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レイと、わたしと、妖怪。


私には5歳の息子がいます。
彼の名前はレイ。

レイにはお世辞にも「素敵だね!」とは言いづらい趣味があるのです。それはズバリ「妖怪マニア」だということ。このエッセイでも母はそれを、隠してきました。なぜかって、「可愛い」と言うよりは「おかしい」と言われそうだからです!なんて他人のせいにして。
実際は、そんな変わった趣味を持つ息子に対して、気持ちがのらなかったのです。そう、私自身のこころが、息子の趣味をよく思えなくて。そしてそんな母親ってどうなんだよ。と、なんだか自分のことがいけ好かなくて。
「普通の子じゃないかも」ってどこかで思う、自らの心に対して誤解を解くには、とてもとても時間がいったわけですね。それだけの話です。
ただ、今日そこんところがついに吹っ切れたので、彼と妖怪、そして私。私たちの歴史を語ります。また、私と妖怪の一騎打ちもぜひ、お楽しみください。まぁ人様の子供の話ほど興味ないものってないですよね。他人のペットの写真くらい興味がないでしょうが。「そんな子供もいるんだ。」くらいで、ぜひ読んでもらえたら嬉しいです。まずはジャブということで、今年のレイの、誕生日プレゼントを紹介します。他のお友達が、自転車や、リカちゃん人形なんかを買ってもらう中、彼が選んだのはこちらでした。



「天狗」のお面と、日本の鬼と妖怪。


はしゃぐ息子



「ようかいしりとり」でゲロを吐く母


レイが妖怪に目覚めたのは2歳の頃。
きっかけは、おかあさんといっしょで流れた
「ようかいしりとり」でした。アップテンポかつ、ノリの良い曲が好きだった彼は、この「ようかいしりとり」をYouTubeにて鬼リピしたんですね。まぁ彼の機嫌が悪い時なんか、それを流せば家族に平和が戻るので、母も乱用していました。そんな一見、「ようかいしりとり」に救われていた我が家ですが。一時期、コロナで閉鎖空間となった我が家には毎日。朝から「ようかいしりとり永遠リピート」の状態が続きまして。寝ても覚めても夢の中でも。飯を食うときも、風呂から出ても、車の中でも、ファミレスでも、朝から晩まで妖怪しりとりが流れていて。
いよいよ、2万回コースか?となった時、ついに母の頭がおかしくなり。ストレスでゲロを吐いたんですね。これぞ「妖怪しりとりでゲロ」母の伝説です。(お食事中の方、すみません)



「普通じゃない我が子」への心配


それからも息子の妖怪好きは加速していく一方でした。3歳になった頃には「なまはげが、子供を泣かせに行く」というYouTubeに、どハマりして。テレビからは子どもの泣き声が響き、繊細な私は胃が痛くなると言う始末。またある時は、周りの子が公園で遊んでいるとき。息子は「鬼、大図鑑」を読み漁り「ママ、ここ読んで〜?」と本を持ってきました。内容を読みきかせ、と言っても「鬼婆。子供を刺し殺し食べる。」みたいなことしか書いていなくて。息子は「へぇ〜!これが鬼婆が使っていた本物の包丁だって!!」とか言って写真を指差し、テンションを上げていて。なんだか私の心はいつも苦笑い。盛大な苦笑い。「すごいね。」と言いつつ、心のうちでは「我が子は将来、サイコパスになるんじゃないか?」と本気で心配で、心配で、心配で。「どうしてうちの子は、普通じゃないのか?」と頭を抱え、涙が出そうな夜もありました。なんだか今もこれを書きながら、笑えないくらいのものでした。

ただ、息子は人の心がないわけじゃなかったんですね。あの、ドラえもんを見せれば「のび太くんが可哀想っ!」と言いチャンネルを変え。ポケモンを見せれば「ポッチャマがやられちゃうよ〜」と、バトルシーンでえんえん泣いちゃう男の子でした。なんだかそれを不思議に思う母が、「妖怪はやられてもいいの?」と聞くと「可愛くないからね」って。
あぁ、そう言う感じ?

