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【適応障害回顧録】5冊目の日記③ 減薬失敗 ~心のもやは晴れず、不安のコントロールに失敗する~



~”先生”のアドバイスもあり、自分で治すという決意を抱いた私だったが、まだ早い状態で減薬にトライしてしまう。結果、不安のコントロールがうまくいかず、減薬は失敗となり主治医の判断でベンゾジアゼピン系の精神安定剤の量はもとに戻ったのだった。~

前回までのあらすじ


10月26日(精神疾患の症状でひどく目がおかしくなる。)

23時就寝→4時中途覚醒→7時起床

8時 朝食、服薬

お昼頃、よしみにしているパン屋でお昼ごはんのパンを買って食べる。

薬のせいか、血液の流れを強く感じる。

処方量が私より多かったり、一気に断薬した場合は体の中に虫がいるような感覚を受けるだろう。薬物中毒の気持ちが少しわかった。

しばらくの間、意識がはっきりしなかった。

お昼過ぎ、2時間ほど寝た。

19時 夕食

20時 入浴

入浴の30分後ぐらいに服薬し、少し本を読もうとしたら目のかすみが発生する。横になり、目をつぶって、このまま寝ようと考えていたらのだが・・・

つぶった目の中央に黄緑色のひし形が浮かぶ。目にカビのようなものが多数発生しているような、変な感覚を抱いた。

目を開けると天井に黒いシミができているように見える、人生で初めての現象だったので怖くなって妻を呼んだが、私がパニックになった様子を見て妻も慌てている。

既にその時には錯乱状態にあった脳が原因だと思得たのだが、叫んでしまった。だんだん身体症状が強くなってくる。自分を足で支えられない・・・

横になり、目をつぶるが目をつぶっても暗くならず、まだとても明るい感覚を覚える。目にタオルをかけてもらうが、今度は耳に症状が出てくる。

耳栓をしなくても耳鳴りが発生してしまった。高音の耳鳴りで、耳栓しても治らない。頭痛もするのだが、一般的な頭痛と異なり頭の中の筋?が痛くなったような感覚だ。そして左の頭が痺れてる感覚がしてしまう。右手の痺れもするのだが、ここまでの症状は初めてだった。超えてはいけない一線を超えてしまったかもしれないと不安が強くなる。そして、「大丈夫かな?」という焦りも生まれる。

横になっている私に寄り添っている妻は不安そうに私の顔を見つめている。不調の過程で目のピントが合わせられず、怖かった。

目の症状は1時間くらいで落ち着いてきたが、その後から全身が重く動かせなくなり最終的には喋れなくなってしまった。妻には事情を伝えて身体全体をマッサージしてもらった。6月や7月といった急性期に妻に同様のことをお願いしたが、若干の改善効果があったのだ。

一連の症状は2時間ほどに及んだ。

妻に顔と頭をもんでもらい、ようやく寝れた。

24時頃 就寝

10月27日(具合が良い・悪い日の調子を血圧・脈拍といった数字で把握しはじめる)

24時就寝→4時中途覚醒→6時起床

4時にトイレに起きた際、目の異常はなかった。安心したが、疲れが取れていない感じである。

6時起床 昨日の夜に現れた症状に堪えるのに、力がこもったのか疲れてしまっていて、回復していない。一言で言えば、ややだるい不明瞭な状態である。それ以外に異常はなかった。

原因は全くわからないが、セパゾンを1日3 mg(朝昼晩1mg) から1日2mg(朝晩1mg) にした事による減薬症状か、減らしたという心理的な不安やそもそも薬で抑え込んでいた不安から発生した不調かもしれない。

朝、起きて嬉しかったことは太陽が見えたことだった。今日も1日、生きることができる。本気でそう思える。

これまでの自分の1日の活動はセパゾンを3mg飲んでいたからできた行動なのだろうと思った。セパゾンを2mgに減薬するのであれば、自分の日常活動を2mgに引き下げるような発想が必要であろう。

