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離れたい、でも忘れたくない

恋愛の話ではない。「ふるさと」について書きたいと思う。

関東の新興住宅地で生まれ育った私には、「ふるさと」と思えるような場所の意識が希薄だ。

両親の実家はともに関西にあって、私が生まれ育った場所とは違う。

盆暮れに、両親と一緒に関西の実家に帰っていたことから、幸いにも「田舎に帰る」という経験は持つことができたが、子供時代に村の祭りや、地域の活動に参加したという記憶がほとんどない。

それが5年前に今の場所、鳥取県に引っ越してきてみて、何となく「ふるさと」ってこういう感じなのかもしれないなぁと思い始めている。

鳥取市出身の谷口ジロー氏が描いた漫画「父の暦」を読みながら、改めてそんなことを考えた。

「父の暦」では、故郷鳥取を離れて数十年東京に暮らしている主人公が、父の死をきっかけに郷里に戻るシーンから始まる。

長年、父との間にあったわだかまりや誤解が、叔父が語るエピソードとともにほぐされていく、といったストーリーなのだが、鳥取の町もリアルに描かれていて、妙にグイグイと感情移入してしまった。

鳥取で知り合った何人かの人に話を聞いてみると、彼らの多くが、この漫画の主人公のように一度東京に出て戻ってきているそうだ。

鳥取を出た時は、「離れたくて離れたくて仕方がなかった」のだという。

でもどこかに忘れがたき故郷の姿があって、戻れるきっかけがあれば戻ってきたい、と思っていた人も多いみたいだ。

「父の暦」の最後に主人公はこんなセリフを残す。

「私は思う・・・ 郷里に帰る・・・のではない、いつの日か郷里がそれぞれの心の中に帰って来るのだ」

なるほどなぁと思う。

鳥取は私にとって生まれ育った場所ではないけれど、何だか心の故郷のような気がしている。

みに鳥取県は唱歌「ふるさと」が生まれた地でもある。

コンサートなどで、この歌を聞くたびに、何か感傷的な気持ちになってしまうのは、少し年を取ったということなのだろうか。





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