息子の変化。母の変化。

というわけで、サイコパスを心配していた母でしたが。これが予想外の形で息子に降りかかることになります。息子はある時から、口癖のように「レイくんにはできない。」「レイくんは、馬鹿だからね。」「レイくんは、やらないよ。」を繰り返すようになったのでした。息子の世界は見て取れるように狭くなって。というよりも、何かにつけ挑戦することを怖がり。
自ら、世界を狭くしているのが分かりました。その時母は「なぜ?」「どうして?」いつからレイはこんなに自信のない子供になってしまったんだろう。と非常事態にこころが真っ暗になったのです。が、勘の良い私はすぐに気がついてしまった、、。私が、いけなかったのだと。

「それは、おかしいよ〜。」「その本は、やめなよ。」「その動画は見ない方がいいよ」「やめて!こぼすからやめて!」「そっちじゃない方がいいよ。」「それは、普通じゃない。」と、何から何まで息子の可能性を潰してきたのは、まぎれもなく。私だったんです。

その当時の私は心底、恨みました。自分をです。後悔なんかじゃ済まない悔しさと罪悪感に襲われては、自分の育児に呆れ果て涙は止まらず。何処にいっても「ダメ母」のワードが目につくようになり。自分の育児も自分自身も。そして息子までもが、この世から否定されているような恐怖に怯えました。そうしては「最初からやり直したい」と気を落とすたび、そう思うことさえ息子に申し訳ないと。

死ぬほど泣きましたが、泣いている場合なんかじゃありません。

ここで私は、涙を流しながらも自分の羞恥心を真っ先に捨て去り、育児について必死になって学んだのです。特に「母親の心理」について。自分に問題があるって分かっていたからですね。心理学や教育についてとにかく、とにかく、とにかく!と。

ただ、そんな気合いとは裏腹。
必死に学び得た方法は目から鱗。誰にでも出来る簡単なことだったんです。それはただただ、
こどもを、肯定すること。

「いいね!いいね!」「良いもの見てるね!」「良いもの選んだね!」「あなたらしくて素敵!」「あなたに出来ないことなんてない。」
「いつかできるようになる!」
「あなたが生まれてくれて、よかった。」
「あなたがいるだけで、ママは毎日が幸せなの。」と。

母が変わり。息子が変わったのです。



5歳の息子と、将来の夢。

それから時を経て、5歳になった息子は今、「レイくんは、なんでも出来るよ!」「レイくんは、すごいんだよ?」「レイくんは、偉いんだよ!」って毎日のように話してくれます。若干、自信が満々すぎるくらいです。よかった。

そんな前置きがあって、今日なんですけどね。
私たちは、初めての新幹線に乗り、バスを乗り継いで、2時間半かけて「新潟、妖怪まつり」を訪れたのです。そこで息子は人生で初めて「妖怪」がコンセプトとなるイベントを楽しみました。涙が出るほど喜んでくれましたね。
そこには、妖怪の小物屋さんがあったり、妖怪のお面が描けたり、妖怪仮装コンテストがあったりと。何から何まで「妖怪マニア」のためのお祭りが用意されていて、そんな夢の世界に喜ぶ息子をみて、私は思ったんです。ここには「妖怪好き」が沢山いて、妖怪を生き甲斐にしている息子の仲間がいる。息子は素敵だった!妖怪は素敵だった!って。

私たち、それが一番、嬉しかったんですね。レイは妖怪好きのおじちゃんと楽しそうに語っていて、「将来は妖怪博士になる!」と。それをみんなが、応援してくれて、母は嬉しかったんですね。

レイは帰りの新幹線で言いました。「妖怪が好きな人がいるとめっっちゃ嬉しいんだね!ね!ママ!」って。それが本当の幸せだね。息子が自分で見つけた幸せをみて、母はいつまでもいつまでも、胸の高まりが治まりませんでした。そして、これからも息子の幸せのお手伝いができたらいいなと。私も胸を張って「私の息子は妖怪が好き」ってこれからは、言えそうです。

まとめ


育児には、正解と不正解があるのかもしれません。ただ、社会はそれを知っていますが、母親はいつも手探りなんです。その子の母親だからって、正解なんて知りません。だって、なにもかもが初心者なんだから。生まれてから全てが一発勝負の世界で。誰も教えてくれないのに、一問も間違えないなんてあり得ない!無理な話なんです。それに「不正解」を通るからこそ、今日のような感動に出会えたんだと、私は思います。

ただ、母親であればどんな「不正解」も諦めずにいてほしい。どんなに非難を受けようが、子供や、自分を諦めないで探し続けてほしいです。だって母親には必ず、「不正解」を「正解」にする力がありますから。

あなたも、私も、こどもたちも。
これから何があってもです。

すべては正解になる。

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