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相談に答える



「他人を羨んだり、ひがんだり。
心がいつも辛いです。
それに、心の状態が悪くても
誰も助けてくれません。」


と、相談を受けた。
それは見覚えのある感情だった。

私には似たような理由で、自殺を試みたことがあるんだ。あの頃の心情は割と鮮明に覚えていて、ひとことで言えばいつも自分のことを「みっともない」と思っていたんだ。他人が活躍していくたびに焦燥感に追われ、他人が愛されるたびに「私は?」って寂しくてメソメソした。ちっぽけな自分が、誰からも見向きもされない孤独な世界だった。そんな自分から目を背けたくて、沢山薬を飲んだり逃げるような気持ちで眠った。そうして目が覚めると活気に満ちた太陽が世界を照らしていて、心底うんざりしたことをよく覚えている。毎朝「今日」が始まることに絶望していたんだ。

それから通勤時。ふと隣を見るとショーウィンドゥに、あっけない自分が写っていて。こんなにも心が悲しくて仕方ないのに、街を歩くと他人と何も変わらないように見える自分がおかしくて仕方なかったのをよく覚えている。駅のホームで俯き自分の足元を眺めては「私はみんなと違って不幸ですから」って決め込んでいた。そんな自分から「死んでしまいたい」っていう声が漏れるまではスムーズだったし、いつもいつも冷たい雨が打ち付けるかのように誹謗中傷の声が、内側から鳴り響いていた。「わたし。死んだ方がいいんじゃない?」なんて。

これは10年近く前の話だけど。
そうやって
自分のことを罵って
自分のことを諦めて
自分のことを苦しめていく人間は
こうしている今も割と多くいると思うんだ。
素直な人に限ってだと思うよ。
SNSが当たり前になって、周りと比べられることが普通になって、いつも見張られているようになって、頑張らないとイケナイって。
いいねが少ないと、自分には価値がないって震えちゃうよな。フォローが伸びないと?予約が入らないと?かっこいい生き様がないと?どうしたって周りはキラキラ見えて、自分は格を下げやすいからね。


格ってなんだよ。


と、話は逸れたが。そういうわけで今を苦しむ人間へ、そしてあの頃の私へ、最後にひとことだけ伝えたい。ここからは、あなたへのエールだと思うから忘れないで。


いますぐ幸せになるのか、
死ぬまで不幸でいるのか、
決めるのは自分だよ。


他人なんてどうでもいいから、まずは自分が納得する自分に挑戦だ。不恰好でも手探りでも痛い目をみてもいいからまずは不幸な自分とオサラバすることがスタートなんだと思う。それって、自分の弱さを認めるようなものだけどマイナスじゃない。「今の自分には飽きた」って言ってみよう。「今日までよく頑張った」って言ってみよう。「私なら何でもできる」って言ってみよう。「自分は幸せになっていい」って言ってみよう。


幸せになる権利は全員にあるでしょう?
応援しています。

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