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「国際協力専門員」(林俊行)

【今後のために心に刻み込む言葉】

●あるNGOの代表のことば
 「地域の特徴を示す言葉として、日本には『風土』という言葉があります。『風土』」は風と土によって作られます。外から風を運ぶ人がいて、地域に新しい情報を送り込む。そして地域に住む土に人がその風を受け入れて、新しい『風土』ができるのです」

●多くの途上国では、国民の大多数が農村に住む。その生活水準はきわめて低い。満足な収入を得る機会に乏しいだけでなく、教育をはじめとする基本的な行政サービスも整備されていない……………………普段の彼らの生活は、低位均衡とでもいうような状態にあり、これを慢性的貧困と呼んでいる。何もなければ、それはそれで済むのだが、不測の事態がこの均衡を破る。…彼らの生活は一挙にさらに厳しい困窮事態に陥る。………….不測の事態とは、、、、、例えば、稼ぎ手の事故、失業、病気、、、、、自然災害、家畜を襲う疾病、地主の横暴、、、、、早ばつ、豪雨、害虫の発生、内戦………………….
この環境に、敗者復活戦の機会はない。

●長年の経験がある(国際協力の)専門家といえども、途上国ではどこに行ってもよそ者である。では途上国の農村開発でそんなよそ者に期待される役割は何なのか。。。。。農村を都市のようにすることが農村開発ではなかろう。自らの住む場所をどのようにしたいのか、したくないのか。これは基本的に、そこに住む住民が、自らの環境の中で決めればよいことである。それが、農村開発のエッセンスであると筆者は思う。。。。。。農村開発が、すべて農村の中で完結して十分であるのなら、外部の存在は不要かもしれない。他方、問題のない人間社会は想像し難く、村の中だけでは解決できない深刻な問題もあるだろう。。。。。。そこに住んでいるだけでは気づかない、何がしかの開発の可能性だってあるかもしれない。よそ者の役割は、じつはそこにあるのである。

●マラウィの人々を見ていると、電気を使い始める近代化以前の「もともとの人間」のあり方というものを感じさせてくれる場面に何度か遭遇した。。。。。。。。。マラウイ人の視力は驚くほど良い。女性はほとんど悪阻を経験することなく、、、、、独自の音階で歌を歌う。とても美しい。。。。。人々は娯楽を自分たちで作り出し、楽しむことを知っているのだろう。自分と他者との関係性、それ自体がメディアや娯楽を生み出している。。。。。。「もともとの人間」は、このような身体的能力と個々人の多様性を持っていたのだろう。。。。。。近代的で便利な生活を営んでいる私たちはきっと何か大切なものを忘れてしまったのだろう。

●生産性向上運動の父といわれる デミング氏の 言葉
 「the outside view」
 「knowledge about variation」
→部外者がどのように途上国の能力の発掘、発現、成長に貢献できるのか。
 また逆に、阻害してしまうのか。。。。。。
→よき部外者 であるか否かは、部外者と当事者のダイナミックな相互作用の中で明確になってくるようだ。

●途上国に限らず、あらゆる国において教育は保健医療と並んで最重要の事業である。世界の援助機関は財政支援までして途上国のすべての子どもたちに基礎教育を受けさせる努力をしている。しかしこれらの機関によって作られたこれまでの初中等のカリキュラムは、端的に言うと高等教育へ進学することを中心に組み立てられたものであった。、、、、、卒業後彼らの多くはすぐ働きに出ることになるが、彼らを受け入れることのできる生産的な職場は少ない。職が用意されてないと、都市部は無職の若者たちで溢れかえり、社会秩序の乱れが増殖していく。。。。。この点、フィジーの中等教育で試みられているように、一次産業に関わる職業技術教育をカリキュラムに取り入れようとしているのは良い試みである。。。。。。また、国際協力の面から見た職業技術教育訓練上の問題は、訓練後に受け入れ可能な職場が少ないため、せっかく育てた人材が国外に流出してしまうことである。

●(国際協力専門員としての筆者が)
長年にわたる現場経験を通じて感じた結論
→「聞けば覚え、見れば信じるが、自分で実際やってはじめて血となり肉となる」ということ。 
→「住めば都、人類皆兄弟」
→「リキマズ、アセラズ、アキラメズ」
→「郷に入れば、郷に学べ」

●平和であるからこそ開発協力本来の仕事ができる。。。。。平和な環境が損なわれれば、援助・協力のための事業は吹き飛んでしまう。

●援助の有効性に関する疑問、すなわち、私たちがやっていることはほんとに効果を上げているのだろうか、私たちは時間との競争に破れつつあるのではない、という疑問。
小さな洪水で川岸が削られれば、そこに住む一家が家屋もろとも濁流の中へ放り込まれる。そういう生活が世界各地にあって、その住民の数は激増している。次の被害者は自分の番だ、という人々は連綿と続く現状を指して、これを「死の順番待ち行列」と呼んでいるだが、、、、

●解決の鍵が欧米の手法にしかないと思い込んで、欧米人による専門書を翻訳して金科玉条としていると、日本が途上国で取り組むべき本質的問題を見逃してしまう。問題解決の鍵は、日本の中世から近代、そして現代史を素直に勉強することで必ず得ることができる。

●日本に育ち暮らしてる人間だからこそ途上国のためにできることがあると、私たちはこの仕事を長年続ける中で思うようになっている。
 「相手の立場に立って親身になって考える」
 「土足で他人の家に上がるようなことはしない」
という至極日本的な倫理観、つまり階級社会の中で個人主義が模範となっている欧米各国ではあまり見られないそうした私たちの文化的特質が、途上国人々との人間関係の持ち方や仕事の進め方の中で日本らしい「協力哲学」として現れ、途上国の具体的な現場でボディブローように影響を与えつつあると信じている。。。。


\(^o^)/ 素晴らしい本でした \(^o^)/


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