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いじめは【逃げるが勝ち】

いつの時代もなくならない【いじめ問題】。
ニュースになるものしか認知できないけど、実際にはこの社会で沢山まだまだ存在していると思う。

そのニュースを見る度、胸が締め付けられるような気持ちになります。

なぜなら、世の中にいじめ問題が出てくるときは「亡くなったあと」だからです。

最近、宝塚歌劇団のいじめ問題が表面化しました。

あれだけ厳しい世界なら、上級生からのいじめが起きるのは構造的におかしくありません。

最初、2月くらいに告発があった時は上層部含め全員知らん顔だったとか。

それもわかります。だれも「自分がいじめました」なんていうはずがない。

いじめている側はそれが快感になっているから罪の意識もあまりないんですね。

そして、被害者の方は家族から「もうそんな場所に行かなくて良い」って止められたみたいなんですけど、それでも「上級生に何をされるかわからない」と言って聞かなかったとか。

その結果、過労によって帰らぬ人になってしまうという最悪の液化になってしまった。

これを聞くと「なんでそんな場所に通い続けたんだ」「家族の言うことを聞いていれば…」
みたいに思う人もいるかもしれません。

でもいじめって閉鎖的な世界の中で起きているから、本人にとって逆らうことは死活問題だったと思います。

もし、そこで「辞める」っていう選択肢があったなら、どこかのタイミングでやり返していたでしょうし。

いじめは人間関係が生んだ闇といって良い問題で、上下関係や規則が厳しかったら生まれる仕組みになっています。

思い出してください。人類は「奴隷制度」という負の歴史を持っているじゃないですか。

あれ、人間の本能なんですよ。

自分より下を虐げることで自分のアイデンティティーが保たれる。

社会のルールというのは時にそういった歪みを生み出してしまうのです。

かくいう自分自身も、実は壮絶ないじめを経験したことがあります。

中学生の時、野球部に所属してたのですがいじめに耐えられなくて途中で退部しました。

陰湿ないじめでした。

世の中の風潮的に「女性のいじめはジメジメしていて男性はサッパリしている」みたいに言われますが、ハッキリ言って嘘です。

その証拠に僕はめちゃくちゃ陰湿ないじめを受けました。

当時は携帯電話も普及していない時代だったから、家の電話に執拗に無言電話をかけられたり、無視されたり、心ない落書きを校舎にされたり…

思い出しただけでも悲しくなります。

しかも、辛くて退部したいことを顧問の先生に伝えると、蹴られました。

もう一度いいます。

蹴られました。先生に。

もう、だれを信用していいのかもわからないですよね。

だから僕は逃げました。

すべてから。

部活から、学校から。

いま振り返っても正解だったと思います。

もしあのまま続けていたら精神ボロボロになっていたと思いますし。

この教訓は社会に出てからも活かされていて、超が付くようなブラック企業も経験したことがあるんですけど、そのときも問答無用に逃げました。

日本人は特に「逃げたら恥だ」みたいな固定概念を植え付けられている人が多いです。

でも、そんなの誰が決めたんですか?

戦だって、形成が悪くなったら一旦は退いて、もう一度チャンスを伺って一気に攻めるという定説があるじゃないですか。

いじめは本当に辛い。

自分の生きている世界がすべてのような気持ちになって、世界中の未来が残酷に見えてしまう。

だからこそ、今いじめで苦しんでいる人に伝えたい。

「逃げろ」

と。

逃げるのは恥じゃない。むしろ勇断だ。

日本は一度逃げたって、その人を社会から追放しない。むしろ寛容な方だ。

いじめなんかで命を失ってしまっては本当にもったいない。

だって、人間は別にそんな事しなくてもみんないつかは死ぬんだから。

今は苦しいかもしれない。

だけど、あなたの人生はここで終わりなんかじゃない。

この先の未来の方が長いくらいです。

最後に、昔の人が残してくれた超が名言をお伝えします。

「逃げるが勝ち」

都合悪くなったら尻尾巻くってやっていいんですよ。


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