見出し画像

日常を書くことで視点が豊かになった。

この1週間ほど、毎日noteの文章を1文字でも書くということを習慣にするチャレンジをしている。noteで文章を書くようになったのはちょうど2年前。半年ほど毎日投稿を続けていたときもあったけれど、鬱になってからしばらくnoteを更新することが無くなっていた。2019年末ごろには「僕の鬱病療養日記」と称して、1ヶ月間毎日投稿していたけれど、今年に入ってからはまた書くことを止めてしまっていた。

誰かから書きなさいと言われたわけでもないのだけれど、自分の中にある感情や、考えていることなどを可能な限りアウトプットしたいと、最近は思うようになってきたため、また書くことに挑戦をしてみている。

しかし、現在はまだまだリハビリのような療養生活をしており、日々の変化があまり大きくはなく、書く内容を考えることが難しいなと感じる。以前は毎日生活する中で、様々な刺激を周囲から受け、そのときに考えていたことを文章にしていたため、それほど書く内容には困っていなかった。

そこで、それならなるべく、なんでもない日常の話を広げて書くようにしてみようと思って書いたのが昨日のnoteだった。

僕自身、他の人のnoteを読むときは、こうしたなんでもない日常を描いているものが好きだ。そして今思ったのだけれど、大好きな読書でも、普通の日常を面白く描いている作品が好きだ。

そして昨日、試しに、自分が夜ご飯を作ったときの話を書いてみて気がついた。何気なく過ごしている日常を改めて文章にしてみると、目で見たものや、耳で聞いた音を詳細に書くことで、視点がとても豊かになる。昨日、文章を書き始めた時点では、「料理の音」について書こうなんて思ってはいなかった。けれど、実際に文字にしていくと、「そういえば包丁がまな板に当たる音が気持ちよかったな」「鍋に入れるときはコトコトって音がしたな」と、いろいろな音がなっていることに気がついた。実際に調理をしているときにはそこまで意識をしていなかったことが、経験を振り返り文字にしていく過程で、よりくっきりと浮き上がり、自分の体験として感じられた。

ただ文章を書くこと、表現することだけを目的にはしたくない。せっかくなら、その過程を通して、自分の視点をより豊かにし、今まで気付くことの出来なかった日常の些細な部分に、目を向けられるようにしていきたいなと思う。

画像1


読んでくださりありがとうございます。  好き、コメント、サポート、何でも嬉しいです。