)あー動物撫でたい……
泉鏡花やマンディアルグやボルヘスとか最近わりと読んでいるかもしれない。幻想文学、というジャンルがあるとして、それらの素晴らしい作品はどれもしっかりとした骨子がある。また、何よりも愛やフェティッシュや執着が必要なんだなって分かる。
一人で鬱々として、元気を出してなんとか本を読む、なんて生活だと、元々朧げな愛をすぐに忘れてしまう。本の中でも人形でも人間でも、愛をオブセッションを忘れないようにしなくっちゃ。
好きな物を好きだっていってないと、忘れてしまうからどうでもよくなってしまうから。幸福な時間の為には、誰かを好きでいなければって、何度も思う忘れる思い出す。
生活費、及び返済に充てます。生活を立て直そうと思っています。