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【読書感想文】 『夢も見ずに眠った。』絲山秋子

地方と移動と生きることの仕方なきを

 再読であった。数年ぶりだったかと思うが、自分の中で何気ない時折々に浮かび上がる作品というものがあり、それは小説に限らず音楽であったり映画であったりするのだが、浮かぶための要因は分かっていない。何がきっかけでその作品が記憶の遠いところから浮かび上がってくるのかは。ただ作品は限られていて、その一作がこの小説であった。そんな作品群を個人的に「寄り添う物語」と呼んでいて、逆にそうして呼ばれた際に再読、再視聴をしながら記憶の中では間違ってしまっていたあらすじや設定なんかに気づき自分の変化にも気付かされる。嫌いではないのだろう、その体験が。

 絲山の小説を読むといつも、あぁ、この人は移動の人なのだなと思わされる。今作もそうなのだが、自らの運転であれ、鉄道であれ、その距離を想像することが億劫になるほどの距離を登場人物たちが移動する。そしてやはり著者が地方の人であることにも気付かされる。実際に群馬県在住である著者が描く地方には所謂取材によって短期間訪れる程度では実感できないような地方在住者の視点や感覚が滲んでいて、地方都市間で移動する際のロードサイドのなんとも言えない寂しさのようでいて、その地理的感覚からの想像を超えるような地形学的視点や古代から現代に至るまでの長いその地方に住って来たものたちの文化風俗内まぜの豊かさにも浸されるような独特の感覚が齎される。

 今作の主人公ふたりの物語にも彼らが生まれ後に住まうことになる各地を縦横移動し続ける描写がこれでもかと表現されているのだが、再読することで主人公夫婦、離婚するのだが彼らが訪れたそれぞれの地にてその風景に自らの人生を重ね思うことの重みがそこにあったのだった。
 彼らそれぞれが抱えた生きづらさというようなことの要因に生まれ育った家庭からの影響を思うようなことを以前読んだ際には意識しなかったのだったが、殊更そのことに思い至ったことには僕自身が近年同様に判然としない自身生きるということの不器用さの自覚から同じように生まれを素人なりに学びに至った時を経たことは大きいだろうか。
 
 僕個人離婚を経験したこともあるのだが、夫婦という結婚した関係性という単純さでは決して収まらない無数の多様さがそこにはあり、夫婦なのだよというカテゴリーに属しているという安心感だけでは乗り越えられない、夫婦ふたりは個々人であるということを再確認するしかないあの現実を想起させられ、人間関係というものを上手くやるということへの絶対に避けられない難関をあらためて突きつけられた。
 
 時と距離がふたりを互い大切に思うという関係に戻し、それは生きるということへの賛歌のような気づきに繋がり物語は閉じるのだが、それぞれが離れている間に出会い培った新たな関係がこれからのそれぞれにもふたりにも悪くはない未来に繋がっているようにも想像させ、希望という感覚も湧くような爽やかさが締めくくりにはあった。

 

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