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才能の見つけ方ここまで分かった ~他人とスマホを使い倒せ

自分の才能、向き不向き、好き嫌いを見つけるヒントになる記事です!

特におすすめの人☟

★他人に「あれもやってみなよ」「これもやってみなよ」と言われ、何が向いてるか分からなくなってる人
★「才能」という単語を聞くと「ビクウッ」とか「メラメラ」とか「ソワソワ」とかする人
★「好き」と「得意」が合致しない、「好きなことでお金が稼げない」などで悩んでいる人(こちらもあわせておすすめ)
★何か始めてもすぐ、いや、始める前に「向いてない」と諦めちゃう人

■プロローグ 自分の才能を自分で見つけるのは難しい


わたしは、自己分析がめちゃめちゃ得意だと思われがちだし実際そうだと自分でも思ってるけど、そんなこと全然なかった。30歳になった今でも、自己分析を誤りまくっている。

例えば

・自己啓発風味の小説(夢をかなえるゾウみたいなやつ)を書いてみませんか、と本屋に言われ、「書けそう!」と思って引き受けてみたが、一か月間石像のように硬直したままほぼ何も書けず「すんませんムリです」と断った

・22歳頃からライヴハウスに通い始めてからずっと「バンドマンカッコいい! ステージに立てる人カッコいい! 自分もやれたらなあ~」と思っていたが、「私は物書きだし無理。人前に立つの、向いてない」とあきらめてた。でも去年ライヴを始めたら出来た

前者は、「出来そう!と思ったけど出来なかった」事例
後者は逆に「できなそう!と思ってたけど出来た」事例だ。

前者は1か月、後者はなんと10年近く(!)も、誤った自己分析にとらわれて随分と遠回りをした。

それくらい、自分のことって自分じゃ分からないのだ。

だから、「他人とスマホを使い倒そう」というのがこの記事の趣旨だ。

■自分の才能を見つけるやり方


才能を見つけるやり方は、超シンプルで、
「1 やってみる」
「2 他人に見せる」
「3 スマホを使う」

だ。

■自分の才能を見つけるやり方1 やってみる

読んで字のごとく「やってみる」。
「自分じゃできないことだから憧れる!」じゃなくて、
「憧れる! 自分もできるかもしれない、だから、まずやってみる!」
である。

だめだったらやめていい、どうせ何のリスクも無いんだから、一回だけでいいからやってみる。

でも、やめる前に……

■自分の才能を見つけるやり方2 人に見せる メリットその1

人に見せよう。

文章や絵なら人に見せる。歌やパフォーマンスなら人前でやる。
できるだけ早くやる。

例えば私の場合、「朗読ライヴとかやってみようかな」と思ったのが2016年4月、その一か月後の5月にはもうステージに立っていた。当初からめちゃめちゃ、周囲の反応は良かった。
11月になって初めてライヴハウスに出演(ついに憧れのバンドマンと! 憧れのライブハウスという場で! 共演!)した時も、めちゃめちゃ反応が良かった。

ただし、その場にいる人はその場のノリに浮かされて「最高!」「もっとやんなよ!」と言ってるだけな可能性があるのであんまり信用ならないと思っていた(酔っ払いばっかだったし)

しかし、現場を観ていない人へもこの時の動画は謎に拡散し、動画を観た別のライヴハウススタッフが「うちでもやってくださいよ」と言ってくれた、その連鎖が今に続いている。

今から観ると明らかに「下手」だし、別に可愛くもないアラサーの女が下品なことをくっちゃべってるだけの動画だ。 

だから、私からしたら「なんでこんなのをみんな面白がるの?」全然分からない。
でも、事実ほめてくれた人、動画を観てくれた人がたくさんいる。

それくらい、自分のことって自分じゃ分からないのだ。(2回め)

ひとついえるのは、技術面が未発達でも「のびしろ」を観て評価してくれる人ってたくさんいるもの。だから、下手でもまずやってみたほうがいい。その方が早く、自分の向き不向きに気付ける。(うまくなってから人前に出よう…とか思ってると、才能無い分野に無駄に時間投資しちゃうかもしれないからね!)

