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ちがう夜。



「レイとまた会えるのは、明日のお昼頃だね。いっぱい遊んでおいで!」

と、私が言うと、レイは困ったように眉毛を下げて返しました。

「ママ、そんなこと言わないでよ。」




というわけで5歳の息子、名前はレイ。今日は生まれて初めてのお泊まりに行っています。私はこの5年間、どんな夜も肌身離さず大切なレイを抱きしめて夜を明けてきたのですが、今日という今日は違う夜を過ごします。もしかしたら息子じゃなくて、母が成長する今夜なのかもしれません。というわけで、親心がぜんぜん明けない夜のエッセイを、始めます。

まずは旦那さんと私ですよ。夫婦でゆっくり過ごせる「夜」はこちらも産後初めてということで。ここぞと言わんばかりに夜遊びをかましてきました。夜遊びといっても開始17:00。手始めに、私と旦那さんが初めてデートをしたラーメン屋さんへ。ここはもうお決まりなんですけどね。今までも記念日なんかの特別な時間ができたら、必ずと言っていいほど訪れた駅前のラーメン屋さんです。つけ麺と、砂肝が美味いんです。砂肝なんて、子供がいたら噛みきれなくて、ぐちゃぐちゃになった肉を口から出して母に食べさせるのがオチですから。今日という今日は心置きなく砂肝ですよ。ただ、あの頃とは違うことがひとつあります。ハイボールではなく、ノンアルコールビール。いつ愛する息子からのSOSがあるか分かりませんから。いつでも駆けつけられるようにノンアルコール。

18時。それから、私たちはもう少しだけ夜遊びがしたくて。ラーメン屋さんを出て、アイスを食べに行きました。歩いて10分ほどのところにある話題のアイス屋さんです。蒸し暑い夜道を10分で歩き切るそのスムーズな早歩きは見事だなぁ。と、私は歩きながら思うのでした。レイがいたら、25分はかかるなぁ。疲れたって言っておんぶでしょ?まだ着かないの?って5回は言ってる。なんて脳内に、我儘なレイを再生しながら。そんな想像をしてる間に到着でした。
アイス屋さんで頼んだのは、紫芋のアイスと、黒ゴマのアイス。どちらも息子が嫌いで、私達が好きな味です。ふたりはベンチに腰掛け、ゆっくり食べるアイス。まずは子供に一口じゃなくて。一口目で食べるアイス。二人の感想は「美味しい」と同じくらい「不思議だね。」でした。レイがいないことが不思議でならなかったのです。そして会話は息子のことばかり。「レイだったら一口食べて、甘くない。とか言うね。」「レイなら、ふざけて踊り始めるよね。」「レイだったら、もう帰ろうよーって100回くらい言ってるよね。」

今日は、レイがいないね。


それから帰宅した私たちには不思議が続きます。いつもはソファを陣取って、YouTubeを見ている息子がいませんから。そこら無音が散らばるリビングでした。そんな寂しさを誤魔化すように笑い合うのが二人。

それからいつもは3人で入るお風呂に、二人で入ることにしました。「ゆっくり入れるね〜!」なんて言いつつも気恥ずかしいのが二人で。いつもは狭い湯船に、足を伸ばして入るのが母で、いつもはレイとふざけてばかりの湯船に、無言で入るのが父でした。レイの声が鳴り響かない浴室に、何かを思う両親。口を開けば「不思議だね。」って。二人笑いあうしかできないのが変な感じです。
「私達、昔はどうやって過ごしてたんだっけ?」なんて頭を悩ませ。今日は、あの小さな身体を拭くこともないし、サラサラの髪の毛を乾かすこともない。いつもは意味わからんYouTubeが流れるリビングに響くのは、やっぱり無音でした。そしてこのエッセイを書き終えて、

これからレイがいないお布団に入るとき、私はもっと寂しくなる。もっと悲しくなる。もっと怖くなる。そう言うことがわかります。たとえば息子が大きくなって、自分の部屋で私と別のお布団に眠る夜が、容易く来ることが分かります。たとえば息子が大きくなって、友達とご飯に行ってしまうことも分かります。たとえば息子が大きくなって、一人暮らしをする。お別れの夜が分かります。たとえば息子が大人になって、違う家族と住むことが分かります。たとえば、息子がもし。

もし。いなくなってしまう世界があったら、こんな感じなんだって分かります。

初めて過ごす、違う夜に。私はどんなに毎日が幸せだったか、分かります。

大切な人の明日があることは、幸せでならないのですね。私もあなたも、大切の人のために生きないと。って。そんなことが分かって、怖さを抱えて眠る。母が成長の夜でした。当たり前の明日が来ることは、なによりもの幸せ。

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