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保険業界からM&A業界への転職。努力と情熱によって築いたキャリアとは

川口さん:
長野県生まれ。父の転勤に伴い、小学生から高校生まで仙台で過ごす。小学生時代からサッカーに打ち込み、サッカー強豪の国士舘大学を卒業後、新卒で生命保険会社へ入社。約50名の社員を統率し、代理店の営業を担う。現在は週2回、趣味のフットサルを楽しんでいる。


Right Brothersが転職の支援をさせていただいた方に、これまでのご経歴や転職活動を振り返って印象に残ったエピソードなどを伺う連載企画『Bridge』。今回は、生命保険会社から日本M&Aセンターへ転職をご決断された川口さんにお話を伺いました。



自分の思いに真っ直ぐに突き進む

ー 子供の頃はどのように過ごされていましたか?

長野県で生まれて、小学生の時に父の転勤で仙台に引っ越すことになりました。
長野から仙台へ初めて引越しをした時は、転校初日に「友達はできた?」と両親からよく聞かれていました。環境が大きく変わったので、両親も心配してくれていたのだと思います。
その時期に、学校のサッカーチームに所属しました。長野にいた時に近所のお兄さんと遊びでサッカーをやっていたことが影響しているのですが、転校先の仙台の小学校にサッカーチームがあることを知って、入ることにしたんです。

ー サッカーチームに入って何か変わったことはありましたか?

上級生、下級生共に交流が多くなりました。もともと一人でいるよりも団体行動の方が好きだったので、友達との時間が増えて楽しかったです。
また、サッカーに費やす時間と比例して、勉強の時間も増えていきました。両親の意向で、サッカーだけではなく勉強も頑張るようにと、土日は必ず2時間ずつ国語と算数のドリルを解いていました。両親に言われるがまま始めたことでしたが、これによって勉強習慣が身に付いたので、感謝しています。
それから徐々にプロサッカー選手になりたいという気持ちが芽生え、中学では本格的にサッカーに打ち込むため、地元のクラブチームに所属することにしました。もっとレベルの高いところでプレーしたいと思ったからです。

ー その頃のお話について、詳しく教えていただきたいです。

複数のチームの入団試験を受けたのですが、結果的に第二志望のチームへの入団が決まりました。第一志望のチームはJリーグの下部組織で、ただでさえ競争率が高いにも関わらず、あえて難しい道を選んでしまって試験を通過できなかったんです。

ー 難しい道?

試験はオフェンスとディフェンスのどちらか、自分の希望を出して受けることになっていたのですが、自分がずっと務めていたディフェンスではなく、オフェンスとして試験を受けることにしました。「攻めのポジションのほうがかっこいいから」という安直な理由ではあったのですが、自分の気持ちに素直に従って真っ直ぐに行動する性格は、当時も今も変わりません。

ー 入団後はいかがでしたか?

試合に出れる時期と出れない時期の波があり、中学3年生の最後の大会では後輩にレギュラーを奪われて出場することができず、初めて大きな挫折を味わいました。ただ、それでもサッカーへの想いは変わらなかったので、高校生になってからは同じクラブのユースチームに所属することにしました。
その後はレギュラーに入り続け、ほとんどの試合に出ることができたのは嬉しかった反面、キャプテンを任されることになった時は感情のコントロールがとても難しかったです。「負けたら自分のせい」と思い込み、責任を背負いがちだったと思います。

努力を重ね続けて生まれた自信

ー 高校卒業後の進路について教えてください。

サッカーは続けるつもりだったので、受験をして国士舘大学に行くことにしました。小学生の時に、国士舘大学のサッカー部が当時のプロと互角に試合をしているのを見て以来、強く憧れていたからです。
ところが、怪我が重なってレギュラーになることは叶いませんでした。目標を達成するために誰よりも努力をしてきた自負はあったのですが。

ー なぜ、努力し続けられたのでしょうか。

純粋に「サッカーが好きだったから」ということの他に、ある先輩の存在がありました。大学入学当時、プロのサッカー選手になることが確定していた先輩がいたのですが、自分はその人のことを「もともとサッカーのセンスがある人」と決めつけていました。ところが、よくよく観察してみると、他の人が休んでいる時間でさえ、妥協せずに小さな努力を重ねていることがわかりました。それで、「自分が追いつくにはもっと多くの努力をする必要がある」と思うようになったんです。

