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感染死者ゼロのベトナムで過ごしているこの3か月のこと

2018年8月からベトナム・ホーチミンに住んでいる私が、この感染症をとりまくことで感じた、この3か月のことを書いていく。
「ベトナムって中国の隣なのに感染者数がずいぶん少ないけど、市井の人の生活はどんな感じだったの?」「有事に外国に住んでいるとこんな課題が出てくるのね」など、この感染症についていつもと違う視点で見て面白がってもらえればうれしい。
また、同じく海外在住日本人の方や、海外移住を検討中の人にも何かしら資するところがあるかもしれない。

ちなみに本日(4月30日)時点のベトナムの感染者数は270人、死者はゼロだ。(写真は現在の街の様子)

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■1月―感染より差別が怖い(感染者数~2人)

私がこのウイルスのことを始めて意識したのは、1月の末だった。バイク用のヘルメットを買ったらお店のおばちゃんが「あなたマスクしてないの? あげるわよ」という様子でマスクをオマケしてくれたのが30日、飲み会で中華料理屋に行ったら手に消毒液をシュッシュされたのが31日だった。

正直、この時点では、ベトナム人の感染症対策に感心するより、「ビビリすぎだろ」あるいは、「警戒ごっこが楽しいのかな」とすら思っていた。実際そういう面もあっただろうが、しかし今思うと、あの中華料理屋の店主は中国人だったし、いわれない差別を防ごうと細心の注意を払っていたのかもしれない。

ちなみにその中華料理屋での飲み会は、ホーチミン在住日本人の集まりだったのだが、「外国人という理由でバイクタクシーに乗車拒否されたらしい」「空港でタクシーがつかまらない」「知人が『中国人お断り』という貼り紙を見た」という話を聞いた。又聞きだったので真偽のほどは分からないが、差別にめっぽう弱い私は自分に実害が無いのにやたら病んだ。

この時点では、感染症そのものより差別の方が2億倍恐ろしいと思っていた。

■2月上旬―まだ帰国者や外国人だけが警戒されていた(感染者数~16人)

2月11日にビザが切れる私は、ビザラン(一瞬外国へ出て入国しなおし、ビザを更新すること)のための台湾行きチケットを持っていたのだが、この時期に非常に悩むことになる。
「台湾は島だし感染者もほぼいないのだが、イメージ的にほぼ中国だから、学生たちが渡航後の私に会うのを嫌がるかもしれない」というのが理由だ。つまり、実害より風評被害を恐れていた。

結局、一週間前に台湾行きはキャンセルし、ビザランはタイ・プーケットに変更した。事情を話したら、チケット代は会社が出してくれた。
海外旅行後はいつも、マンションのスタッフや近所の人にお土産を配るのだが、「海外、いや空港に行ったというだけで警戒されるかも」と思い、もはや行ったことすら隠す。

■2月中旬―学校が休校する(感染者数~16人)

旧正月明けの2月17日から再開予定だった大学が、感染拡大防止のため休校。
今後、「来週から再開するのかなー?」「まだ発表されないの?もう金曜日なのに」「えー結局、来週も休校?!」みたいなのを3,4回繰り返し、結局現在(4月末)に至るまで休校が続いている。
私が大学で日本語を教える仕事は、一応正社員なので、休校だろうが月給は変わらないのだが、フリーランスの教師たちは財布に大打撃を受けているようだ。

■2月下旬―日本人、差別されずに済む(感染者数~17人)

この時期、日本の例のクルーズ船のニュースが世界で大きく取り上げられていたし、日中韓が感染者数のトップを占めていたので、私は「次は日本人が差別されるのでは。そうなったら耐えられないからベトナムを去るしかない。その時に飛行機が飛んでいればいいが……」と危惧する。
(ほどなくしてヨーロッパに感染が広がったので、もともと親日国であるベトナムで日本人が差別されるタイミングは無く終わった。ラッキー、と言っていいかは分からないが)。

