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めちゃくちゃがんばるシリーズ③【自分が決める編】

めちゃくちゃがんばると、
人は無限の潜在能力を発揮することができる。
僕でも医学部に入れたよ!
あなたも必ずできるようになるよ!
僕は、受験生には、そうやって伝えてきました。

その方法は、
全生命活動を、目標達成のためだけに特化集中させること。


この話しを文字に書いていて、
当時を思い出していると、
方法論よりも、もっと大事なことがあったことを、
思い出してきたのです。

どうして、そこまで全てをかけて、
がんばれたのか?
動機が謎だということ。

僕は、当時は勉強も学校も嫌いだったし、
医師になるつもりもさらさらなくて、
恥ずかしながら、医学部受験に対しても、
夢も情熱も持っていなかったのです。

僕は、めちゃくちゃ周りの期待に合わせてしまう、
とってもかわいい(←笑うとこ)いい子だったんです。

それで、周囲(親や世間)のプレッシャーで、
いやいや勉強や受験をやらされている感があって、
こんなところからは抜け出したい! と、
全く後ろ向きな気持ちだったのです。

このままやらされている感だけだったら、
途中で投げ出して、あきらめるか、
ノイローゼになるか、身体を壊すか、
になっていたのではないかと思うのです。

では、どうして、
そこまでがんばれたか。


僕の場合は、
自由が欲しかったんです。

周囲の期待に縛られて自由がない、
と、勝手に思っていたけれど、
当時は、本気で思っていた。

好きなことができない、
自分のペースで過ごせない、
自分で決めることができない、
自分の意志が虐げられている。
やりたくないことばっかり。

親や学校のせいだ!
人の自由を奪うことなどできるのか。
どこまで行っても逃れられない…

そんな風にあきらめついた絶望の底に、
地に足が着いた地点があったと思います。

それならば、、、
期待が僕を縛ってくるのならば、、
その期待、突破してやろうじゃないか。

(自分の)自由が手に入るならば!
もう、命がけで、なんでもする。
勉強でも受験でも、正面から撃破してやる!

自由が欲しい。
どうしてしなきゃいけないことで、
自分を殺さないといけないのか。

だったら、しなきゃいけないこと、
ぶっとばす!
それなら、誰も文句はないだろ!

(自分の中の)自由を縛り付ける鎖を、
何をおいても排除したかったのです。

つまり、それは、もともとは外発的動機づけで、
やらされていた課題だったものが、

自分の内発的動機へとシフトチェンジして、
自分の内側の駆動系と繫ぐ瞬間であったように思います。

僕は、腹をくくって、
自分の自由のためなら、
めちゃくちゃがんばることに、した。

あ、そうそう、今、思い出しましたけど、
受験勉強の時期に、音楽だけは、ごくたまに、
ご褒美的で、一曲、二曲、とか聴いてました。
「君たちが望むのは自由だけでいいよ」と歌ってくれるロック。
それで、また全集中を奮い立たせていたのでした。

ただ、自分のこころの自由が欲しかった。
僕がめちゃくちゃがんばったのは、
誰かのために、しなきゃいけない勉強をがんばったのではなくて、
自分の自由を手に入れるために、がんばってたのです。

だから、細胞全て、時間と空間全てを一つにして、
それ以外のものは犠牲にしてまで、
完全自己一致した状態で、全集中できたのではないかと、
思い当たった。


合格ではなく、
国家資格ではなく、
僕は、自由が欲しかった。
自分の中の自分の鎖を解放したかった。

だから、あまり大きな声では言えませんが、
医師免許は、僕の自由を得るための戦いの、
副産物であったと思っています。

僕の誇りは、医師免許ではなくて、
自由を求めた自分の意志免許です。
(←上手い!って言ってもらうところ(笑))


だから、何かの目標達成、願望実現に向けて、
がんばっているひとに、僕の経験から伝えるとすれば、

人のために、生活のために、
いやいやがんばらざるを得ない目標でもいいけれど、
がんばった結果、自分が本当に手に入れたいものは、
なんですか。ということ。
自由?平和?愛?

自分に問いかけてみて、
最終的に自分のために、というところを、
肚に落とし込むまで追求して、
自分の中心に繋ぐことを、
やってみてほしいです。


じゃないと、がんばって成果を上げた途端、
燃え尽きてしまうのではないでしょうかね。


めちゃくちゃがんばる論①:人の潜在能力は無限
めちゃくちゃがんばる論②:全集中感覚
めちゃくちゃがんばる論③:内発的動機づけ



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