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ことばを理解するということ

「DXってデジタル化の話だよね?」「いえいえ違います。」

こんな会話は恐らくいろいろな組織で起こっているのではないか。

実際、メディアで流布される言葉の本質的な意味を、僕らはあまりよく理解せずに使ってしまっていることがあると思う。

「GDX 行政府における理念と実践」(制作:株式会社黒龍社)の冒頭で若林恵が書いた文を読んで、そのことに改めて気づかされた。

ある「ことば」を理解するということは、そのことばの定義を知ることではなく、そのことばが必要とされている前提にある課題、実効性をめぐる仮説、それがもたらす可能性を、ひとつの論理として理解することだ。「GDX 行政府における理念と実践」(制作:株式会社黒龍社)

分からない言葉に出会った時、どうするか。

辞書を引く、誰かに聞く、ウィキペディアを見る、等々。

一般的にはまずこのようなことをやるだろう。

大体はここまでで終わってしまうのだと思うが、若林さんの考えに照らしていえば、それではまだ「ことばを理解した」ということにはならない。

なぜその「ことば」が必要とされているのか、それを必要とした社会的な背景は何なのか。その「ことば」が社会に実装されたら何が起きるのか、どういう変化が生じるのか、こうしたことを一体のものとして理解せよ。ということなのだけれど、これはなかなか出来るようで出来ないことだと思う。

日々新しい「ことば」が生み出される中で、その一つ一つに向き合っていたらとてもじゃないけど時間が足りない。

ただ、例えば「DX」のような、社会的に広範囲に亘って影響が及んでいるような「ことば」については注意を払っておく必要があるということなのだろう。

本冊子を読んで、

DXとは、単なるデジタル化やテクノロジー面の話ではなく、サービス提供者側のマインドセットを変化させるということ。あるいは、サービス提供者とユーザ間の関係性を変化させるもの。そのために様々なルールや社会制度を変えていく。つまりは社会システムの変化を迫るもの。

といった理解を自分なりにはしたてみた。

では次に、これによって社会の何がどう変わるのか、ということでいくと、仕事のあり方はいうまでもなく、ユーザーの行動も変化していくことから、相乗的に変化が創発されていくことになるのかもしれない。

例えば、どこに居ても様々な処理が可能となれば、オフィスや住居のあり方も変わってくるだろうし、教育や医療、納税サービスなど、社会インフラを支える様々な機能に影響が及んでくる。

こう考えてくると、確かにDXとはかなり大きな話であり、一組織のデジタル化のようなチープな話ではないということが朧気に理解できる気がする。

ビックワード、バズワードには注意せよ。とはよく言われるけれど、改めて「ことば」の意味を理解することについて、より一層意識を向ける必要があると感じた。



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