今日からセパゾンの量を3mgに戻し、同じ症状が出れば、減薬の影響ではないだろう。症状がでなければ、不安過敏といった心理的要因とはっきりする。

”先生”からアドバイスを頂いた通り、今日の血圧や脈拍などを図ってみる。
どうやら、比較的調子が良い頃の血圧は下91、上122、脈拍91といった具合だ。今日は下97上135脈拍93といった数字だ。自宅でできる測定だから簡易的なもので、数字も確実ではないが”このくらいでよいだろう。体温は36度0分~36度1分ぐらいで、健康だった頃と比べて平熱が下がっている気がする。

一方、体調が悪い時の状態は血圧下67上106、脈拍67位で別の日には下74上109、脈拍87くらいである。医者じゃないのでよくわからないが、自分が調子が良いと思う日と悪い日には血圧と脈拍にも開きがあることは確かだと思われた。 特に、脈拍に差があるのはWeb によると自律神経の乱れらしい。

自律神経というのはおかしくなると倦怠感、頭痛、肩こり、手足のしびれ、めまい、不眠といった症状が現れるそうだ。

今日、昨日と同じような症状が出た場合にどうしようか考えた。

普段は夕食後に入浴しているが、夕食前に入浴をして夕食をとった後は服薬し、その日の行動はもうおしまいとすることにした。

あわせて薬のことも調べたが、ベンゾジアゼピン系薬剤の離脱症状におけるせん妄やロラゼパムを経口投与することで悪化する場合があるといった。万が一、症状が出た場合はそのうち落ち着くので過度に不安にならないようにしようと思った。

昨日の症状は間違いなく初めて現れた症状に対する不安から症状が増幅されたのだろうと思った。今日も駄目だったら昼にセパゾンを1錠割って、1日2.5mgにしようと思う。

この日は昔、旭川近郊のスーパーでお会いした金井さんの家に妻と伺った。金井さんは道外から嫁いできたようで、今は息子達は独立しているということだった。ご主人が亡くなりそうな時に地域の係を断ったら村八分にされてしまったらしい。そして、それがきっかけで金井さんも精神安定剤を飲むことになったそうだ。

また、精神的な不調が原因にもなり、狭心症を患うことになった。結果、人付き合いを好まなくなったそうだ。そういった理由もあって、私が調子が悪そうというのを見てわかったらしい。だから、見知らぬ私を家に招き入れたとのことだった。

金井さんから「一緒に頑張ろう」と言われ、元気が出た。金井さんを支えているのは春・夏に自宅の庭で栽培する農作物の成長であった。

私達と話してる時、金井さんはキラキラしていた。

12時 昼食、服薬

中食後少し寝る。

夕方、少し本を読む。

16時から入浴したものの、頭が重い感じがしてくる。目の疲れ、体のだるさを自覚する。熱っぽい感じがして、体温計で体温を測るも36度ピッタリである。

19時 夕食、服薬

金井さんからもらった野菜はとても美味しかった。

20時 横になる

服薬した後でその後は特に何もしないで予防のために横に先になることにした。目の疲れにより、頭の重い感じがするが昨日よりましである。

22時 就寝

10月28日(頭の重い感じが1日中取れない。)

22時就寝→2時中途覚醒→5時中途覚醒→7時起床

起きた時にまだ頭の重い感じや目の疲れがしている。

8時 朝食、服薬

お昼頃、また頭の重い感じがする。

12時 昼食、服薬

昼食後、横になる。まだ頭の重い感じが取れない。

夕方、旭川駅前を散歩してみる。

17時頃、家の近くの馴染みの魚屋へ夕飯の食材を買いに行く。

18時 入浴

19時 夕食、服薬

23時 横になる

24時 就寝

10月29日(体調の回復とセパゾンの減薬)

24時就寝→4時中途覚醒→6時起床

今日は体調も精神的にも良好である。まだ寝たいという感じはあまりしない。今日は太陽が出ていて嬉しいが風が寒い。

8時 朝食、服薬

10時頃、お世話になっているパン屋へ行く。

13時頃 昼食、服薬

昼食後、少し寝る。

夕方、1時間ほど パソコンを開いて作業する。

19時 夕食、服薬

20時 入浴

今日からセパゾンを2.5mgにした。

10月30日(”減薬”すると眠れなくなるかもしれない)

