見出し画像

学童保育時代の回想

小学校1年から3年の間、学童保育に入っていた。

両親が共働きだったこともあって、小学校へ入学すると同時に、放課後には学校からそこそこ離れたところにあった学童保育の施設に通って過ごし、夕刻から夜にかけて帰宅する生活を気がついたらしていた。

必ずしも全員が学童保育へ行くわけではないことに少し後になって気がついて、なんで自分は行くの?と気になったのはなんとなく憶えている。

学童保育へ3年間通ったことで身についたのは…

・料理や掃除などの生活家事を当たり前のようにする感覚が身についたこと。

・くだものを包丁で切ったり皮を剥いたり、鉛筆や割り箸の先をナイフで削ったりと、刃物を上手く使う感覚が身についたこと。

・上級生を見習うこと。下級生の世話をすること。

・みんなと協力してなにかをすること。

こういうことを早いうちに体験できたことは、間違いなく今の自分に活きている。それはよかったと思う。

自分と同じように学童保育に入っている子どもたちと遊んだり、先生やお手伝いさんの指導で一緒に歌ったり、詩の朗読を聴いたり自分でも書いてみたり、行事に参加したり。先に挙げたことも含めて、そうしているのも悪くはなかったはずだけども、どれもこれも、なんだか、なぜだか、どこか心の底から楽しめた感じはしなかった。

学童保育に入ってる間のことだけではなく、保育園の頃からだったかも知れないけれども、親からちょくちょく聴かされたのは

年寄りくさいじいさんのようだ

と、自分が大人から評されていたらしきこと(学童保育の先生から直接きいたことはない)。

みんなが遊んでいる輪の中にはあまり積極的に入ろうとしないで、一歩引いて眺めがちなところを指してそういうふうに言ったらしい。

そんな気質だということは子ども心にも自覚はしていたけれども、年寄りだのじいさんだの言われて気分がいいはずがない。なんとなく「いけないことだ」と思い込んだ。

学童保育へ行きながらも、公文式とそろばん教室へ通い出した。公文式は小1の途中から。そろばんは小2の途中からはじめた。勉強をしなきゃ、したいという思いで、どちらともはじめたのは間違いないが、学童保育からの逃避の手段でもあった気がする。

どちらも計算の速さを鍛えて競うエクササイズのようで、

どうしてその答えが導かれるのか
どうしてそういう公式になるのか
答えが出るカラクリはどうなのか

という部分をじっくり確認する余裕はなく、また、そういうことを考えることは誰からも期待されていない感じがすることが引っかかりながらも、計算の速さを競っていた。

そろばんは小学5年でやめてしまった。公文式の方は小学校卒業まで続けたものの、かなり早い段階で嫌になっていた。結局どちらも所詮は学童保育からの逃避手段でしかなかったのかと、今にして思う。

小3のとき、担任の先生が教室で誰かを説教していた。怒声の中からふと聴こえてきた、

おまえみたいな奴は学童保育行っとけ

え?

そのクラスで1人だけ学童保育へ入っていた自分は一体?と。

自らの意志で入ったわけではない学童保育の世話になっている自分が否定されたように感じた。もともとあまり好きではなかった学童保育へ行くのがますますイヤになったが、そういう思いは今の今まで誰にも言うことはできなかった。

説教されていたのが誰で、どんなことで説教を食らっていたのかはすっかり忘れてしまったが、その怒声の響きだけは未だにはっきり憶えている。

 ◇

当時通っていた学童保育は小4まで居ることができるところだった。小4以降も両親は変わらず共働きだったが、3年生が終わったところで、自分の意志で学童保育を卒業することにした。

それからは放課後に帰宅すると、公文式やそろばん教室のない日は留守番をして過ごした。特に何をするわけでもなく、テレビでアニメやらなんやらを見ていただけだけども、自分だけの時間をはじめて持てた感覚はなかなか心地よかったことを憶えている。

 ◇

学童保育へ通ったことによって、みんなと合わせること、みんなと合わせるべきことがあることを早くに知ったこと自体はよかったけども、自分の気持ちを抑えること、自分の気持ちを圧し殺してでも、周囲に合わせるべきものという刷り込みはかなり強烈に自分に入り込んだのも確かで。

学童保育の場の中で、自分の感覚や発想を明に肯定された覚えはない。実際にはあったかも知れないけど、印象にない。それが周囲の意見と合っていたときだけ、肯定されたような印象ばかりが残っている。

自分や誰かの、多数派や周囲の大人とは違った感覚や発想もあっていいと認められることがあった記憶はないし、認めることを教えられるような機会があったような印象もない。

 ◇

ひとの意見や感覚が自分のそれとは違っていたとしても、違いがあること、違いがあってもいいことを認めるのがいまだにあまり簡単ではない。

ここ1年ほどは、自分自身で自分を変化させていっていて、その状況自体を楽しんでもいるけれども。

いまになって、そういうことを体験しながら、自分の感覚や発想を自分で認めることを、ひとの感覚や発想をも認めることができるようであろうとすることを、日々、身をもって確認しているようにも思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?