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命の重さと、光と、レイ


私には4歳の息子がいる。
名前はレイ。


レイは、覚えたての日本語を巧みに使うのだが、数少ないボキャブラリーの中から並べてくる会話は、いつもどこか尖っている。


ある時は突然、
「泥棒はいつくる?明日っぽい?」
と聞いてきた。


また、ある時は突然
「ママは保育園の新曲、知ってる?」
と、聞いてきて
「ん?知らないよ、教えて」と返すと
答えは普通に「にんげんていいな」だった。


また、ある時は突然
「ママ、今日何時まで仕事?
100時くらい?
台無しになりそう?」と聞いてきて
私はケラケラ笑った。



そんな時のレイは、必ずと言っていいほど
「ママ、なんで笑ってるの?」と
聞いてくる。私は
「何でもないよ」と言いながら微笑むんだ。

きっとその笑顔は
これまで生きてきて出会ったどの恋人に向けての笑顔よりも、柔らかい眼差しだろう。





3/5





今日は日曜日。珍しく家族三人
お出かけもせず、のんびり過ごしていた、
お昼前のことだ。

レイは
リビングの床にレジャーシートを広げ
魔法の絨毯を作っていた。

「ママも乗る?」と誘ってくれたので
お邪魔してみたんだ。
絵本や、ミッキーのぬいぐるなんかも乗っていてなんかちょっと狭かった。

「これ、ちゃんと飛ぶの?」と聞くと
「飛ぶわけないじゃん」と答えてくるので

私がいつもの如く、ケラケラ笑いながら
レイの隣に座ると、

その瞬間。

なんとも言えない光に包まれた。





レイの周りにはいつも、暖かい光が灯されているのを私は知っていた。
その光はキラキラしてるのとは違くて
ぽわぁっと、蛍の光より少し弱く、でも
まぁるく光っているくらいのやつだ。

私がレイにそれを感じた時にだけ、

私の体もぽわぁっとした灯りに包まれる。
そして大概、その光はすぐに消えてしまうのだけど、無くなったわけではなく、私の魂のどこかに、スーッと入り、ちゃんと残っていくんだ。

今日の私は魔法のじゅうたんの上で
そんなことを思いながら、
レイが放つ、柔らかい光に包まれた。

「お昼ご飯を作らなくてはいけないんだった。」と
魔法のじゅうたんを降りた時、
光は消えた。






そして、お昼ごはんを食べる
ダイニングテーブルに
旦那さんと私と、レイの3人。

「もう春だね、日差しが伸びたよね」のような会話が増える夫婦に対し、

レイは違和感を感じたのか、不思議を感じたのか、ふと窓の外遠く、春の日差しを覗きながら

「ママ、今日は夜にならないってこと?!」
と聞いてきた。

その瞬間、私は再びあの、
ぽわぁっとまぁるい光を感じたんだ。そして私自身も光に包まれながら聞いた。

「夜が来なかったらどうする?」


するとレイは

「最高だよ!
だってレイは、一生寝なくていいもん!」
と満足げに応えた。

その時、
私を包む光がもう少しだけ、強まったのが分かったんだ。

なんて。
そんなことを思いながらも
「そろそろ洗濯を干さないと。」と
席を立った瞬間に
光は消えた。





とても曖昧で、目には見えなくて、
うまく言葉にもできない。

それでも私には、

レイが放つその「光」を

確かに感じることがある。


それは強くも、鋭くも、キレイでもなく
満ちていて、優しくて、穏やかなもの。


その「光」の意味がわかる日は来るのか?
わかってしまった時の私は、どんな表情で、どうやって立っているんだろう。想像しても、想像しても、今の私には到底わからないことのように思う。


ただ、

今、

できるだけ多く。できるだけ多く。

その光を、
集めておかないといけない気がするんだ。

レイの放つ光は

4歳の今が1番強く、わかりやすいんじゃないかって。そんな気もしてる。









子供だけが放つその
美しく柔らかな光を
大人は大事にして、

大切に大切に、胸にしまっている。







命の重さっていうのは、そんな光のことなんじゃないかな。

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