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ソファに沈んで


静かなリビングでひとり。ソファに沈み携帯をいじっていると、どこか本当にダメな自分になってしまうようだ。日中はあんなに元気な私なのに。私という奴は、昼と夜で別の生き物なのだろうか?はたまた、夜がこのまま明けないような闇を深くして。さまざまな不安を掻き立てるようになっていて。どこか恐ろしい力を持っているのだろうか?

とにかく夜になると私の心は、忙しない。何かをしていないとイケナイ気分になって、iPhoneの画面に飛び込んでは、様々なアプリを行ったり来たり、電波を走り回ってしまう。情報を知っていれば知っているほど「大丈夫になる」と思っているらしい。息継ぎをする間も無くアップアップ。いつのまにか電波の波に、溺れているっていうのに。

「時短レシピ」を知っていたら大丈夫?
「推し化粧水」を知っていたら大丈夫?
「痩せる運動」を知っていたら大丈夫?
「モテる女のテクニック」を知っていたら大丈夫?「死ぬほど学びになる本」を知っていたら大丈夫?

それから誰がどうで、彼女はこうで、私はこう!なんてことも。いちいち確認しては、自分とは違う世界が広がっている様子に気づいて。実は、何も、大丈夫にならない。

ということでまた、親指は画面をスクロールして、スクロールして、スクロールして。終わりのないスクロールをしては、もっともっと大丈夫をくれ。大丈夫をくれよ。なんてしてる間に、脳は一周回って

「退屈だ。」ということになる。

それで私はソファに沈んだままあくびをして画面を閉じるんだ。あれほどまでに、多様性を見せつけてきた画面上の可能性、全てが何もなかったかのようになり、「無駄」として手のひらに収まっていく感覚。これには毎度、うんざりする。脳だけは、アレコレ知ってうんと惑わされたっていうのに。
こんなのないじゃ無い。

結局このままの私がぶつくさ言ったところで、現実の時計を見上げては、驚くほど夜が進んでいることを思い知らされる。やっぱり本当に、ダメな自分になる。ダメな自分になってしまう。。





そう考える夜、忙しないと思っているのは私の頭だけで。体はずっとソファに沈んだままだなぁと。分かってしまったのだ。


だから本当は、ここまで書いてきた全部が違うんだろう。それは誰のせいでもない。現実と理想に折り合いをつける作業が、どこか曖昧な自分のせいだ。だからこれからの私。もっと画面から外れたところで、もっと汗をかいて、もっと走りまわった方がいいのだろう。そこには圧倒的に手間が必要だけど。

朝、早く起きて。眩しい太陽を拝んで。ヨガをして、瞑想をして。ちゃんと旦那さんに「おはよう」を言って、炊き立ての美味しいお米を噛み締めたり、熱いお味噌汁を飲んだり。大切な人を幸せにするためだけに一生懸命、お仕事をして。それでこの闇のようなソファに落ちるまもなく、いつだって大好きな人と会う明日を楽しみに、眠るんだ。

時には、会いたい人に会うために何時間もかけて。自分の字で手紙を書いてみたり。

その方がきっといい。
誰かの理想と擦り合わせることばかりの小さい画面とサヨナラして。美しいシーンで魂を埋めていくんだ。その方がいいに決まってる。




そうと分かったら、「大丈夫」を集めて、
生きていることに意味を持たせようとするなんて、みみっちい事。暫くは、よそうと思いました。さぁ、明日は早起きだ。


おやすみなさい。

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