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「自信」🟰


いつも「自信がない」と言い、
いつか「自信がつく」と思っていた。

そしてここらで大暴露をすると、過去の私は「自信のある人」のことを心のどこかで常に馬鹿にしていた。態度のデカいやつは「失敗して恥をかけばいい」と思っていたし、自分はできたらああいう恥ずかしい人にはなりたくないと言っていた。人に気を使い、人から「良い子」だと喜ばれ、慎ましく生きることこそ正解だと信じていたのだ。

だが今になって私はその「自信のある人」になった。そしておそらく数人はあの頃の私と同じく、私のことを「失敗すればいい」と心の奥の方で憎み、面白くないと思っているだろう。それでいい。その図はきっとこの世にあり続けるし、人が成長するための過程みたいなものだもの。

というわけで今夜は私が「自信のある人」になった方法を書きます。ここで重要なことを伝えたいです。結論、自信をつけるためにどうしたのか、というと方法は一つ。




「自信の前借り」をしたのです。




というのもですね。
私はあの時、自信がない自分にうんざりしていて狂ったように「ある奇行」に出たのです。それが「自信の前借り」。それこそ誰にも許可を取らず、誰からも褒められていないのに、かなり勝手に「自信」を持ってみたのです。

経験もない、容姿も変わってない、住まいも貯金も、恋人との暮らしも、態度も何も変わってないのに。「今日から私は「自信がある」と言ってみよう!何がなんでも自信があるフリをしよう!」と。

そういうことにしました。

それはもう行動も言動も、自分から放たられる全ては「自信があるフリ」。それは姿勢や、歩き方や、服の着こなし方、子供との会話、休み方、SNS、ラインの文章にまで全て。何も根拠がないまま「私についてくれば大丈夫!」みたいなことを言いました。

もちろん最初は震えて。

「周りにどう思われるか」という恐れで
どうにかなりそうでしたが、そんな気狂いみたいなことを続けていくうちに私はある大切なことに気が付いたのです。


それは
自信」というのは「経験」ではなく
「自尊心」が比例してついてくるものだと。



何を言っているかって、
たとえば以前の私は「自信がない」のをいいことに、行動や、言動、生き方を周りの流れに合わせて決めていました。「誰か」に決めてもらい、「世間様」に合わせておけばいい。そうすれば傷つかないし、怒られないし、嫌われないし。でも、そんな私にはどんな経験が増えても自信がつかなかった。
「私はまだまだ」と言い続け、心にカビが生えたまま、「ぜんぜん凄くないんです〜」と言葉に漏れ、態度に漏れ、暮らしに漏れていたのです。そうして窮屈になった人生に自ら苦しみ、無意識に自分を蔑んで、落とし込んで。


反対に。「自信があるフリ」をしだしてからというものの、自分の意見や暮らしや、行動をすべて自分で決めることになりました。それはイコール「勇気のある毎日」だったのです。

勇気を振り絞って暮らすじぶん。

いつしか「本当の自分」にも味方がいることを知りました。それは今までの人生には存在しなかった。何よりかけがえのない喜び。内から湧き出る自尊心に涙が出るような胸の熱さがありました。


勿論、離れていく人もいたり傷つくこともあったし、自分の無様な姿をまじまじと見られてしまったり、自分に失望したり。散々でしたけど、そのたび自分はどんどん成長し、自立したので結果オーライ。そうして強く未来を生きることへ「私は大丈夫だ。」という自信がついていったのです。


だから今になって思うのは、


自信とは、経験の多さじゃなく、
自信とは、自尊心なのだろうと。

それはつまり、
「自分を尊重した生き方」これが内から放たれていつしか「自信」に繋がっていくのでしょう。


だから最後に「自信がない」あなたへ伝えたい。まずあなたがやるべきことは、「自信があるフリ」でいいんです。実力がなくて失敗して、ダサくなっちゃってもいいから試しに勇気を出して「自分の暮らし」を決めてみてください。食べるもの、関わる人、自分の職、自分の育児、自分の発言、自分の意思、自分の行動。そうして自分を尊重して生きてみて初めて本当の結果、本当の味方、本当の敵、本当の人生、本当の「自信」が生まれます。



自分を信じること。話はそれから。

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