3時就寝→5時中途覚醒→8時起床

昨日、漠然と不安になって眠りにくかった。考え込んでしまったわけではないが、薬を減らした影響かもしれない。

8時 朝食、服薬

午前中は家の近くのスーパー銭湯へ行く。

12時 昼食、服薬

13時頃 妻と旭川駅前を散歩する。

夕方、家の近くの公園を散歩する。もう日没も早くなってきた。17時前に散歩しないと寒くて逆に具合が悪くなりそうだ。

散歩中、なぜ私がこうなったのか・・・という根本的な原因を考えたが、”転勤”という制度はいつかナンセンスな人事制度になるかもしれない。”転勤”というのは金融機関のキャリアには付きもので、昇格の1つの要件になっていたりする。しかし、事実として本社と支店での仕事は全く違うし、仕事をしてストレスを受けてしまう結果、私のようになる人もいるはずである。そんなことを考えていたら憤りに近い感覚が突如浮かんできた。

17時頃、家に帰って新聞の切り抜き記事を読む。

読める、読めないという以前に均一の力で紙をはさみで切ることは脳にとって良いリハビリになるという感じがした。なぜなら、まっすぐ直線通りに紙を切ることで集中力を使うからだ。どうしたらもっと効率よくできるか?まで考えられたら、仕事に復帰した後のイメージにもなるだろう。

18時 入浴

19時 夕食、服薬

20時頃、読書

三浦綾子さんの『氷点』という本を読み始めた。

23時 就寝

10月31日(思い返せば、仕事をしていた頃より療養中の方がよっぽど疲れる。

23時就寝→5時中途覚醒→8時起床

寝不足でもないのに熟成していたのだろうか

8時 朝食、服薬

8時まで寝ていたが、やはり体調が良くない気がする。散歩は一周にしておいた。朝、公園の霧がすごい。

家に戻って横になる。熱がないのに熱っぽい。つまり、体がだるいのだ。

午前中は『氷点』の続きを読む。あまりに口内炎が治らず、皮膚科に行った。今年はどれだけ医療費を払えば済むのかと思われる。

皮膚科から出て、空を見ると太陽が輝いていた。私は諦めない。

13時 昼食、服薬

昼食後、寝てしまう。今日は精神が不安定で、転勤先の旭川支店の管理職に連絡しようと急に思った。今は7月より余裕が出てきて、行動しようとしているのだろう。しばらくは活動レベルを下げようと思い、特に行動は起こさなかった。

夕方、妻と外出した。家の近くの公園を一周散歩して、家の近くのカフェに行く。その後、スーパーで食材を買い、パン屋でパンを買うといった普段の行動である。

パン屋で妻とお茶を飲んでいると、ふと、頭の中に一枚の紙が浮かぶ。紙には”疲れた”と書いてある。

思い返せば、仕事をしていた頃より療養中の方がよっぽど疲れる。

上司からのパワハラといった過去の嫌な出来事との対峙、自分を作り直す日々の一歩進み、一歩下がりの努力。妻との将来を考え、自分の生き方を考える。ただ、将来を考えると、この先これ以上の逆境や孤独はないだろう。

私はあきらめない。

19時夕食服薬20時入浴

11月1日(なかなか本調子にならない

23時就寝→5時中途覚醒→7時起床

8時 朝食、服薬

9時から家の近くを散歩した。

12時 昼食、服薬

昼食後、少し寝てしまう。

夕方まで本を眺め、家の近くの公園を散歩。その後、お世話になっているパン屋に行く。

19時 夕食、服薬

20時 入浴

21時 少し疲れた

23時 就寝

寝る時、急に体調が悪くなった。無意識に精神的に不安定になったのかわからないが、体にきた感じがする。

11月2日(寒いのもあってか体温が上がらない)

