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大好きな夫のこと

夫は、建築と音楽とサッカー(と私のこと)が大好きなおじさんである。

私には、トイレの回数から過去の失恋話まで詳しくなんでもしてしまうドラえもんようなお腹をした基本無口な人だ。

落ち込みはじめるととてもめんどくさい。

一重で切れ長の目でいかつい顔をしている。

私より背が低い。

私に必要な優しさをもっていて、繊細で、そして、とてもどんくさい。

夫婦喧嘩はしたことがない。

そんな夫には自殺未遂経験が2回ある。

夫は私と同じ統合失調症を25歳で発症している。

当時、大きな組織に人生が操られていると感じていた夫は、恐怖心から、オーバードーズを1回、歩道橋からの飛び降りを1回している。体にはそのときの大きな傷あとが今もある。

去年は3か月の休職と今年は1か月の休職を1度ずつしている。

統合失調症患者の私でも、夫の統合失調症の症状には、どうしたものかと頭をかかえることがある。

とすればだ。統合失調症など患ったことのない世の人はもっと頭を抱えているに違いない。

1年前だったろうか。

「統合失調症を患った家族にどう接すればいいですか。」と精神病の家族会の講演会を行わせてもらったあとに聞かれたことがある。

「服薬管理でしょうか。」

私は今思い返すととても恥ずかしい大きくずれた回答をそのときは返してしまった。

そんなこと統合失調症患者の家族が聞きたかったわけではないことは、

自分も伝えたかったわけではないことは、

講演会というとてつもない緊張から解放されたあとすぐわかった。

あれからずっと本当は自分がどう伝えたかったのか考えている。

「ただ、そこにいてくれればいい。」

そう伝えられたらよかったと今は強く思う。

そこにいるとは物理的なことをいっているのではない。

病気を発病した家族にとまどい、苦しみながらも、

悲しみや絶望を感じながらも、

憎んでも、恨んでも、

向き合わなくたって、逃げ出したって、

でも、ただただその人が、ただそこに存在してくれていたら、とてもうれしく私は思う。

「自分から変なにおいがしてみんなが困っている。」

という夫のおかしな愚痴を今日も聞きながら、

私はここにいようと思っている。








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