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闇から抜け出した日の話

⚠️描写がとにかく重たい作品です。
今現在、病を抱える方。元気のない方は
お控えください。



私には、記憶がすっぽり抜け落ちている時代がある。

7年前。心の病、真っ最中のことだ。心因性ショックにより、ある程度の記憶は全て、涙となりこぼれ落ちた。あの涙は幻のように、溶けて無くなったのだろう。7年前。私が苦しむ中で起きた出来事や、住んでいた部屋の様子。食べていた食事、出会った人の名前、何度も踏みしめた駅のホームはひとつも出てこない。必死に思い出したところで、声や、表情や、音や季節なんかも、うっすらとしか見えてこないのだ。兎に角、立体的なものはすべて、ペラペラの紙のようになってしまった。あの頃のハナシは絵の具で言うところの、真っ白か、真っ黒か。そんなところだろう。



あの頃の私には時より、幻聴が聞こえたりした。一人になるとただただ、闇に食い殺されるようなものだった。孤独に震える心と比例して、身体の震えは止まらず、呼吸の粗さが際立つ時には命に戸惑い、訳もわからず薬を飲んだ。いや、訳が分からないフリをしているだけで、正確には全て分かっていた。分かっているからって、死にそうになると慌てふためく。そんな滑稽な自分に何度も失望した。その頃の情けなさだけは、残念ながら今でも脳裏に染み付いている。

あの頃。助けを求めてスマホを手に取り、友人の名前を開いては。どうにも無惨に生きる自分が恥ずかしくて。その頃にはもう、友人と呼べる者に会えなくなっていた。そんな私は心を埋める為、自分と同等の人物を探した。見知らぬ土地のなるべくクズっぽい人間達と会ったりした。私はどんな人間に会う時も「私を殺してほしい」と、希望を胸に。自殺願望を片手に出掛けた。ただ不思議なことに。そんな時ばかり、どいつもこいつも善人で仕方なかった。誰もが、私を生かそうとしてきた。そんな優しきクズ達の名前は一人も覚えてないが、彼女らのおかげで私は今もここにいる。
当時は、こんな時ばっかり気を利かせてくる神様に、うんざりしていた。そんな恩知らずで、誰よりもクズ人間だった私だが。ここで救いの話をひとつ。過去の自分にも、今と変わらず真面目な一面があったのだ。



それは仕事。職場では全ての事件を隠し、薬漬けのクズ人間こと自分を隠し通し、誰よりも真面目に働いたのだ。
そこは、大好きな美容室だった。尊敬できる先輩たちに囲まれ、私までカッコイイ人間になれる唯一の居場所だった。当時の先輩達の名前はわずかに残っている。忘れちゃった名前にも感謝が残っている。その仕事は私にとって、最後まで守り抜きたい「自分の居場所」だったのだ。脳は病みに支配され、身体は腐っていっても、胸の奥の奥の方にある正しさだけは殺せなかったのだろう。

ただ時より、仕事中。ポケットからこぼれ落ちる精神安定剤を慌てて拾っては、悪夢をポケットに仕舞い込む。そんな闇が出たり、引っ込んだりする自分が情けなかった。



と。ここで、話は逸れる。
あまりに重いので、笑い話をひとつ。



その時の美容室には、併設している床屋さんがあったんだ。壁一枚で隣り合わせになっていて、トイレや休憩室は共同だった。両店とも
かなりの老舗であったが、床屋さんの方は特に。老舗を通り越し、もはやジジイの溜まり場だった。そこの店主を務めていたのが、ただのジジイこと藤本さん(仮名)だ。藤本さんこそ79歳にて現役の理容師、現役のエロジジイだった。藤本さんのことはよく覚えているから、今。後世に彼のことを書き残したい。


ただのジジイこと藤本さんとは、休憩室で毎日のように顔を合わせた。私が休憩に入ると、そこにはいつも藤本さんがいて「マリエちゃん、待ってたよー!」なんつって。私は「このジジイ、ちゃんと仕事してんのかな?」とか思っていた。だが、当時の私は一人になると途端に闇に食い殺されるからって、藤本さんがいることにきちんと、ホッとしていたのだ。ジジイこと、藤本さんの前ではテキトーに弁当を食って過ごせる自分がいたし、藤本さんの話はいつも訳がわからなくてクスクス笑えた。そしてその時ばかりは精神安定剤も隠さず、ケロッと飲み込めたのだ。そんな時、藤本さんはいつもどこか寂しげに私を見つめていた。だから私は、なるべく美味しそうに薬を飲み込んだんだ。

