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東京藝大卒業・修了作品展

藝大の卒展に行ってきた。

予想以上の物量とパッションとクオリティで、すごく良かった。藝大生ってすごいな、って改めて思った。ひとりひとりの人間性が垣間見えるのもめちゃくちゃ良かった。
自分の独自性はなんだって求められて、悩んで、なんでこんなことしてるんだろうって葛藤してきたんだろうなっていうのがそのまま感じられる作品も、そういう葛藤を微塵も感じない自信に満ちた作品も、そういう悩みとかなしに自分ワールドを持ってそうな作品も、全部ほんとに良かったな。

特に、建築に関しては、自分もそこを通ってきたこともあり、他の専攻の作品よりも見てていろんなことを考えてしまった。
藝大の中でも建築ってちょっと芸術とは言えないところもあるから別枠な感じがしてた。
建築は法律や構造の制限が厳しいし、要求も縛りも多くて、役に立たないといけないような気がするから、全く自由じゃない。自分がこういうことを考えててこういうことを表現したい、の地点から、実際の建築を考えるっていう地点には少なからずジャンプがあって、そこをジャンプしないで繋げることは結構難しいと思う。主義主張や葛藤をストレートに表現をできる芸術とはそこが違う。定期的に設計課題が出てそこに向き合うことを強いられる大学生活、わたしはそこのジレンマに結構苦しんだし、そこを考えれば考えるほど、建築建てないのが1番良い気がしてしまっていた。大学生活の途中、建築は自然に勝てないし自然のが圧倒的にすごいって思って、(今も自然に勝てないと思ってるけど、)屋久島行って建築なんか意味ないなって気持ちになってた。
卒展には、本人がそういうジレンマを消化できてないんじゃないかな、と思った作品が何個かあって、考えていることはすごく面白い視点なのに、実際の建築の計画になるとそことの結びつきがこじつけっぽかったり、なんで形はこんな変哲もない常識的な計画になってしまうんだってちょっと残念だったりもした。なんかこの作品建築建てるところまで行かずに止めておいた方がいい作品だったんじゃないかって思ってしまったのもあった。何かしら役に立つものを建てなきゃって、そこに足を引っ張られてしまっていたような。まあそれは藝大に限らず、私の大学でもたくさんあったし私自身それに引っ張られて納得できないものができたりしてたから建築学生あるあるなんだろうな。目的と形態の不一致。
特に藝大はその大学のカラーがそうだからかもしれないけど、個人的や詩的な内容が話の入り口だから、それを切り口に建築を作ってしまうと、建築は公共性のあるものだから何か建築が世の中の役に立つようにしないとっていう割と建築の本質的なところが足を引っ張ってしまうんだろうな。逆に、世の中の問題を何か建築でどうにかしたいっていう入り口だと、必然的に役に立つ建築を考えるし、個人的な話が入り口なら個人の家を作る、っていうのが形と主張がストレートで結びついて、結構分かりやすく良いものができるって思う。
ここまで書いて気づいた、私が自分の卒業設計が納得がいかなかったのは、たぶんそれだ。卒業設計は主張が世の中の役に立つって感じではあまりなかったのに公共建築を作ろうとしていたから、そこが自分の中でストレートに繋がらなかったんだと思う。納得いく作品を作れた時はそこがストレートに結びついていた。

それでいうと、Z軸の引越しの作品が、その役に立たなさとポエティックさが期待を裏切らない藝大ぽくて、話と作品というか行動がストレートに合ってて、めちゃくちゃ面白かった。すごく良かった。
あとは、どの作品もボードや模型の表現方法が上手くてそれは本当にさすがだったし勉強になった。藝大のプライドを感じた。


私は結構彫刻や工芸の立体作品系の展示が印象に残ってて、一緒に行った2人は、絵だったり映像だったり、結構バラバラだったり一緒だったりで面白かった。
平面の作品も、立体の作品も、それぞれの中でもひとくくりにできないほど多様だけど、平面と立体の1番大きな違いは曖昧さが許容されるかどうか、な気がする。
立体作品は空気と物体間、物体と物体間の境目がある以上、その境目を全て自分で決めないといけない。(化学反応や物理法則に任せていることもあるだろうけど、自分の意志でなくとも、はっきり境界が決まるのは確かだ。)私は普段、一本の線が素材の分かれ目を表す世界で、しかもそれを自分以外の人に作ってもらう世界で生きてるから、分野上、曖昧さが許されない。そこに美学というかポリシーを持ってやっている説すらある。線で全てが決まるっていうのは、結構緊張感のあることだと思う。立体作品が好きなのは、必ず選択を迫られる緊張感と、その結果立ち現れる形のその人なりの美学が好きなのかも。
逆に平面作品は、葛藤やモヤモヤも曖昧な状態のままに表せるから、立体を作るときには切り捨てられてしまうような感情も包括できて、感情の量が多いことが魅力な気がする。
映像はまた別で、画面の向こうは立体からできてることも平面からできてることもあるから、なんとも言えないけど、映像の本質は境界どうこうじゃない気はする。全部何が本質かは分からないけど。

藝大卒展、そんな感じで、すごく面白かった。

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