熱意ある人と働きたい

ー 部活を引退した後について伺いたいです。

それまで16年間ずっとサッカーに打ち込んできたので、やりたいことが明確にはありませんでした。そのため、なんとなく収入の水準が高い企業や有名企業などへの就職を考えるようになり、大手の損害保険会社を志望するようになりましたが、ある合同説明会に参加した時に気持ちに変化が起きました。その会場で時間ができたので、各企業のブースを尋ねていると、ある生命保険会社の人事の方の情熱に圧倒されたんです。その会場で一番と言ってもいいほどの熱意に溢れていて、とても印象に残りました。これがきっかけでその企業の選考を受ける事になり、働いている先輩社員の方々に惹かれ、そして内定をもらうことができたので入社することにしました。

ー 入社後はどんな業務をされていたのでしょうか?

保険代理店への法人営業を行っていました。入社当初は業務量の多さになかなか対応が追いつかず、デスクワークの時間が多くなり、営業活動にリソースを割けずにいました。代理店に訪問した時も、相手のニーズを汲み取れないまま商品提案を行ってしまっていたので、いくら商品が良くてもなかなか受け入れてもらえないことが続きました。
結果的に、その年は予算を達成することができず、とても悔しい思いをしました。そこから「次は必ず達成する」という気持ちが湧き上がり、直属の上司からもらったアドバイスを意識しながら仕事に取り組んだ結果、入社2年目からは6年連続で目標を達成することができるようになりました。

ー どのようなアドバイスだったのでしょうか。

どんなに商品や提案内容が優れていても、「まずは人間関係の構築が最優先」というものです。挨拶やマナー、身なり、対応速度など、ビジネスパーソンとして当たり前のことを当たり前にやり続けることによって信用が得られるようになります。これを徹底することで、徐々に代理店と信頼関係が構築でき、成果に繋がるようになっていきました。
代理店の社長に向けた企画提案がなかなか通らなかった時の話ですが、その様子をいつも見ていた従業員の方からアドバイスをいただいたこともあり、気づけば周囲の方々の協力も得られるようになっていました。

内定を引き寄せた前向きなマインド

ー 転職活動はどのようなきっかけで始められたのでしょうか。

2023年の1年間は「今まで以上に仕事に時間を使おう」と考えました。自分がどこまでできるのかを試したかったという気持ちがあったためです。そして、誰よりも仕事に時間を費やした結果、個人としては大きな成果を出すことができました。
ところが、それに見合った社内評価を得ることはできませんでした。それであれば、今ある体力をもっと活かし、自分を高めるための環境に進みたいと思い転職活動を始めました。

ー なぜM&A業界に?

もっと営業力を高めたいと考えたからです。転職活動を始めた当初は、知り合いが勤めている外資系のIT企業を見ていたのですが、自分のそれまでのキャリアとはマッチしておらず、別の道を探すことにしました。
そして、エージェントから色々な業界の話を聞いた上で、唯一やりたいと思ったのがM&A業界の仕事でした。営業力はもちろん、営業力以外の要素も必要とされ、まさに自分が求めているような環境があると思いました。そのタイミングでRight BrothersさんのYouTubeを見つけ、大澤さんと面談することにしました。

ー 大澤はどのような印象でしたか?

M&A業界について質問をした時に、想定以上の量の情報が大澤さんから返ってきたので、業界のことを熟知しているエージェントだと感じ、信頼することができました。Right Brothersさんを知る前に話をしたエージェントは、堅くビジネスライクな印象でしたが、大澤さんはこちらに寄り添ってくれて、話しやすい雰囲気を作ってくれました。
最終的に日本M&Aセンターへの入社が決まりましたが、その決め手は「仕事への想いの強さ」です。これまでも熱意を大事にしながら仕事と向き合ってきましたが、三宅社長の動画やプレイヤーの密着動画なども拝見し、自分自身の想いと共感する部分が多かったことが理由です。

ー 初めての転職活動を振り返ってみていかがでしたか?

前向きに進められたので満足しています。人生の中の大きな決断において、「この仕事がしたい」という自分自身の強い意思を持つことが大事で、それがあるからこそ面接でも素直な言葉で伝えられましたし、取り繕うことなく自分を表現できたと思っています。
後ろ向きな理由ではなく、「チャレンジしたい」という前向きな気持ちで転職活動に取り組めたことが、いい流れを引き寄せられたのだと思います。

ー 本日は貴重なお話しありがとうございました!

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