■自分の才能を見つけるやり方2 人に見せる メリットその2 

人に見せることで「これより、こっちのほうが向いてるんじゃん?」と、別方面の才能をサジェストしてくれる人が現れることがある。

「あんた、歌よりMCの方が面白ったよ! 喋り向いてるからYoutuberになれば?」とか
「あんたの文章は歌詞っぽいから、作詞の方が向いてるのでは?」
みたいに、自分じゃ気付かなかった才能を教えてくれる場合がある。

もしかしたら
「歌手に憧れていたけど Youtuberの方が向いてると思って転身した」
「小説家に憧れてたけど作詞家の方が向いてるから転身した」
って人はこの世に結構いるのではないかと思う。でもそれって、まず「1 やってみて」、「2 人に見せて」他人の評価受けてみないとわかんないんだよね。

しかし…… ここで問題なのは……


■他人は無責任に「あれもやってみたら?」「これも向いてそう」と言うもんだ

人に見せると、わけわからんことを言う奴、とんちんかんなアドバイスしてくる奴もたくさんいる。当たり前だ、他人は「人の才能を見出すプロ」ではないのだから。

(私だって「どうせ文章書けるなら売れるラノベ書いて当ててみなよ」とか「マンガ原作は?」とか「人に説明するの上手いからカリスマ塾講師になれるよ」とか、たびたびいろいろ言われる)

「あんた歌よりMCの方が面白いよ! 喋り向いてるからYoutuberになれば?」
「あんたの文章は歌詞っぽいから、作詞の方が向いてるのでは?」

↑こういう意見ももちろん外れている可能性は大いにある。

ここで、言われた側は

A 私はYoutuberなんか向いてない! 歌を続ける!

と思うか、

B Youtuberもためしにやってみようかな?

と思うかの、2パターンに分かれる。

Bなら、「1やってみる」に戻って、またやってみればいい。

Aの場合は、さらに3パターンに分かれる。

A-1 実際、他人の言うことが合っている場合(歌<Youtuber)
A-2 実際、自分の思うことが合ってる場合(歌>Youtuber)
A-3 どっちだろうが関係なしに、勧められたものを自分は絶対にやりたくない場合(「Youtuberなんか絶対嫌だ!死んでもなるもんか!!」)

A-1かA-2かを見分けるカギになるのが、「3 スマホを使う」だ。


■自分の才能を見つけるやり方3 スマホを使って動画を撮る

「動画を撮れ」というのは、私が「声とライヴパフォーマンスのことはこの人以外に習わない!」と決めている、ボイスパフォーマンスの大先輩でありボイトレの先生である徳久ウィリアム氏の教えだ。

スマホは機械だから冷たくて客観的だ。だからありのままの自分を撮ってくれる。もしかしたら、歌よりMCが上手いかもしれない自分を、克明に撮影してくれる。

しかしここで障壁になるのは、「自分で自分の動画を観るのはキツい」「気持ち悪い」「恥ずかしい」という感情

それは、「本当の自分を直視するのが怖い」からだ。
「理想の自分」「本当はできるはずの自分」「憧れの〇〇さんに重ね合わせた自己イメージ」を、脳内でずっと保持したがるからだ。

誰でも初めはそういう恐れはあると思う。でも、徳久氏はそんな我々生徒にこう言っていた。
『「今、ここにいる、紛れもなく存在している現実の自分」と、「決してどこにも存在しない理想の自分」、どっちが大事なの?』


■「自分の動画を観るのが怖い」人は、「自分のことが嫌いな人」

「理想の自分」を大事にしてしまう人は「今の自分が嫌い」なのだ。だから、決してここにいない、架空の、自分とは何の関係も無い「理想の自分」を祭り上げて愛して、現実の自分を直視しない。

でも、才能を発揮すべきは紛れもない、今ここにいる自分だ。
どこにもいない虚像の自分ではない。

だから、観る。

可愛い可愛い、世界で一番超可愛い、超プレイシャスな、絶対才能を秘めているにきまってる超ウルトラスーパーすごい自分が、一体どこに才能を秘めているか、最短速度で見つけて速攻開花させてあげるために、観る。

そして、A-1かA-2かをハッキリさせる。

ここで救いなのは、動画を観てみると、
「意外とうまくやってるじゃん自分!」
「もっと下手だと思ってた!」
と思うこともめちゃめちゃよくあるということだ。

私は練習でも本番でも必ず動画を撮ってチェックするため、この作業は何百回もやっているが、毎回、こういうことはある。

それくらい、自分のことって自分じゃ分からないのだ。(3回目)

自分の客観視は難しい。

でも、それができる、アイフォーンならね!

※文章や絵のように、「動画を撮る」を使えない場合は、「一回放置して、忘れた頃にまたみる」がおすすめです!  

■やりたくないことを他人に「向いている」と言われた場合

私のように、才能が「文章」という分野にうっすらと広く存在している場合、とかく他人からいろいろサジェストされがちだ。

「小説が書けるならラノベ書けばいいじゃん?そのほうが売れるし」
「マンガ原作は出来ないの? そのほうが皆に読んでもらえるじゃん」
などなど。

こういう風に、自分では気の進まないことを他人に「やってみたら?」と言われた時は、どうすべきか。

……あのですね、とかく他人はいろいろ言いますが、はっきり言って、自分の生き方は自分で決めて構わないわけです。
いくら向いてることがあっても、それをやらずに才能をドブに捨てるのだって、本人がそれを望むなら全然アリなのです。

たとえばめちゃめちゃ可愛い女の子がここにいたとしたら、周りは「モデルになりなよ」「アイドルは?」「女優は?」ととやかく勧めるでしょう、でも、本人がそれらに毛ほども興味が無くただ実験室にこもって研究に打ち込むのが人生の最大の喜びとしたら、もう、それでいいんですよ。

他人に「向いてるからやってみなよ」と言われても、やりたくないことは、やらなくていいのだ!!

