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55.与えられた自由(2)-かしもの・かりもの-

前回の続きです。
未読の方は先にこちらをご覧ください↓



3月中は卒寮を迎えるまでの間、ずっと病床生活が続いた。

教区諸先生方へお礼の挨拶を述べる日、ほかの寮生は意気揚々とそれぞれの一年を振り返っての言葉を語る中、ピーナッツは身体の脇に血まみれの袋をぶら下げ、見るからに病人となった姿で挨拶をすることとなる。
とてもシュールな光景だったのではないだろうか。

本部派遣で寮においでになったおたすけの名人・大豆先生からも

「これは、まだいんねんが切れていないよ、という神様からのメッセージだね。ありがたいね、布教の家がいよいよ終わる時に見せていただいたのだから。これからが本当の、ピーナッツ君自身のいんねんの自覚と、神と向き合う時間が始まるんだよ」

とおさとしを賜る。


そう、布教の家生活は終わるけど、これが本当の始まりとなったわけだ。


散々足繫く通っていたおたすけ先のご婦人が心配して、逆に布教の家の私のところまでお見舞いに来てくれたりもした。通い先の方に通ってきていただいて、しかも私が彼女におさづけを取り次いでいた。
むむむ…シュール。


卒寮直前に胸腔ドレーンがはずれ、どうにか外見的には普通の状態で旅立ちの日に間に合うことができた。


自教会に戻ってからも、復調までしばらく時間を要した。
改めてまたガンガン戸別訪問し出すまで、およそ一年という時間を必要とした。



そして、現在に至る。


基本的ににをいがけ中心の生活をしていたけれど、その後も度々こういった症状に見舞われ、身動きの取れない時間を過ごすことしばしばだった。


2014年秋もこのような流れで身体とよく相談しながらの日々を送っていた。

ここまでの話から、私はこうやって度々自らのいんねんや、癖性分への思案をする強制停止時間を迎えながら、“かしもの・かりものの理”を改めて胸に治めていく見つめ直しを繰り返していた。

動けない時は、なかなか肩身の狭い思いをしていた。

この道は皆身上から随き来る。
身上なくして随いた者は、ほんの一花のようなもの。

おさしづМ33・11・26


道の道具として用いたいという神様の思いがかかっているからこそ、身上で知らせて無理にでも自覚を促して下さっているのかなあ…と、そういう取り方を心がけている。

胸の痛み・疼きをもって絶え間なく注ぎ込まれている神からの恩恵・ご守護に実感し続けられるように。

逆風が吹いても、簡単に進むことをやめてしまわないように。


点ではなく線で

私の父方の祖父(信仰2代)は肺がんを患い、50代の若さで出直している。
母方の祖父(信仰2代)は肺気腫をやって、60代そこそこで出直している。また、彼はいつも病弱で、病床生活をしている姿ばかりが記憶に残っている。

父・会長は両方の肺に自然気胸を発症し、それまでは天理教の信仰に抗って世間で普通の仕事をして生きていたところを強制終了され、神に手を引かれることとなる。

私の兄弟の何人かは天理教の信仰と全く関係のない生き方をしようとするや否や、急にぜんそくを患ったり、片肺に気胸を発症したりし、そういうことがキッカケで修養科に連れられたり、天理教校専修科に強制入学させられたり…そうやって別ルートから強制的にこちらの世界に引っ張られてきた。
なんやかんやで兄弟全員、お道に関わりを持って暮らしている。

私は、比較的お道にはずれることなく、天理大学に進学したし、短期間の本部勤務を経て、布教の家に進んだ。だから、そこまでバリ天とかではなかったけれど、まあ、ぼちぼち正規ルートに近いところを歩いていたから大丈夫だろうと高をくくっていた。


それが全然、大丈夫じゃなかった。


とんだ傲慢な自己評価だった。

にをいがけしている(つもりだ)し、おたすけしている(つもりだ)し、やることやっている(つもりだった)のに、ばっちり、しっかり、いんねん通りの身上を見せていただくこととなった。

後々思い返せば、このタイミングで見せられたことが神がかっているし、これを経験して本当に良かったと感謝している。


それに、親々の身上、兄弟・自らの身上を“点としての個々の人生物語”ではなく、“それらを繋ぎ連ねた線の物語”として捉えた時、確実に代を重ね少しずつだけれど、運命が良い方に切り替わっているように見て取れる。少なくとも、呼吸器の病気を発症しながらも、代を追うごとにしっかりそれが薄まっている。

だからピーナッツ家は、代を重ねた信仰を通して、いま現在も着々と救かり続けている。

実は私の息子も喘息持ちで、幼い事から咳で苦しんでいた姿を見て来た。
親としてその様はかわいそうでならなかったけれど、これも息子だけを点で見るのではなく、線の物語で捉えた時、(薄まっている…)そう感じてはいた。


動けない時は本当になにもできない私だけれど、そんな時は、いま置かれている不自由が、与えられた徳いっぱいの自由なのだと心中で受け止めてここまできた。

不自由によって、自由のありがたみを教えてもらいながら、動けるようになってきたら、また張り切ってにをいがけに歩きたい。

【2014.12】



おまけ

2024年現在、この記事の頃から見違えるほど、体調が大分良くなっているピーナッツ。しっかり護られています。教祖130年祭あたりが切り替えの転機だったような気もしています。

地元の病院や介護施設に足を運び、外部サポータ-的なひのきしんをしている今日この頃。もうかつてのようにガツガツ戸別訪問はしていないのです、実は。

だけど、いまもそれなりに眺めるべき景色を見つめ、自らを、誰かの魂の癒しのきっかけたる支え手たり得ようと色々やっています。

いろいろな在り方、為し方を模索しながら、ピーナッツは今日も天理教者として生きる以上に“天理教的に生きる”を手探っております。


ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^O^)

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