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はじまりの日に思うこと



「あけましておめでとう!」と、乾杯の唄が聞こえた少し後。あの子は瓦礫の下だって。信じられなかった。信じたくなかった。さっきまでの当たり前は消えてなくなった。冷たい雪、化け物みたいな海、なにもかもを燃え尽くした黒い煙が佇むのは、テレビの中じゃない。自分の住まいから繋がった、ただ少し遠いだけの地面の上だった。
「元旦からこんなのって、、ないよ。」私の心臓は重くなって喉は詰まり、しばらく肩を落としたまま。あったかい湯船に浸かっていても息子との会話は聞こえなくて。悲劇を思い出しては呑気な湯気が浮かぶ様子を、ただただ見つめていた。あの人たちはいつ、暖かい湯船に入れるのだろうか。
自分には足元が暖まり、血が通うことが随分幸せなことのようだと知った。それから風呂を出た後の正月番組はどれもしっくりこなくて、やっぱり楽しむことは申し訳なく思った。

「たまたま私じゃなかっただけ。」

この世の中のすべて、そういうことなのだろうと思った。紙一重で幸せが続いているだけ。どんな努力も夢も、ほんの一瞬で消えてなくなる。人間ってやつは本当に繊細で残酷な生き物なんだって、悲しくなった。
そういえばG-FREAK FACTORYのボーカルが言っていた。「平和な者には、平和を願う気持ちなんてわからないだろう。」って。そういうことなのかもしれない。けど私はいま、痛む心があって。隣に下敷きになった者を他人事だとは思えない。「私なら大丈夫よ!」なんて無碍に笑えることが「健康」だとは思えないんだ。心の話だよ。平和を願う被災者と同じ気持ちにはなれないのかもしれないけど、

ほんの少しでも周りに向けて愛を与えていくこと。だれかの心を救うために努力すること。自分のエネルギーや愛や命の可能性を無駄にしないこと。私はこの痛ましい地震のニュースからそれを学んだ。2024のはじまり。どうかどうか、ここから悲しみに負けないで。希望を離さないで。生きてください。

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