第五話 メビウスの宇宙を超えて(BYOND THE TIME/TMN)from逆シャア
長文失礼します
常々、『機動戦士ガンダム』は考えさせられる。
ファースト世代、ゼータ世代とのギャップや
その後のガンダムシリーズなど、
色々ファンには意見があると思うが敢えて自分の見解を話して行こうと思う。
原作者はアニメーション監督、演出、脚本漫画原作者、作詞家、小説家である
富野由悠季。
虫プロで「ジャングル大帝」、「鉄腕アトム」などに携わり未来少年コナン」、「勇者ライディーン」などを経て
日本サンライズで、「無敵鋼人ダイターン3」で総監督を務めた。
そして1979年に
『機動戦士ガンダム』で総監督、原作、演出、絵コンテ、作詞を務める。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した一方、スポンサーの玩具売上で苦戦させられ、のちのバンダイとの因縁もここから始まった。
4クール52話の予定から39話への短縮を要求され、結局1か月分の4話を延長した全43話で折り合いが付けられたらしい。
戦争ものと言うと今は当時はまだ教育上よくない傾向だったのもありアニメでしかも戦争で人が死んでいく描写は受け入れ難い事だったのかもしれない。
今考えればその考え方が古い考えだったのかもしれない。が、しかし特攻や学徒動員などを盛り込み本当に戦争はなにも産まない事を知らしめたかったのかもしれない。
人気は爆上がりで映画化も決定。三部作も決まり興行的にも順調であった。富野監督の思いは映画に盛り込まれ涙無くしては語れない映画となった。
しかしバンダイから不本意な続編への要求、強引な決定で出来た「機動戦士Zガンダム」が始まった。
しかし思っている事との違いで早く終わらす事しか考えてなかったそう。そして、その最終回に出した答えが主人公カミーュの精神崩壊で幕を閉じるのだ。もうこの後続かない様にと。
この結果でファースト世代とゼータ世代の確執を産み、世の中にも多大なる影響を及ぼした。
その事を知って知らぬかZZが始まりシリーズが幕開けとなった。しかし、富野監督は近年、Zガンダムを3部作で改めて作り直し新しい解釈、『Newtranslation』と副題まだつけての公開をした。その新しい解釈で結末を変えてでも、それが世の中の為になる様に。
人が死ぬことが良い事ではなく戦争がいけない事だという認識で作ったはずのガンダムがいつのまにか勝手な事情を余儀なくされ商品価値しかない物に成り下がってしまった事は大人になってから思い知らされた。
最終的に富野監督は『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』を制作し、アムロとシャアの最終決戦を描いた。
この映画でも結果悲劇は止まらずまた違う憎しみや新たな物語に繋がりが出来、またこの話の前の経緯も生まれた
この映画の主題歌でTMNが歌った
【BYOND THE TIME】
最終決戦の最中、敵味方も関係なく地球を救おうとする事で戦争は意味がないことを表現した
オーバーロードして2人がどうなったかは
ハッキリはしてないが歌の最後の小節で
『メビウスの地球を超えて〜🎵』と歌い
ララァが言ってた、『いつでも私たちは会えるから』
に繋がるものだと思う。
ロシアが続けている戦争も悲しみしかない。
絶対終わらせるべきである。
PS
富野監督は【無敵超人ザンボット3】の最終回で大どんでん返しをしてた。従来の単純な公式「勧善懲悪」に対して“正義とは何ぞや、誰がそれを決めるのか”と疑問を投げかける内容となっている。地球を守っていたのではなく、地球自体が宇宙の脅威であり敵なのだと。
最終話の放映後、プロダクションやスポンサーを真っ青となったのは言うまでもない。
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