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「きっかけ」について




私はいま、ドロドロしたつまんない毎日から「いちぬけたー!」と呑気になってみたところだと思う。景色は明るいし、周りの人は温かいし、毎日は活気に満ちていて「普通に暮らすこと」がとてもじゃないけど「幸せ」だと思えるようになったんだ。「私ならこの先、何があっても大丈夫。」なんてホラも吹ける。以前はそういう態度のでかい奴や、偉そうな奴こそイケスカナイと思っていたのだが。そんな皮肉と仲良く手を繋いで生きてきた人生から抜け出してこうなったことを、私はいま、良かったとも思っている。

あの頃、しんどかった私がこうなる「きっかけ」を人は知りたがるのかもしれないし、私もみんなに伝えられたらいいと思っているよ。(そのことに近頃は奮闘している。)なぜかって自分だけ「いちぬけたー」って言うのはやっぱりあんまり良い気がしないし、自分だけが幸せなんてことをきっと神様は許さないし、私はそういったゲスイ人間にはなりたくないからだ。これでも楽しいことはみんなに教えたいタイプのお人好しこと私なのである。


というわけだけど。結論を言うとね。
そもそも「きっかけ」なんて言い方をしてるのがちょっと違うみたい。神様全くもって甘くないから、「きっかけ」は待っていてもある日突然降ってくるものではないんだ。

「きっかけ」を自ら掴みにいった時にこそ、神様はふと手を差し伸べてくれるものなんだと思う。きっかけって自分の意思の塊みたいなもんだよ。

自分が前を向いたその時に、神様はそっと力を貸してくれるんじゃないかなって、やっぱり神様はツンデレなんだと思う。本人の気持ちが無ければどんな親切も無駄になっちゃうからね。

あの頃の私はいつも電気が消えた廊下を歩くような感じで。のび太くんのメガネが無くなった時みたいに、両腕を胸の高さまで上げながら前に伸ばし、恐る恐る人生を歩いていたんだ。それはそれは周りがいつも真っ暗で、勢いよく歩いたら目の前の壁にぶつかるんじゃ無いか?痛い目見るんじゃ無いか?下手したら後ろにひっくり返って階段から落っこちるんじゃ無いかっていつもいつも心配しながら生きていたんだ。けどある時。そんな人生に嫌気がさして、未来を掴みに行った。手探りで壁についているスイッチに手を伸ばしたんだ。
一歩踏み出した途端、世界は明るくなったんだよ。


今を楽しく生きるための「きっかけ」は
降ってくるもんじゃない。
掴みに行くものだ。
誰よりも信じるべきは自分の意思なのだろう。

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