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共感は人にしてもらうものではなく、自分にしてあげるもの

セミの声が聴こえてくると、
夏休みのような、緑色の気分がしてきます。
今日も、暑くなりそうですね。

さて、
誰かに相談して、聴いてもらったり助言をもらって、
それが有効に学びと成長になって、
回復に傾く機会になる人と、
ならない人がいる、

そんな、
回復の条件についての雑感が、
最近テーマになってる気がします。


一つは、前提として、
人と出会うということは、
必ず進展であり、

回復する、と言っても、
変化しないことや、
悪化することも含めて、

すべて回復の一部、
必要な経験となっている、
という、考え。


一つは、
好奇心を持って、自分を見る立ち位置。

怖い、という在り方で見ると、
いつもそこに、おばけがいることになる、

面白い、という在り方で、よく見ると、
なーんだ、つまんない、おばけなんかないか、
というシフトが起こって、一段拡張する。

自分を面白がるような、立ち位置を探す。


そんなふうに、最近考えたことを、
ぼんやりと浮かんでいたら、


もう一つ、
回復への条件があるのを、連想しました。

それは、
自分と対話して、共感しているか、
です。


ちゃんと相談して、客観的な助言をもらう、
前向きに切り替える対処法を探し、自分でも頑張る、
これらは、適切なのですが、

見落とされてしまう、落とし穴があって、

自分で、自分の気持ちを共感してあげる作業を、
スルーしてしてしまう、という弊害です。

うつうつ気分、イライラ、悲しい、腹が立つ、
さみしい、怖い、ダメだ~、抜けられない、、、

そんな時、
自分さんは、自分に聴いてほしいことが、いっぱいある。
なのに、泣いてる子に気づいて上げる前に、
解消しようとしたり、相談したり、先走ってしまう。

まずは、解決じゃなく、誰かの共感じゃなく、
自分が自分に、
そうだよね、わかるよ~、って、共感してないと、
泣いてる子は癒やされず、持ち越しされる。


子どもの時は、養育者に共感してもらって、
感情の自己調整の練習期間になったけど、

成人になると、養育者に依存することはできなくなります。
自分の中に共感する自分を確立して、
感情の自己調整を自立させていかなければいけません。


専門のセラピストやカウンセラーの心理援助には、
深さで分けると、3段階あって、

第一段階:問題の解決の代行、
 最初は必要。でもこのままでは、卒業できない、

第二段階:自分で解決できる考え方の練習、
 これも必要、だけど、本質的には、

第三段階:自分の感情を自分で感じる作業のお手伝い、

に、心理的ケアの本質があるのではないかと思います。
セラピストに共感してもらっているのではなくて、
自分が自分へ共感する時間を、提供してもらっているわけです。


日常の相談は、1,2段階で進むので、
むしろホントの自分に繋がり、聴いてあげることから、
遠ざかってしまう。


大嶋信頼先生が、
誰かに相談するのを止めるよう、助言したら、
メキメキ回復したという事例を上げていますが、

これと関係していると思います。

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共感とは、人にしてもらうものではなく、自分にしてあげること。

というか、現実問題、人に共感は不可能だし、
自分に共感してあげることしか、不可能ですよね。。






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