残り約1メートル⑧
仕事を終えたカズユキは、彼女の待つ家路に着きました。疲れた身体を引きずりながら、何をしているのだろうかと考えます。
ガチャと玄関を開けると髪を結って台所に立っている彼女がいました。
「おかえり!」
カズユキを見ると彼女の顔が明るくなりました。恋人のために料理をしていたのです、その恋人が帰ってきた喜びはささやかでも満ち溢れたものだったのでしょう。
「ただいま。」
彼女とは裏腹に、疲れ切ったカズユキは浮かない表情でした。いや、仕事の疲れではなく、彼の中にある不安の種が徐々に芽を出していたのです。
「お疲れだね、すぐできるから!」
少しでも癒されてほしい彼女はなんとか慰めようとします。
「ああ、ありがとう…。」
そのことをちゃんと分かってはいるものの、不安の芽にからめとられて上手く笑うことができません。
このままではよくないと思ったのか、カズユキはもう直接相談することにしました。
「あのさ。」
「うん?」
「俺と結婚したい?」
「え!?」
あまりにも唐突で飾らなすぎる言葉に、彼女は大声で叫んでしまいました。ただ、顔には喜びと照れが混じっていました。
少しの沈黙が流れたので困らせたかと彼女の方を見ると、静かに涙を流していました。
「え、あ、ごめん!急に!」
カズユキが慌てて彼女の方に駆け寄り、肩を抱きました。彼女は首をぶんぶん横に振りました。
「違うの違うの。嬉しかったの…。」
そう言って涙を止めず微笑む彼女は、カズユキが今まで見たことがないほど穏やかな顔でした。
「私、あなたと結婚したいよ。」
抱き着いた彼女には見えませんでしたが、カズユキの顔は青ざめていました。
まるで死刑宣告を言い渡された囚人のよう。覚悟は決まっていたのでしょうが、いざ口にされると恐ろしいものだったのでしょう。
つづく
以上、らずちょこでした。
※この物語はフィクションです。
ここまで読んでくださった皆様に感謝を。
ではまた次回。
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