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高校の退学届を書く1

こんにちは。

突然ですが、これを読んでいる皆さんの中に学校を辞めたいと思っている方はいますか?
退学や転学をしたいと思っていても、学歴がなくなるのが心配、周りの目が気になる、辞めてから何をすればいいかわからない…など様々な理由で踏み出せない人が多いのではないかと思います。

私は高校受験をして私立の学校に入学しましたが、環境が合わず、高二の時に公立高校の転入試験を受けました。
後に詳しく書きますが、この試験はそうそう受かるものではなく、当然私も保護者も落ちるものと思い通信制の高校を視野に考えていましたが、結果はまさかの合格。
学年を落とすことなく公立高校に転入し、無事に卒業しました。

そんな私ですが高校の転入を決めるまでにはたくさんの苦悩や葛藤がありました。長くなりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
また、同じように退学、転学で悩んでいる人の参考になれば幸いです。

※私立高校の方針や在学時の教員方を否定するものではありません。あくまでも一個人の意見です。

そもそもなぜ高校を辞めたいと思ったのか

私が中学卒業後に入学した私立高校は、都内での知名度はそれなりにあり、在籍高校を答えた時に首を傾げられたことはありませんでした。授業の質も高く、毎年安定した実績を出しているので、大学受験という点において「ここにいればまぁ安心」というような立ち位置の学校でした。

正直、だからこそ息苦しさを覚えていました。

今まで真面目に勉強に取り組んできた子達の集まりだから、右を見ても左を見ても優等生。
高校受験が終わったばかりにも関わらず、来たる大学受験に向け弛まず努力を積み重ねている姿は同級生ながら尊敬に値しました。
しかし、今まで親や教員の言うことになぞって生きてきて、それで成功を収めているために、彼らの放つ言葉に疑問を抱かない。
文句を言わず大人の方向性に素直に従う子が大多数でした。

私は自分の意見を持たずに脳死で他人の言うことを聞くというのがどうも出来ない人間なので、何度も対立しました。
自分で考えて、自分で出した結論なのに、教員や親の言っていることと反すると注意される。私がどんな過程や根拠を持っていたとしても、返ってくる言葉は
「大人に反抗したいだけでしょ」
嘲笑され、耳も傾けてもらえない。高校生の無力さを思い知らされました。

私は、たとえ失敗に終わったとしても、自分でじっくり考えて行動することは本当に大切だと思います。
というより、大人の言うことに従って失敗したら、どうしても大人を責めてしまいますよね?
反抗期の痛い高校生の考えだと思いますが、あまり干渉してほしくなかった。失敗してもいいから、自己責任で色々と試してみたかったのです。

思えば学校の校則には教員の干渉度がよく現れていました。
進学校あるあるなのかわかりませんが、校則は私にとって信じられないくらい厳しく、スマホの持ち込みやバイト、化粧、髪の染色などはもちろん禁止。ほかにも靴下の長さや制服の腕捲り、寄り道禁止など、誰かに迷惑をかけるわけでもないようなものまでことごとく制限されていました(当然校則のほとんどには理由がありません。あの世界では大人がダメと言ったらダメなのです)。

腹を割って話せる友人があまりいなかったというのも要因の一つだと思います。周りにはお金持ちの子が多く、金銭感覚の違いに戸惑ったことは何度もありましたし、同級生の悪口で盛り上がっている人たちを見て、何が面白いのか甚だ疑問でした(もちろん全員が全員そうというわけではないです。これに関しては私が友達を作るのを諦めていたせいで、気の合う人を見つけられなかっただけです)。

教員が生徒の味方でなかったというのもあります。担任がホームルームで言っていた話ですが、

「以前私の生徒でいたんですが、現役の時に自分の志望校に受かったけど、親がダメと言って行かせてくれなかったんですね。でもその生徒は諦められなくて、2年後に同じ学校を受験して進学したそうです。だから志望校に関しては保護者の方々ときちんと話し合っておくように。」

保護者と志望校について話し合っておくのはもちろん大切なことだと思います。
しかし私が気になったのはそこではなく。
生徒と保護者で意見が割れた時に、教員が生徒を応援していれば、背中を押してあげていれば、そんなことにならなかったのではないかと、私にはそう思えて仕方ありませんでした。
私も受験のたびに保護者と受験校で揉めているので、この環境にずっといては自分に不利に働くと考えました。

ちなみに。転入先の都立高校でも保護者と受験校で話し合いが進まない、といった話を担任にした時に、「我々はあなたの味方ですから」と言ってくださって、本当に嬉しかったことを覚えています。本当にありがとうございました。

こんな感じで合わない環境で無理矢理学校に通っていましたが、だんだん精神を病んできて、夜眠れなくなったり、食事ができなくなったりして(自分の身長の標準体重−17キロぐらいまで落ちました)、心療内科やカウンセリングに通うようになりました。体力もないので月曜から土曜まで週六日も学校に通えるはずもなく…週四日は全ての授業を受けて、あとは遅刻早退たまに欠席で頑張っていました。
ですが、保護者には”ちゃんと学校に行っていない子”として映ったようで、殴られたり、私が大切にしているものを捨てるぞと脅されたり、さっさと死ねと言われたり(親にこんなこと言われると思わなかった)、書き出したらキリがないですが、味方になってくれなくてすごく辛かったのを覚えています。

家庭にも学校にも居場所がなくて、高一が終わる頃には、「辞めよう」と思い始めていました。転入試験を受けたのはそれからかなり後のことですが、この話はまた次回に書きたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
良いと思ってくださったら、是非スキを押していってください。


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