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【ピリカ文庫】夜の隙間

「あづい。」

日中から、うだるような暑さだった。夜になれば気温が下がるかと期待したけれど、見事に裏切られた。会社の残業から帰ってきた午前0時。自分の家の暑さに絶望する。
ワンルームのアパートには、大きい窓がひとつ。あまりの暑さに慌てて窓を開けたが、生ぬるい風しか吹いてこない。

『ポチッ』

私は、この部屋最後の希望である扇風機のボタンを押した。健気に部屋中の空気をかき回している。暑い。

「あー。今夜は眠れそうにないな……」

私がポツリとつぶやくと、「どうした?変な顔して」とフーさんが話しかけてきた。

「暑過ぎてムリ。どうにかして!」
「いや、これ以上俺にはどうにも……」
フーさんが首を横に振りながら言った。その様子が面白くて、思わず笑ってしまう。
「もー、頼りにならないなぁ」
「頼りにならないとは失礼な。こんなに頑張って働いているのに」

あーだこーだ言いながら、お風呂に入り、歯を磨いて寝る準備をする。

私は麦茶を飲むために冷蔵庫を開けた。冷たい空気が流れてくる。
「あー。涼しい……」
冷気に誘われて、冷蔵庫の中に頭を突っ込むと
「ちょっとちょっと、冷蔵庫開けっ放しにしたらダメでしょ!」
後ろからフーさんが叫んだ。
「少しだけじゃん。お母さんみたいな事言わないでよ~」
「おかあ…?!まぁ、いいや。」

フーさんの話は続く。

「今夜は熱帯夜だな。ちなみに夜になっても最低気温が30℃以上だと『超熱帯夜』と呼ぶらしい」
「へぇ~、よく知ってるね」
「まあ、ずっとテレビ見てるし」
「超熱帯夜って、なんか強そう」
わかる。と相槌を打ちながら、フーさんは話を続ける
「最近は夜間の熱中症で亡くなる人も多いからな。しっかり水分補給して、注意して眠るんだぞ」
「はーい。おやすみー」

おやすみ、と言ったものの暑くて眠れる気がしない。とりあえず布団に入って目を閉じる。じわじわと汗が出てくるのが分かった。ベタベタして不快。

ゴロゴロと寝返りを打つうちに、仕事の疲れが溜まっていたのか急に睡魔に襲われた。

***

静まり返った部屋の中で何かが聞こえる。

『こっちだよ。』

何だろう?そう思った瞬間、ぐにゃりと目の前が歪んだ。床に細い隙間が出来るのが見える。一日中暑いと、空間まで歪んでしまうのだろうか。

隙間からは黒い管みたいなものがたくさん出てきて、ゆらゆらと揺れている。暑いはずなのに寒気が止まらない。直感的に、危険だと感じた。体から脂汗が吹き出す。

『おいで。はやく。』

隙間から声が聞こえた。
暑い暑い夜の隙間は、こわくて、真っ黒で、ドロドロしていて、落ちたら身体中溶けて、無くなってしまいそう。

『おいでよ。』
『おいで。』

足や手に黒い何かが巻き付いてくる。

『おいでおいでおいでおいでおいで』

ああ、ダメだ。恐怖で体が動かない。落ちる──。

「……おい!どうした。大丈夫か?」

突然、遠くからフーさんの声が聞こえた。声のする方へ必死に駆け出すと、その先に見慣れたフーさんの姿があった。

「うなされてるみたいだったけど、大丈夫か?」

「うん……ちょっと、変な夢だった」

私は就寝時と変わらず、布団の中にいた。
ホッとした途端、心臓がものすごいスピードで動き始める。嫌な汗がじっとりと布団を湿らせていた。なんだ、いまの。

「ここまで暑いと、命の危険を感じるな……。やっぱりエアコン買った方が良いんじゃないか?」
「えー。高くて買えないよ。貯金も少ししかないし……」
「あぁ~~。」
「それに、もしエアコンを買ったらフーさんとお別れする事になっちゃうよ?」
「う゛ーーン」
フーさんが、変なうなり声をあげる。
「それは困るなぁ。」
「でしょ。」
私はふふふ。と笑った。

「……今年は墓参りに行くのか?」
「うん。休みの日に行こうと思ってる」
「3年ぶりだな」
「そうだねぇ。色々大変だったから……」
「苦労かけて、ごめんな」
「ん。大丈夫だよ。それよりお供えは、何が良いかな」
「ぅヴ~~~~ン」
またフーさんがうなる。調子、悪いのかな?
「ビールとつまみが良い」
「えー。何かムード無くない?」
「墓参りにムードはいらんだろ」
「それもそうだね」

フーさんは、延々と何気ない話を振ってくる。私が眠たくなるのを待っているみたいだ。逆に眠れなくなっている気もするけど。

……だけど、こんな普通の会話が、死ぬほど安心する。怖い夢を見たせいかもしれない。私は、フーさんとずっとお喋りしていたいなぁと思って、こっそり泣いた。

***

ふと壁に目をやると、明るい隙間が出来ていた。隙間に手をかけ、カーテンを開ける。空の向こうが白く光り始めるのが見えた。もう、朝か。

「あぁ……そろそろ時間だ」
「うん。またね」

暑くて短い、夜が明ける。さっきまでお喋りだったフーさんは、ふつうの扇風機に戻った。
実家から持ってきた古い扇風機には、私が小さい頃に貼ったシールと、「おとうさんだいすき」の文字が未だに残っている。

「今夜も、やっぱり眠れなかったな……」
ひとり静かな部屋で、父の写真を見ながら言った。

「まぁいいか。今日は仕事休みだし」
私は、ひとつ大きなあくびをして、そのまま布団でまどろんだ。写真の父が、優しく微笑んでいる。

またね、お父さん。見守ってくれて、ありがとう。

次は私が会いに行くよ。

お花と、ビールと、おつまみを持って。

(終)




憧れのピリカ文庫。「熱帯夜」というテーマで書かせていただきました。
まさか声をかけていただけるとは思っておらず、ドキドキしすぎて心臓が爆発しそうでしたが、何とか形になりました。(小心者)
ピリカ文庫マガジンに加えていただけると思うと、感無量です😭✨とても貴重な経験になりました!
ピリカさん、お誘いいただき本当にありがとうございました!🙏

今までいただいたサポートを利用して水彩色鉛筆を購入させていただきました☺️優しいお心遣い、ありがとうございました🙏✨