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分析したYouTube動画は400本? 転職成功の秘訣は徹底的な業界研究

岡田さん
千葉県出身。大学卒業後、半導体部品の商社に入社。約3年間営業に従事。その後起業し、WEB広告の代理業を行う。法人を譲渡した後、イベント企画会社へ入社するも、コロナ禍の打撃を受けて売上がゼロに。その危機的状況を機会と捉え、約2年半で35億円の売上実績を上げたことで会社の業績向上の立役者に。


Right Brothersが転職の支援をさせていただいた方に、これまでのご経歴や転職活動を振り返って印象に残ったエピソードなどを伺う連載企画『Bridge』。今回は、イベント企画会社から日本M&Aセンターへ転職をご決断された岡田さんにお話を伺いました。



初めて経験した挫折


ー どのような学生時代を過ごされていましたか?

小学生の時はクラスの中心にいて、誰とでも仲が良かったです。中学生の時は部活で剣道に打ち込んでいました。高校1年生の時は、少しやんちゃな友達と遊ぶようになって、バイクに興味を持つなど、周りの環境に順応しながら楽しんでいました。高校2年生の時は受験を意識していた友達の影響を受けて、私も塾に通い始めたのですが、気づけば自分の意思で勉強を頑張るようになっていました。

ー 受験の結果はいかがでしたか?

希望の大学には行くことができず、初めて挫折を味わいました。入学前は希望が叶わなかったことを引きずって、家に引きこもってゲームを一日中やるなど、すごく腐っていたと思います(笑)
ところが、いざ大学生活が始まると、たまたま留学を検討していた友達から影響を受けて、私も半年間海外留学をするなど、それなりに充実していました。そのあとに始めたアルバイトが、起業のきっかけになりました。

勢いに乗って起業へ


ー その後起業はすぐにされたのでしょうか?

すぐにはせず、新卒では半導体部品の商社に入社しました。
まずは新卒で入社した会社で3年間勤めて、その間に人脈を築き、営業スキルを磨くことで将来の起業を見据えていました。とにかく成果を早く出したいという気持ちが強かったので、同期の誰よりも働いていたと思います。1年目は行動量に重点を置き、その結果、成果を出すことができました。2年目には会社の中で3番目に大きい顧客を担当するまでになりました。ここまでは順調に進んでいましたが、このあと人生で2度目の大きな挫折を経験することになりました。

ー どのような経験をされたのでしょうか?

当初の考え通り、1社目を3年間勤めた後、起業に向けて個人事業主としての準備を始め、その後広告代理業で起業することができました。独立後も仕事は順調で、それなりに自信を持つことができたのですが、ある事情から2年で手放さざるを得なくなりました。その失敗のショックが大きく、人生で2度目の挫折を味わうこととなりました。

ー その後はどのように過ごされていたのでしょうか?

会社を手放すタイミングで前職のお客様と再会し、当時はまだ気持ちの整理がついていなかったものの、その方が経営しているイベント企画会社へ入社することになりました。
ただ、拾ってもらった立場であるにも関わらず、入社後はやや尖った態度をとってしまっていました。理由は、過去の実績に対するプライドが捨てきれなかったからだと思います。この時、取締役の方が特に気にかけてくださり、厳しいながらも愛情ある指導を受けることになりました。

ー 取締役はどんな方だったのでしょうか?

非常に頭が良く、厳しいながらも愛情がある方で、マインドセットから営業スキルまで徹底的に鍛え直されました。毎日の報告にしても、まずは自らアウトプットをさせ、その後に細かいフィードバックをもらっていました。その時によく言われていたのは、「やっぱりうまくいかないでしょ?」という言葉です。「受験時も、起業時も、失敗の原因は基準の低さにあった。成功者は勝ち方を知っているように、高い基準を持っていなければ成功できない。岡田はその基準が低いからうまくいかないんだよ」と。
核心をついた言葉に刺激を受け、取締役の方からできるだけ多くを学ぶために努力し、食らいついていきました。ところが、入社して1年半のタイミングで、会社存続の危機に直面することになりました。

土壇場の「やりきる力」


ー 会社存続の危機とは? 

新型コロナウイルスの影響で、業績は大きく落ち込み、売上がゼロになるほどの危機に瀕しました。そこで、新型コロナウイルスによって打撃を受けた業種への、ワクチン接種会場の民間運営の受託を目指し、営業を始めました。当時、同様に経営危機にあった旅行業に、受託案件の半分以上が流れている状況でしたが、1都3県の全自治体に対して電話をかけ、粘り強く営業を続けた結果、約10億円の新規受注を獲得することができました。コロナが長期化した影響もあり、2年半で35億もの売上を達成し、ビジネス誌にも取り上げていただけるほどの成果を出すことができました。

ー なぜここまで成果が出せたと思いますか?

会社が潰れるかもしれない危機に直面した時に、「自分がなんとかしなきゃ」という使命感が生まれたからだと思います。当時は「人のため」というのが原動力で頑張れました。この経験から「やりきる力」を身に付けることができ、自分にとって大きな成功体験になりました。

ー そこからなぜ転職活動を?

より高いフィールドに行きたいという想いが強くなったからです。
2社目での経験を通じて、社内で効果的に立ち回れるようになり、自分の仕事の基準も高くなっていました。以前取締役に言われた「基準が低い」という言葉の影響もあり、もっとレベルの高い環境で、自分の営業スキルを試したいと思うようになったことから、転職活動を始めました。

約15人のエージェントと面談した


ー 今回の転職を振り返ってみていかがでしたか?

転職活動を始めた当初は、自分がエージェントにとっての「顧客」であるという意識を強く持っていました。自分の転職を通じてエージェントが利益を得ると考えていたので、それなりの手厚い支援を期待し、少し斜に構えた態度で面談に臨んでしまっていたんです。
この時、約15人のエージェントと面談をしましたが、「岡田さんは何をしたいのか?」と本質的な質問をしてきてくれたのはRight Brothersの大澤さんだけでした。初めて大澤さんと面談した時に「そのままでは受からないと思います」と言われ、自分の受け身な姿勢を指摘されたことに落ち込んだのを覚えています。それをきっかけに能動的に取り組むようになり、面接に臨んだ結果、内定を獲得することができました。
日本M&Aセンターを選んだ理由は、複数の選択肢の中で、自分にとって最も成長できる環境であると感じたからです。また、働いている方を見て、営業力はもちろん、誠実さや人としての魅力の高さも決め手になりました。

成功した理由とは


ー 転職活動を通して、うまくいった理由はどこにあると思いますか?

事前にしっかり情報収集をし、自分なりに考えた上で面談に臨んだことだと思います。大澤さんとの初回面談で、M&A業界に進むために必要なことを質問した際に、業界研究が重要と教えていただきました。アドバイスを受け、Right BrothersさんのYouTube動画を400本近く視聴し、その内容をスプレッドシートにまとめ、推薦図書も読み、企業を調べました。
その後、大澤さんとの2回目の面談に臨みました。十分調べた上で話を聞くのと、そうでない場合とでは、自分の選択への納得感が異なることを実感しました。大事な選択なので、受け身にならず能動的に動いて行くことが大切だと思いました。

ー 担当した大澤の印象はどうでしたか?

他社エージェントは「マッチング」に重点を置いていましたが、大澤さんは「本質」に焦点を当て、そこから一度もずれることなく支援をしてくださいました。この点が他のエージェントとの大きな違いだったと思います。また、大澤さんのストレートな物言いも、自分にとっては非常に良かったです!

ー本日は貴重なお話しありがとうございました!

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