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No1.を目指すよりみんな共感する目標の方がいい?

「No.1になりたいんです」

って言ったら、周りに微妙な目を向けられることがあります。

「無理じゃない」

って事もあるけど、

No.1を目指す=周りを蹴落とす

とか競争心が激しいとかいう印象があるんじゃないでしょうか。

その中でも、僕が感じるのは

「その目標は独りよがりで共感できない」

って事だと思います。

いつだったか、とある女性政治家が「No.2じゃダメなんですか!?」って激しく政治の場で罵っていたことがありました。

たしか、予算関連の話だったと思います。

それに対して、ホリエモンが「No.2じゃ意味がないんだよ。No1.じゃないと予算が下りないから」と一刀両断してました。

これは自分もはげしく共感しています。

なぜなら、オリンピックを見てください。

金メダルと銀メダルで全然価値が違うじゃないですか?

「いやいや銀メダルでもよく頑張ったでしょ」

って気持ちもわかりますが、実際に実績やその後メディアに報じられたり、世間的に賞賛されたりするのは金メダリストだけです。

また、ホリエモンも言っているように、例えば業界2位ですって言うのと業界1位ですっていうのとじゃ融資額も全然変わります。

もし、あなたが買い物をする際のレビューで「業界第2位の売上!」「業界3位の満足度!」みたいな文言あったら冷めませんか?

もし2位でもいいなら、そう書けばいいので全部「業界1位」「お客様満足度第1位」って文言じゃないですか?

その理由は1位じゃないと権威性が生まれないからです。

トップじゃないものに人は価値を感じないんです。

日本人には半官贔屓という性質がありますが、実際にお金を払うに値する信頼を得るにはNo.1じゃないと意味がありません。

「そうはいっても、やっぱり共感できる目標の方がいい」

って方もいるでしょう。

確かに、みんなが共感できる夢や目標の方が人はついてくる。

例えば、「自社の製品ですべての人に快適な暮らしを」とか「世の中の経済を活性化させて豊かにする」

といったミッションは人の共感を生み出します。

しかし、共感だけではビジネスにはなりません。

その共感すらも実績に裏付けされていないと、人々に良い影響を与えるどころか自分自身の生活すら危うくなります。

この世の中は資本主義社会です。

良くも悪くも、誰かが潤えば誰かが貧しくなります。

日本は貧しくなるといっても、餓鬼で飢え死にするということはありませんが、それでも差が生まれることは明らかです。

それに人を共感させる夢や目標というのは、周りの人の影響を受けます。

だから自分の夢というより自己犠牲の精神になることもあるでしょう。

No.1になるという夢も相当の努力が必要ですので、ある意味で自己犠牲も必要になるでしょう。

しかし、それは自分のための犠牲です。

さらに自分がNo.1になれば、会社や自分自身の事業に対しても圧倒的にPlusに働きます。

そうなると、あなた自信もあなたの周りにも良い影響が波及するでしょう。

独りよがりのように見えて、実は最も効率的で意味のある目標がNo.1になるということです。

その上で共感も大事です。そこは勘違いして欲しくないのですが、向上心も大事だと言うことです。

僕にはNo.1になりたいという目標に難色を表す人は、自分がそれだけ努力したくなかったら、無難で何でも済ませたいという逃げの姿勢を取っているようにしか見えません。

何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。

これは世の中の理でもあります。

リターンを考えても、活動する意味を考えてもトップを目指すのはそれぐらい価値のあるものなのです。

あなたもぜひ自分の業界や業種でNo.1を目指してみてはいかがでしょうか?

参考になりましたら。

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