■3月上旬―不要不急だけどギリ動けた(感染者数~17人)

差別されるかもとびくびくしてる私をよそに、日本からのこのこ弟が来る。意識低すぎてウケる。観光施設が閉まりまくってるくせに不要不急の観光をして帰る。
一方で、ホテルマニアの私は「観光客減でホテルが安くなっている!」とはしゃぎ、ホーチミン一お洒落な5ツ星ブティックホテル「ミストドンコイ」――平時には一泊2万円するところ約半額になっていた――を嬉々として予約したりした。

■3月中旬その1―隔離マンションの恐怖(感染者数~68人)

うちのド近所のマンションが「一棟まるまる隔離」される。どうやら陽性者が一人いたそうだ。そのマンションの住民は、二週間出られないし、入れないらしい。出られない、はともかくとして、「ある日帰宅しようとしたら警官が立っていて、二週間家に入れなくなる」、これってめちゃめちゃ困るじゃんか。

その日、近所のスーパーに行くと、「消毒液」「検温」「マスク着用義務」の3点セットの洗礼を初めて受けた。
この頃から私も、差別ではなく感染症自体も警戒し始めていたので、おとなしく従う(さすがに自宅の数百メートル圏内で隔離マンションが出たとなるとね……。)

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ベトナムは、マンション内で感染者(あるいは感染者の濃厚接触者)が出た時点で「一棟まるまる隔離」するスタンスをとっている。なので、単純に戸数が多い建物ほど、隔離される確率が高まる。それこそ日本人の駐在さん一家が住んでいるような有名高級タワマンがガンガン隔離されるニュースを聞き、戦々恐々とする。
私は小さいマンションに住んでいるから一棟隔離に遭う確率は低いものの、仲の良い日本人同士で話し合い、「もし外出中に家がいきなり隔離された時のために」と言って、合鍵を持つことに決める。
ちなみに、タワマンに住むような超お金持ちは、この時期に隔離避けにセカンドハウスを準備したりもしたらしい。すげえ。

■3月中旬その2―まさか戦争以外で祖国に帰れなくないかもしれないとは(感染者数~68人)

3月15日18時から、ホーチミン市内のカラオケ店やディスコ、バー、ビアクラブ、マッサージ店、映画館、インターネットカフェなどの営業一時停止が決まる。要は不要不急の娯楽施設は休め、と。その日の15時くらいに決まり、18時に発効。あまりの不意打ちに私は「マッサージ行けないーー!!」と騒ぐ。
今思うとそんなことでギャーギャー言うなんて……という感じだが、その時はそのレベルのことをストレスに感じていた。まだ感染者数は二ケタだし、まさかの電光石火に正直、「ベトナム政府はこの機に乗じて夜の街を叩きたいのでは」と勘ぐっていた。マッサージの恨み、おそるべし。

さらに3月18日午前0時から30日間、全てのビザの発給停止(これもいきなり決まる)。つまり私は、今のビザ(5月11日まで)が切れた後、ベトナムにいられる保証がない。更に、3月22日より全ての外国人の入国を停止。事実上の鎖国開始。

「母国って、ビザなくてもいられるからすげえな」「絶対追い出されないもんな……」と、当たり前のことを噛みしめる。ベトナムは親日国だしビザも平時はルーズなのだが、有事にはいきなり追い出されても文句言えないのが外国人だ。

しかし、居住外国人に関わる大事なことを、こんなに急に決めないでほしいな……せめて数日の猶予が欲しい……と、政府に関するイライラが募る。
このタイミングでたまたまカンボジアにビザランしていた友人は、ベトナムに帰って来られなくなってしまったし、私もそうなる可能性は全然あった。

なにもかも「発令から発効が早すぎる」のが怖い。これはまあ「ベトナムあるある」なので平時には慣れっこになっていたものの、有事には死活問題となる。
更に、翻訳というタイムラグが生じるのも怖い。今後この手の発表は、信頼できる政府の情報を待つか、Twitterで野良翻訳を信用するか……みたいなジレンマが生じることになる(しかしのちに領事館も時として誤訳することが判明)。

