「会いたい」と「愛してる」は違う
自分にとって、本当に大切なことや
譲れないこだわり。
絶対に許せないこと。
心から愛しているもの。
そんな
それぞれの「正義」と呼べるものは、
人によって、全く違うものだ。
誰にでも
「正義」はあっていい。あった方がいい。
というか、普通はあるじゃん。と
私は、そんな風に思っているし、
だからこそ、人間界の掟。
「人と人は分かり合えない」ということが
大前提のなかで生きている。
だが時に。
愛するものを守るため、
「自分の正義」を、犠牲にすることが
あっていいんじゃないかと思う。
「自分の正義」を少しだけひっこめて
何も言わない優しさがあっても
いいんじゃないかと思う。
それが、
本当の「愛」なのかは
さておき。ね
「大切にしたい人」がいるって
そういうことなんじゃないかな。と
ふと、思う日があるよ。
5/1
今日は、高校時代の同級生達と会った。私を含め、4人でランチといったところ。こうして集まれたのは数年振り。普段はそれぞれの誕生日になると、グループラインで「おめでとう」を言い合うくらいの。旧友だ。初めは少し緊張していた私だが、話し始めればすぐに。あの頃と同じ。会話にはあっという間に花が咲いた。少しだけ大人になった私達だが、「あの頃と変わっていない」それが嬉しくて、妙に懐かしくて、心はくすぐったかった。
ただ、「あの頃と変わらない私達」は
ちゃんと大人になっていたんだ。
みんながみんな
異なるライフスタイルを送る中だった。
恋愛も、仕事も、子育ても、住まいも。
恋人も、性格も、大切にしたいことも。
何もかも。全て。違う4人が集まった。
私たちの年齢はちょうど。
女性による
ライフステージの変化が著しい。
仕事か、こどもか、結婚か、キャリアか。
何を取るか?何を残すか?みたいな
よくある話だろう。
例外になく、私たちもそんなもんだった。
それでも、
みんながみんな
話を真剣に聞いていた。
時にうなづき、時に涙を見せ、時にお腹が痛くなるくらい笑いながら。かけがえの無い、仲間だった。少なくとも私にとって、その時間は、「名残惜しい」という言葉が似合うくらい。
あっという間に過ぎ去ったんだ。
それで、
ここから話は変わるけど。
私には職業柄、ある「癖」のようなものがある。
こういったランチになると忽ち。
その「癖」は発動する。
会話の中、誰かがした一つの発言に対し、
誰は、どこを読み取って、
誰は、どこを持ち帰り、
誰が、退屈で
誰が、誰は、誰が、誰は、
場の空気がどうなっているのか。
というところを
会話中にひたすら心配してしまう癖があるのだ。
そうなるともう、
会話に「最善を尽くそう」としてしまう。
それが辛いと思ったことはない。
ただ、
私がどんなに最善を尽くそうと
ある一言で、
誰かは喜び、
誰かは傷つき、帰ったかもしれない。
ある一言が、
誰かにとっての、安心で
誰かにとっては、胸が痛む。
そんなことが、悲しくも、よくあるんだ。
あってしまうのだ。
それはもう、人間が人間である以上
「感情」を。
「思考」を。
完全に阻止することはできないからだよね、
なんてまぁ、話は戻るんだけど。
それで、
それで例え
今日の4人のうち誰かが
「傷ついたわ、しばらくは会いたく無い」
そう言ったとしても。
それでいいんだと思う。
もし、それが私だったとして。
私が
「もう、あの友達に会うと傷つくから。」
「今は、会いたく無い」
そう思ってしまった側になっても。だよ
会えなくなっても、私は心から
彼女達の幸せを願っている。
彼女たちのことを愛している。
そのことに変わりはない。
「会いたい」と「愛してる」は
少しだけ、違うんだと思う。
またいつか、会えたらいいな。
会えた時には、笑い合えたらいいな。
それで、大丈夫なんだと思う。
みんな、どうか元気でね!また会う日まで。