……ただ、これだと、「やりたいかどうかはやってみないと分からないよ!」とか他人にグイ押しされる可能性はある。
(そして「やりたいかどうかはやってみないと分からない!」というのは全くもって真実である)

その結果、他人に振り回されて色々やって、ブレたり、無駄に消耗、疲弊してしまう可能性がある。

そのため、私は、下記のガイドラインを自分に定めています。

・幸せにならないことはしない

例1)私は、他人をカテゴライズする見方、他人をモノとして見る見方に加担すると超絶不幸せになる。心が汚れたと感じる。
「高学歴喪女の実態を探る!」とか「チャットでエロい女の裸をタダで見よう!」とかいう週刊誌の記事に協力したことがあるけど、ひどく嫌な気分になったので、こういうゴシップ系の記事はもう二度とやらないと決めてる。

例2)私は東大生だし、人前で筋道立てて物事を説明するのが超うまいので、多分、めちゃ本気出したらカリスマ塾講師にもなれると思うけどやらない。なぜなら、「いい大学にはいると幸せになるから受験頑張れ」なんて絶対言いたくないから。思ってもないことを言うと私が不幸せになる。

例3)(うまく言えば要約、悪く言えばコピペして記事を作る)ライター業とか、超速で出来るのだが、他人の言葉を盗む気がして、めっちゃ心が汚れたのでもう二度とやらない。

・自分が感動したことの無いコンテンツは作れない

例)「小説書けるなら売れ線のラノベ書きなよ」とか言われるけど、そもそもラノベ読んでないから絶対無理。
例2)自己啓発本も以下同文。

でもまあ、このガイドラインも、何度か失敗しないと作成できないものだったので、失敗も無駄じゃなかったなあ、これからは失敗を糧にこのガイドラインを守って無駄なく才能探ししたいなーと思います。

逆に言うと、私は、20代でライヴ行きまくってライヴに感動しまくってたから、今ライヴが出来るんだと思う。

「何をやったらいいか分からない」という人は、自分が今ままで何に感動したことがあるかを探ると、才能がはやく見つかるかもしれない。

■まとめ

というわけで、まとめると、


「自分の才能がどこにあるかは自分じゃ分からない。だからさっさとまずやってみて→人に見せて→他人のアドバイスをきき&動画を観て→他人のアドバイスは取捨選択して一部取り入れよう。その時は「自分の幸せ」「自分の感動」がキーワードになる!」

という話でした。

■エピローグ 「自分にはできないことだから憧れる」という言い方は変だよ


…ところで私最近、「自分にはできないことだから憧れる」という言い回しがすごく嫌いになったんですよ。

これ使う人めちゃめちゃ多いし何なら昔の私も使ってたんですけど、なんでこの言い回しにイライラするのか、最近気付いた。


「自分にはできないことだから憧れる」って言いまわしの裏には、
「自分にできることは大したことない」が隠されてるんですよ。
そんな下卑たものを押し付けられてもすごく気持ち悪い。

あと逆にこの言葉を言われたことある人も多いと思うんだけど、別にこれ、言われても嬉しくないんですよね。

「そりゃあんたと私じゃあ当然、守備範囲が違うわ」
「他人に憧れる暇あったら自分の才能磨けよ」って思います。


だからこれ読んだ人は
「自分にはできないことだから憧れる」ではなく
「自分でも出来そうだからやってみる!」に言い換えて欲しいし、
自分もまた、誰かに憧れられるに足る才能を持ってるって確信しててほしい。

10年近くもバンドマンに「自分にはできないことだから憧れる」って思い続けてた私がやっと「他人に憧れてる暇無え」って思えたよ。

ほんと、自分のことって自分じゃわからないから(これで最後)、どうせ他人の目を意識するなら絶対自分のものにならない余所の才能羨ましがるんじゃなくて自分の才能がどう他人に見られるかを気にしたほうがいいしそれを知るために他人を使い倒したほうがいい。

尊敬するバンドマンであり朋友である武田涼太郎がライヴのMCでこう言っていた。

「我々は我々自身の憧れであり決して誰にも上回らせない」。

憧れていいのは自分だけである。



渋澤怜(@RayShibusawa

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