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今日がクライマックス


この人生が、ドラマだとして。
私は、今どんなシーンにいるのだろう。


少し前までの私は、いつもそんなことばかり考えていた。あとどれくらい頑張ったら社会に賞賛される?あとどれくらい頑張ったら「当然っすよ」と胸を張れる?あとどれくらい頑張ったら、自分は自分のことを認められるのだろうと。そもそも。この「今」を、笑って振り返る日が来るのだろうか?それとも、全てが無駄になってしまうのだろうか?って。
そんな風にいつだって不安を抱えながら、自らの価値を誰かに確認したくて仕方がなかった。でも、お望みどおり「あなたは、いつも頑張っているよね。」と言われたところで、心の隙は埋まらなかったのだ。きっと世界中の誰よりも「自分」が。自らの価値を認めない限り欠陥は底なしなのだろうと。愛は欠落したまま。未来に飢えてしまうのが私だった。それはきっと、私の長所であり、最大の短所なのかもしれない。なんて

そうやって私というヤツはいつもどこか、
悲観的で辛気臭かった。

ただ、そんな事を周りの誰かに言える訳もなく。Instagramみたいな表ではひとしきり、優しさのみどりをチラつかせておいて。根は嫉妬の塊みたいなもんだった。ちょうどあの、「がじゅまる」の幹みたいに。それはもう全然隠せてなくて。太く歪んだ、自分の意思が見えちゃってたんだ。私は「しあわせを呼ぶ木」なんて、お人好しで終わりたくないっす。と、言わんばかり。心が叫んでいて。つまりは、「変わりたい。」そう思っていたわけです。


ただ、思っているだけの自分では何かが変わる訳もなく。アツい思いとは裏腹、ことあるごとに何にでもつまづき。社会の評価に焦り、他人に負けて、自分を蔑み、未来を黒く染めて。「自分に期待する度、裏切られるじゃん。」ってそこそこ不貞腐れていた。そんな誰よりも人間味溢れる、いやらしさこそ、ウケのいい主人公だったのかもしれないね。
そりゃあ、似たところで言えばのび太くんでしょ。アイツには、ドラえもんがいるけど、私には、あんな便利なヤツいないやん。って、そう思っていた訳です。

このまま話は逸れるけど、のび太くんって。「アニメ史上最強の出来損ない」だからこそ大衆にウケたのだろう。誰もが、心の何処かに「のび太くん」を抱えているのだ。何をやっても上手くいかず、他人から馬鹿にされ、ズルをしてでも自分は、有利でありたい。
そんな腐った人間味溢れる、お人好しの「のび太」だからこそ、応援され続けたのだ。
ならば私も。のび太らしく、この情けない姿を隠さず生きよう。
そう思った訳です。

「あのドラマ、面白かったけど。最初だけだったよね〜」とか言われたくない。今が一番面白くて。私のドラマは1週間おきに放送されていて。一話逃したら、観客は全くついていけない。と言わんばかりのスピードがあって欲しいんだ。それは私の心の話だよ。私の心の良いところは、誰にも止められないところだ。

母親だから?妻だから?今はそうだとしても、止まらないスピードが欲しいなっていつも思っている。こちとらドラえもんみたいな便利な奴と会えぬまま放送が続くのかもしれない。それでも。それでも、いつもそばで応援してくれる視聴者がいる限り、のび太くんは自分の力で、のび太くんらしく。誰よりも人間を曝け出してやっていきますよ。



もう

「いつか」なんて言わない。毎日がクライマックスだからな。コレが今日の実力。今日の私。そんなところです。

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