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ウルトラハッピー☆メンタリズム

今はまだ全て言えないのですが、生活のアレやコレで思考と行動がいつも以上に支離滅裂しております。

さっきふと思ったことがあって、そしたらタイトルのような状態になったのでnoteを書く。

時折SNSで『毒親育ち』を自称する人を見る。
そして『そんなの毒親じゃない!ウチの親なんてがうがうあぐあg』という人もよく見る。

『毒親』って100%毒じゃないタイプもいるのになぁ…というのがわたしの感想。

わたしにとって親は『毒親』だし、育った環境も『機能不全家庭』だけど、もっと酷い環境の人もいっぱいいるだろうし、そんな人たちからすれば『違う』んだと思う。

わたしの母親はとてもわたしたち姉妹を愛して常に心配をして、自分が出来ることはなんでもしようとしてくれる。

それでも毒親なのだ。

「体操着のジャージを持っていないから、買って欲しい」と言う。
うちは母子家庭でとても裕福とはいえない。だから買ってもらえず、わたしは真冬でも半袖短パンで体育を受けていた。
一方で母親は子供達を思い身を粉にして働いて、とても我が家の人数では食べきれない食料を買い込んでいる。中には調理済みのモノや子供でも手を加えれば料理になるものもあるが、殆どは調理もされずに腐って廃棄される。

なんだろう、需要と供給があってないのだ。
母親からしてみたら「お腹を空かせてひもじい思いをさせたくない」という愛情なのだけれど、それは今じゃない。違う、そうじゃない(鈴木雅之)

いつだってそうだった。
こちらの望むところは見えずに、見当違いの場所に労力と金をかける。
そして後々、ずっと言い続ける「あの時、〇〇してやったのに」と。

こちらとしては頼んでもない望んでもない善意の押し付けをされた挙句に感謝しろと言われているのだ。それだけならいいけど、母親はお金に困ると必ず過去のそれらを持ち出して金銭を要求してくる。

閑話休題。
妹が再婚する前に両家の親を交えた食事があったけど、その場で母は「片親でもお金に苦労することだけはないように大切に育ててきました」と笑顔で言ったそうだ。
全て知っている義弟は心の中で笑い転げていたし、未だに妹とわたしを含めて笑い転げられる。
真冬に半袖短パンの体育、高校も専門学校も是非にと進めてくれた推薦進学を断ったのも何だったのだろうか。

わたしはずっと母親のこの愛情が気持ち悪かった。嫌いだった。今もそう。

常々、母親や親族のようなクズにはなりたくない・ならないようにと思っているけど、寸分違わず同じになっているなと思う事がとても多くてしにたくなってしまう(気軽にしにたがるな)

一番自分を嫌だと思うのは、上記のような気持ち悪い見当違いの愛情を彼女に向けているときだ。
わたしは彼女に喜んで欲しいし笑って欲しいし幸せになってほしい。
でもわたしの出来ることは彼女の顔を曇らせるばかりだ。

あの気持ちの悪い愛情をもつ母親の気持ちが分かってしまった。
分かったところで和解なんか出来ないし、変わらず気持ち悪くて大嫌いだ。

だから早くわたしはわたしと離別したいのだけど、それはとても難しいことだなと一人暗い部屋の中で泣く事しかできない。

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