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自信を持つとはどういうことか? 失ったらどうしたらいいか?

ここ数ヶ月、ある病の治療を始めた。命に別状はないのだが、抗がん治療系のホルモン薬を投与されるので少々副作用がある。特にメンタル。そのため、いつになく鬱々としている日々を過ごしている。

この状態の何が一番辛いか。つきつめると「自分に自信がなくなる辛さ」に行き着く。

自信はなくしてはじめて「今まで私は自信があったのだな」と気づくし、いかに自信の有無が人生を分けるかも実感する。
絶対に自信はあったほうがいいのだ。

とにかく信じがたい猛暑に苛まれながら、鬱蒼としていてじめついたメンタルの森の中でもがき、耐え、なんとか解決法を探していた、というのが今夏の私の状況だった。そんな森の中で「自信がないという現象」をじっくり観察したので、言語化してみたい。

普段私は自信を持っている。
それはどういうことかというと、自分で自分をgood評価しているということだ。自分の中に価値基準の軸となるもう一人の人間がいて、自分を好ましい、素晴らしい、価値ある人間と思っているのだ。

他の誰が何を言おうとも、このもう一人の誰かがいれば怖くはない。この人がOKといえばOK。
(そもそも人生は毀誉褒貶だ。敵のような存在が私を貶すとしても、それは自分の価値の低さを示すものではなく、相手の立ち位置とメンタルイシューであって私のイシューではない)

この私の中のもう一人は、明るく活力があり、凛々とした目力で私を評価し励まし導いてくれる。この人はどちらかというと彼…というか、ある意味私のアニムスでもある。私の才能や魅力を誰よりも早く見抜き、それを面白がり、評価し、可能性を信じて磨き上げる道のりを示すのは彼なのだ。(そんな男性が私の好みでもある)

私は彼という鏡を持っているので、外からの評価や価値基準に肩を落とすことがあまりないし、他者を鏡にする必要がない。他者を鏡にするというのは、評価を他者に委ね、執拗に確認するということだ。(いわゆるマウンティングもこの一種だと思う。他者を使って自分の価値を確認する行為)他人の軸を使わなくても自分の軸があれば、満足のゆく確認ができるのだ。

自分軸が強い、自信がある、というときは、私のアニムスが私という存在とうまくやっているときだ。
では自分自身が評価していればそれでいいのか? という疑問もある。確かに評価は他者にされないと意味がないところはある。他者評価を受け入れず独りよがりでは問題になるだろう。しかし、他者の評価を受け入れることと他者の評価を鵜呑みにすることは異なる
私は、アニムスと良好な関係で自分に自信を持てているときこそ他者評価を受け入れることができる。外部基準に見合うようにしなければいけないときがあることも受け入れる。しかし受け入れつつ、振り回されないでいることができる。それはそれ。これはこれ。他者は他者。自己は自己。
自分の評価軸が強固だからこそ、他者の評価にも必要以上に落ち込むことがないのだ。

では自信を失ったらどうなるだろうか?
それは今回の場合、アニムスを失うというところから始まった。アニムスが病み始め、どんよりとした瞳になり、私のことを観なくなったのだ。

自己への愛ある客観的視点の喪失

そうなるとすべては逆方向へ進み始める。愛ある評価を求めて他者を鏡にしはじめ、外部の評価に依存し始める。価値基準からの直感が働かず、何を選んでも満足ができない。自分が失敗を繰り返している気持ちになる。SNSで誰のgoodボタンも獲得しないときのような気持ちだ。相手のことがよく見えない。相手の声が遠い。自分の声すらも聞こえない。檻の中に入れられているように感じる。出口がない。

そうなってしまったら、誰からどんなふうに褒め称えられても、いくら社会的に幸せに見えても地獄である。自分の中に愛と評価軸がない、というのはそういうことなのだ。

さらに悪いことに、そういった自信を失って軸を失った人間には良くないものが寄ってくる。(「自分に自信がないからいつもクズな男とばかり付き合ってしまう」という女性がいるでしょう?)
私の場合、それが忍び寄ってくるのがわかるから警戒心が強くなった。自信のない人を利用する類の人たちに気づかれてはいけない。食い物にされないように、自信がない匂いを嗅がれてはならない……。

これまで私が良い人間関係、恋愛関係に恵まれたな、と常々思えていたのはアニムスがしっかりしていたからなのだった。アニムスからの愛や評価、自分のことを愛しているということの一番最適な例を知っているから、それを基準に他者からの愛を受け入れたり、拒んだりできるのだ。
自分が自分を愛して客観的に評価しているから、それがすべての人間関係に波及するのである。

では、もし不幸にもそういった自信をどうしても失ってしまうときはどうしたらいいのだろうか??
揺らがない自信などあるのだろうか???

揺らがない自信などない。誰でも自信を喪失しうる。
けれども、これを書いている今現在、私にはアニムスが戻ってきている。

それは、私が自己を観察し、考え、これを書いているからである。それをするのが私のいいところで、アニムスの好む中核だからだ。文章を書くと癒やされる……書くことは私にとって大事なものを回復することなのだ。
それだけではなくて、苦しみと向き合い、「苦しいにもかかわらず」「苦しいからこそ」希望をもって行動し続けることが、自分への愛を手繰り寄せるアリアドネの糸なのである。

アニムスはなにもしなくても自動的に全肯定してくれる存在ではなく、私自身の行動によって評価も流動するシビアな生きた存在でもある。アニムスは甘やかすためにいるわけではなく、いきいきと愛に生きるためにいるのだ。楽ばかりして自分を好きになれることなどなく、愛というのは日々行動して獲得し続けていくものだ。自分自身からの愛にせよ、他人からの愛にせよ。

というわけで、自信を持ち続けたいなら自分を愛すこと。自分を愛したいなら、日々愛すべき行動を続けていくことだ。辛いときほど、その行動が自分を救ってくれる。





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