ショートショート『この世界でただ一人』

「さすが浩平くん、やっぱり賢い人の目は誤魔化せないね」

…ついさっき言われた一言について、俺はずっと考えている。…「賢い」。大学で同じ授業を取っている女子に言われた、好奇心と賞賛の混じった言葉だった。そう言われて、一旦はその言葉を有難く受け取ったものの、放課後、駅までの道を歩きながら、その言葉は本当に自分にふさわしい言葉なのかと考えずにはいられなかった。

俺はつい 二週間ほど前、喧嘩をした親友の海斗に「ごめん、俺がバカだった」と謝ったのを思い返していた。その言葉に嘘も謙遜も無かった。俺は本当に、自分をバカだと思ったのだ。

今まで、他人にもそれなりに評価され、信頼もされ、確かに自分を「賢い」と思って生きてきたのだったが、最近、俺は自分が果たして本当に「賢い」人間だと言えるのか、全く自信を失っていた。そもそも「賢い」とはどういうことなのか、言葉の意味から考え直す必要があるかもしれない…などと、前方の地面を睨みつけながら取り留めも無く思い巡らせていたそのとき、隣を歩いていた海斗に声を掛けられた。

「おい浩平! …どした?」
「……え、」
「いや、さっきからすげぇ怖い顔してるから。またなんか小難しいこと一人で考えてた?」

バレていないと思っていたが、親友の観察眼を甘く見過ぎていた。俺は一人で考えるのを諦め、海斗に話してみることにした。

「……さっき、『賢い』って言われた」
「…うん。まあ、お前ならよく言われてることだろ」
「…俺は…この頃自分が『賢い』とは思えない」
「……うん。そうだね」
「……は?」

親友にあっさり同意され、自分で言い出しておきながら俺は唖然とした。小テストや定期試験の前になると決まって「教えて!」と俺に助けを求めに来る海斗に「賢さ」を否定されるとは思っておらず、予想外の反応に俺は戸惑ってしまった。

「…ん?」
対する海斗は全く涼しい顔、俺の「は?」という反応こそが理解できない様子。俺は少しの間親友の顔を見つめたあと、軽く咳払いをして混乱を落ち着かせ、顔を逸らしながらぼそぼそと呟いた。

「……バカに『バカ』って馬鹿にされた気分だ…」
「…え? いや待って待って、だって自分でそうだって言ったんじゃん」
「そうだけどバカのお前に……」
「そうやって俺のことバカバカ言うけどさ、お前だってけっこうバカだよ。頭はいいけどバカ。バカじゃないけどバカ」
「……はぁ?」

俺は怪訝な顔で親友の方を振り向いた。彼が言っていることはメチャクチャに聞こえるが、何となく意味は分かる気がして悔しかった。その指摘が的を射ていると自覚している分、何だかすごく貶された気分になり、俺は少しだけ傷ついた。

「だってそうじゃん。自分一人の勝手な思い込みで俺のこと突き放そうとするし、俺の気持ちを聞きもしないで勝手に色々決め付けてすぐ単独行動しようとするし、全然自分のこと信じてないし。それで俺のことも傷付けて、自分も苦しんでんだから相当バカじゃん? 頭いいばっかりに余計なこと閃いちゃったりして暴走するし。ほんとバカだろ」

突然悪口を羅列され、俺は呆気に取られて親友の顔を凝視した。ここまで欠点を言い連ねられたのは、中学校から六年以上友人をやっているこの男、海斗が相手でも初めてだった。しかもその言い草は明らかに、二週間前の喧嘩のことを思いきり引きずっている。

仏頂面で俺を見返す海斗を見つめながら、もしかして彼はまだ俺に怒っているのだろうかと不安になった。あの日きちんと謝ったつもりでいたが、まだ足りていなかったのかもしれない。

「……海斗、俺は……」
「だからさぁ、…」

二人の声が重なり、二人して口を噤んだ。俺は海斗に向かって黙って手を差し向け、先にどうぞと合図した。

「だから、危なっかしくて一人にさせられない。放っとくとバカなことするから、お前は俺と一緒にいないとダメ」

きっぱりと放たれた海斗のセリフは、まさに俺が普段彼に対して思っていることそのものだった。うろたえて何も言えずにいる俺に、海斗はさらに畳みかけてくる。

「あのときはっきりした。俺はお前がいないとダメ。お前も俺がいないとダメ。俺たちさ、一人になっちゃダメなんだよ、それをちゃんと理解してないから浩平はバカなの。一人になりたがり、苦しみたがりのバカ。なっ。」

海斗の言葉が心の深い部分に突き刺さった。「苦しみたがりのバカ」。あまりにも的確に自分のことを言い表され、反論の余地が無かった。

このとき突然、海斗にもっと徹底的にこき下ろされたいという気分になった。捻りも含みも無いストレートなその言葉で、俺という人間の欠点を何もかも突きつけてほしくなった。

……みんな「頭がいい」「勉強ができる」と褒めるばかりで、今まで誰も俺を罰してくれなかった。両親ですら、「浩平ならできる」「あんたは優秀なんだから」と、そればかりだ。周りがそんなだから、自分を蔑んで、痛めつけてきたのだ。代わりに海斗が罰してくれるなら、その方が有難かった。海斗になら罰されてもいい、他人に罰されるなら海斗がいいと、そのとき俺は思ったのだ。

だが、彼の暴言はそこまでだった。それまでの仏頂面から一転、今度はものすごく真剣な表情で俺を見つめてきた。

「…バカやっても間違ってもいいけどさ、俺の隣にいてよ。そこだけは間違うな」
「……」
「一緒に生きよーぜ浩平、ぜってぇ退屈させねーから。 なっ」

そう締めくくって海斗はふにゃりと笑った。釣られて俺は肩から力を抜いた。

…泣くかと思った。
瞬きをして涙を堪えながら、目は海斗から逸らさなかった。

海斗の言葉がずっと好きだった。素直で、時に辛辣で、俺の心を容赦なく揺さぶってくる。みんな耳障りの良いことしか言ってくれないのに、彼だけは俺を「バカ」と正面切って罵ってくれるのだ。

俺は親友に微笑み返した。彼には言えなかったが、俺はこのとき、この世で唯一尊敬できる人間は彼かもしれないと思った。俺に「話をしたい」とこんなに強く思わせることができるのは、この男の他にいないのだった。

#クリエイターフェス

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