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甲状腺がん切除温存派

甲状腺がんはなってみて調べるとあまり情報が多くないと感じ、綴ろうと思いました。

お風呂に入るエネルギーがない、何もする気が起きない・自然とずっとボーっと座ってるなどは甲状腺の機能の低下の入り口なのではないかと個人的には思います。


動けない…


産後8か月の夏、身体にとても疲労感があり、実家の母に助けを求めたら、「病院に行ってきな!」と半ば無理矢理通院。

血液検査の結果、甲状腺の値が低いとのことで紹介状を書いてもらい、表参道に通院。

ここは母も通院してたところで、弟の産後3人でこの病院に来たことを思い出した。


悪性とわかるまで

エコー検査まで経て、内科の初診。

橋本病とバセドウ病の数値がミックスされた状態と言われ、診断結果がはっきりとわからなかった。
その後外科へ。触針を言われる。


1ヶ月後の再診で、悪性と言われ精密検査。

まだ子どもが1歳未満で授乳中だったので、検査後何時間は授乳できず、簡単なことではなかった。


甲状腺の左側に「意義不明」の腫瘍があり、リンパ節は悪性との結果。

1回目の説明は、説明になっておらず、全然わからなかった。

2回目の説明で甲状腺の全摘出を言われる。

左側が該当なので「全部ですか?」と聞いたところ「転移してたら」と言われ、当時無知な私はそれ以上聞かず、説明だけを聞いた。


終わるやいなや自然食品友達に「全摘出だってよ!一生薬服用だってよ」とメッセージしたら「セカンドに行け」と言われ、少し目が覚めた。


不安の溝にはまる

一生薬を服用するのはおばあちゃんになってからと思っていた。

しかもまだ授乳中。いくら問題ないと言われてもどうなんだろう。

私、がんなのか?

死ぬのか?子どもはどうなるんだ。

一気に不安の洪水が押し寄せてきた。


不安になるのは知らないから。

自分のできる範囲で調べ始めた。

また、加入してる保険屋さんは知り合いなので、連絡。保険屋のセカンドオピニオンサービスを紹介してくれた。


まず調べた結果、甲状腺の機能低下は産後無痛性機能低下症ではないかと自己判断。

橋本病のような症状だが、血液検査では数値の動きが橋本病と反対の値があるという。そして、産後個人差はあるが治っていくという。


甲状腺がんは他のがんと違い、若ければ進行性が遅いこと、また低危険度のがんというものがあることを知った。

保険屋のセカンドオピニオンサービスで上げてもらった病院のホームページを一つずつ確認したところ、有明にある病院のページに釘付けになった。

「温存するやり方をしてます」


この病院に行ってみたい

手続きをし、セカンドオピニオンを受け、結果として、

2つ目の病院で手術を受けた。



後悔はない。

甲状腺の機能が低下してエネルギーがなく、産後メンタルが安定しなかったが、

納得できる手術をしたい一心だった。


またがんと言われると早く手術しなきゃと焦る気持ちとも闘った。

調べるのにもエネルギーはいるし、自分で1から道を切り開いていく大変さをとても感じた。


セカンドオピニオンに変える大変さ


そしてセカンドの病院に乗り換えるのは大変だった。1つ目の病院が陰気くさく感じられるほどだった。電話のたびに保留で長く待たされ、電話を切った後はいつも私の鼻息が荒かった笑。

それでも病院か!と大分気を悪くしたが、病院も経営がかかってると今は思える。

そういう事務手続きで感じたネガティブな部分も引っ括めて、病院を変えて良かったと思う。


身体は辛いのに自分で探さなきゃいけない。

これは病人には本当に酷なことだと思う。


手術自体は医師に任せるしかない。

この病院にしようと決めた時、目の前のこの医師に切ってもらうと決めた時、「この人がもしかして手術が下手だったとしても、この人にやってもらおう」と思った。


術後の辛いこと

手術の間は全身麻酔で寝てるので何ともならない。その後の12時間程の寝っぱなしが辛かった。腰、肩周りが辛い。看護師からは動かないでと言われるので余計辛い。


術後2日間はリンパ液が漏れないようにと首にチューブが埋まり、液を受ける容器と繋がってるのでそれも痛いし、不便だし、不快。

2日目の朝の診察で「もうチューブは取れますか?」と半ばお願いしてしまった。



首に埋まるチューブ。リンパ液が出てる。


チューブが取れれば快適そのもの。

ただ帰宅してからもそうだが、身体は手術でダメージを受けてる。首が凝る、調子が良くない、エネルギーがでないのは1ヶ月くらいあったかな。


Kindleで事前に知れたけど、術後2ヶ月くらいは重いものが持てない、喉が詰まるという症状がありました。


術後5ヶ月も経つと普通に生活できます。


勿論個人差はあると思います。


甲状腺がんは恐らく一生病院と付き合っていく

術後の説明でもがんは低危険度のものだったと言われ、今後は死ぬまで定期的に通院となるでしょうが、あの病院に行くなら納得の上。入院の際、将来お世話になるだろう医師にも診察をしてもらいましたが、大丈夫そうと思えました。


振り返れば、9年前に心労が重なった時、会社に行けなくなった。一人暮らしで何するわけでもなく、約1週間お風呂にも入らなかった(イボができた)。動けなかった。

この時、私の甲状腺の機能は低下してただろうと思う。その当時は分からなかった。

もっと前を思い出せば、20代に仕事を頑張っている時に身体が重くて辛い時が何度もあった。あの時もそうだったかもしれない。


現在甲状腺の患者は増えていると言われている。


あの時の自分に伝えたい。

町医者に行って血液検査してきな、って。


ごめんね、私の身体。

頑張ってくれて、ありがとう。

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