なんの薬を飲んでいるか、分かっているのか?ジジイこと藤本さんは、とにかく私を励ましたかったようで。小声でよく、こう言った。


「マリエちゃんにだけ、デザート買ってあるから。」


沢山いるスタッフの中で、ダントツで若い私にだけ。コンビニデザートや、アイスコーヒーをくれた。ひどい時には、短歌のラブレターがロッカーに入っていて、お年玉もわんさかくれた。そういうところが、しっかりエロジジイだった。
ある日なんかは、カラオケスナックに誘われたのだ。さすがの私もカラオケに行ったら危険なことくらいは、闇漬けであっても分かってしまい。速攻で断った。だが、エロジジイこと藤本さんは簡単には引き下がらず
「じゃあ、高島屋のケーキを食べに行こう」
そう言った。それならいいか。と私はケーキを、食いに行った。やたら高級なカフェでジジイとケーキを食う私はもう、やっぱりどうかしていたのだが。

席に掛けると藤本さんはケーキなんてそっちのけで、自分のことをポツリポツリ話し始めた。妻と離婚して子供に会えなくなってしまったこと。今は身寄りがないこと。一人暮らしをしていて、たまに会うカラオケ仲間がいること。みんなジジイだからどんどん逝ってしまうこと。すぐ入院しちゃうこと。俺も、いつまで働けるか分からないな。なんて、そんなような弱音がポロポロこぼれる藤本さんは、なんだかいつもより少し小さく見えた。

その日、「そう言えば、マリエちゃんにプレゼントがあって!安物なんだけどな。」と言うと、バックからくしゃくしゃの包装紙を取り出した。「マリエちゃんの笑顔を見ると、とにかく元気になるからな〜」と言う藤本さん。その言葉にプレゼントを、受け取る私。中には、マフラーが入っていた。私はジジイからのプレゼントなんて、この際なんでもよかったのだが。ただ、今はちゃんと。元気の出る笑顔をお返ししたかった。安物のマフラーを巻いて、全力の笑顔で、お礼を伝えて帰った。

あの頃、本当の笑顔で笑えない私が、藤本さんの前だけではちゃんと。その時の笑顔にはちゃんと。気持ちという生命力が宿っている気がしたんだ。


それからというものの、私の病気は悪化を辿り。惜しくも大好きな仕事を手放し、何もかもゲームオーバー。リタイヤして群馬に帰省した。当時、私のスマホからは全ての連絡先が消え、アプリも全て消えていた。まっさらなホーム画面。私は世界をシャットアウトして暗いベッドの上、日々孤独と闘った。心臓まで震えるほど、世界に怯えて過ごす中、度々、着信が入った。いくつかの電話番号。それはきっと友人や、元カレや、優しきクズ達だったのかもしれない。だが、病みに縛られた私はその全ての着信を無視し続けた。

一つの番号だけが、しぶとく生き残った。3ヶ月経っても、4ヶ月経ってもしぶとく続いた。私はいつしか、その番号が気になってどうしようもなく。7.8回目の着信に通話ボタンを押したのだ。すると



「もしもし、藤本ですけども〜。」



まさかの。ジジイこと藤本さんだった。
なぜ私の電話番号を知っていたのかはさておき、出てしまった電話にとりあえずの世間話をした。「今は仕事を探しているんだよ。」なんつって元気なフリをして、とにかく普通を装い時間が過ぎるのを待った。藤本さんは私を心配していたんだ。と何度も伝えてきた。そうして5分ほど話して、電話を切ろうとしたその時。藤本さんが言ったのだ。



「マリエちゃん。
俺、ガンになっちゃってよ。
治療はしないんだ。
あんま、長くないみたいだから。
また、電話かけていいかな?」







私の時が、一瞬だけ静まった。

その時の電話で、私がなんと返事をしたのかはもう覚えていない。ただ、藤本さんは最後にこう残した。



「まりえちゃんの声を聞くと、元気が出るんだよ〜」






と。その時、私は何もかもが止まった世界の中で、久しぶりに。自分が生きる理由を見つけたのだ。そして、むやみに死を望んではいけないと。


知った。


それは、ただのジジイである藤本さんが私に教えてくれた、この世で一番大切なメッセージだったのかもしれない。今すぐ死にたいと、ほざいている寿命の長い自分が。暗闇のベットで息をしていることが後ろめたくなった。このまま止まっている場合ではない。この瞬間から自分の未来は、ちゃんとするべきだと。
その日から私は、ほんの少しずつだが前を向いた。それから何度か、藤本さんからの電話に出た。藤本さんには、私の中にある全部の元気をあげた。あげたかったのだ。




それから数ヶ月。

藤本さんからの電話はなくなった。
私からは電話をかけない。
さようならではなく、また会える日まで。

そう思っています。

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