23時就寝→5時中途覚醒→7時起床

8時 朝食、服薬

今日の気温は2度である。非常に寒い。体温が上がらず、体温が36度に満たない。朝食後、横になり温かいお茶とリンゴを一つ食べる。

体温は36度ぴったりまで上がってきた。気休めかもしれないが、常に脈拍は測っている。

10時位にまた横になり、日内変動のような頭の重い感じがする。

お昼頃 昼食、服薬

夕方、パソコンを使ってEAPのカウンセラーに言われている生活記録表を作ってみた。

19時 夕食、服薬

20時 入浴

23時 就寝

11月3日(神楽岡公園の紅葉は見事でした)

22時就寝→5時中途覚醒→8時起床

8時 朝食、服薬

午前中、少し本を読む。

お昼頃 昼食、服薬

お世話になっているパン屋でパンを食べる。午後は神楽岡公園という所に行った。

11月4日(夕方くらいからフラッシュバックに襲われることが多い。)

22時就寝→4時中途覚醒→8時起床

8時 朝食、服薬

午前中、見本林を散歩した。

12時 昼食、服薬

13時ぐらいから17時ぐらいまで体調があまり良くなく、横になっていた。日没後、若干のフラッシュバックが出てきて憂鬱感が襲ってきた。

18時頃 家の近くのパン屋へ向かい、パンを買って家に帰った。
家に着いた後、体調が悪いことに気付く。

23時 就寝

11月5日(脈拍は不調・好調のバロメーター

23時就寝→4時中途覚醒→8時起床

今日は血圧が高い。また、嫌な夢を見た。

本社でガミガミ言われている夢だ。昨日、妻と話したのだが、発症した直後の5月から6月ぐらいに血圧や脈拍等を測っていたらひどかったんじゃないかという話になった。血圧というのは自律神経の不調によっても変動するし、わかりやすいバロメーターかもしれない。

8時 朝食、服薬

夕食後に母親から電話がかかってくる。少し気に障ることを言われてしまい衝動的になりそうになるが、とりあえず電話を切った。危ない危ない。

11月6日(不安を自分で抑圧している状況では減薬は失敗する

22時就寝→4時中途覚醒→7時起床

4時に中途覚醒した時、ものすごく体調が悪かった。

8時 朝食、服薬

午前中、たった5分ほどの距離を運転して非常に目が疲れた。

12時 昼食、服薬

午後一の特急電車で旭川駅から札幌駅まで主治医の診察のために移動した。

診察ではセパゾン朝夕計2mgずつとして服薬したが、減薬症状が出てきてしまった。そこで2.5mgにしたが、上手く行かないと伝えた。

先生からはセパゾンを3mgに戻すという話があった。そして、様々な症状は不安からくるものだろうということ、無理して減薬を急ぐ必要はないとのことだった。不安を自己消化できたと伝えたところ、不安を自分で抑圧しているだけだということだった。

確かがパワハラを行ってきた上司が乗っていた車を見るとフラッシュバックしたり、親や他人のちょっとした言動に過敏になってしまっている。 情緒不安定というまでではないが、理性で抑えている感覚に近いかもしれない。

先生からあまり焦らない方が良いとのことで、ここ一か月ぐらいは常に自宅療養ということを意識して生活してきたと伝えた。

しかし、調子が悪い日も多々あり、本当は走りたいくらいなのに、日々、リズムを乱さず、怠けず職場復帰を目指して日々を過ごすことは働いている以上にしんどく、そろそろ疲れたと漏らしてしまう。

先生から、次の診察まで何々しなければいけないということは忘れて、のんびりした方が良い。頭には将来的に治すということを浮かべておく位で良いとの話があった。

次回の診察は11月下旬で妻も同行することになった。

夕方、札幌駅からの特急電車で旭川駅に戻る、その後、妻が駅まで迎えに来てくれていたので合流した。

19時 夕食、服薬

22時 就寝

2週間に1度の札幌までの通院はなかなかつらいが、”治す”というモチベーションの維持には良いかもしれないと思えたのだった。


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