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とにかく、現地語が出来ない外国人(私)は最弱である。赤子レベル。ベトナムでは平時から外国人は警察によくわからんいちゃもんつけられてワイロをとられがちという話は聞くし、有事ならなおさら。

「もうやだー 日本帰っちゃおうかな!」とも思いかける(この頃は日本の感染者数もまだ少なかったし、医療レベルを考えるとベトナムに長居するべきではない、という意見もあった)。実際、知人の日本人で「今のうちに帰る」という選択をする人もいなくはなかった。

ただ、日本行きの便は刻々と減らされ、三月末にはANAとかJALが週2,3本飛ぶだけ、しかも10万円とかする。帰るとしても、LCCで往復2.5万円の時のように気軽に飛ぶわけには行かない。一回帰ったら戻れないし……。

■3月下旬―髪切りてえ!まつエク行きてえ!(感染者数~212人)

ビザのことを色々調べ、私が今持っているビザは「延長」が出来るらしいから、多分8月までは住めそうだと判明し、少し落ち着く。まあ今動くのは得策ではないだろう。感染症に限らず親が急病にならないことを祈る。


24日18時から、ホーチミン市内の30人以上の規模の飲食店、ビリヤード場、ジム、スパ、理髪店などが営業停止(ただし飲食店はデリバリー、テイクアウトのみ営業可能)
これも当日発布、当日発効だった。18日にマッサージ店が閉まった時、「あと1,2週間したら飲食店や美容院やエステもしまっちゃうかもしれないな~ 早めに行き納めしておこう」と思っていたのだが、展開が予想外に早く、間に合わなかった。
今度は「髪切りてーー!!」と暴れることになる。

日本にいる彼氏に「どうして日本はK1やってるのさ?!?ずるい!!」と八つ当たりする。感染者数2000人を超えているにも関わらず、日本の友人たちは美容院もマッサージもレストランも普通に行ってる。おかしい。
すねていたが、その日の夜、「客単価一万円を超えるホーチミン一の高級日系焼肉店が、2~3000円のお弁当デリバリーを始める」と知り、一瞬で機嫌が治る。

この頃にはだいぶ神経が図太くなり、おいしいデリバリー、闇カラオケ、闇マッサージなどを探して息抜きし始める。

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3月27日から外出時のマスク着用が義務化。それ以前から「NO MASK, NO ENTRY」の店は多かったので、特に異論はない。更に28日から、20人以上が集まる会議、イベント、宗教行事などが禁止。もともと2月からあらゆるイベントが中止になっていたので、これも影響は感じず。

■4月上旬―自粛に慣れた(感染者数~255人)

4月1日から15日、ついに生活に必要な店以外が閉まる&外出自粛要請が出る(のちに22日まで延長)
とはいえ、他の国のように「ゴーストタウン!」みたいな感じには全然ならない。
ホーチミンはもとから家と外の境目があいまいで、家の扉をバーンと開け放して昼寝する人がいたり、家の前の路上でご飯を食べる人もたくさんいるから、家を出た瞬間に10人ぐらいの人が目に入るし、普通に賑やか。

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バイク量は体感で7割減したが、もともとが異様に多いのでこんな感じ。

私は、仕事はオンライン授業、息抜きはデリバリー、闇レストラン、闇カラオケ、友人宅でのボードゲーム……という生活が定着し、生活に閉塞感はない。

ホーチミンの外出自粛は、街に警官がいて尋問するようなものではなかったので、私は毎日3~5km散歩が日課となる。マスクをして出かけ、スーパーの入口で消毒液シュッシュ&検温されるのが、まるで定期券を持って出かけ、駅で改札をくくぐような自然な習慣に感じられるようになる。スーパーのソーシャルディスタンス営業を物珍しく眺める。


私はこの外出自粛期間が意外と気に入っていて、「お店が閉まったから、余計なお出かけをしなくて済む!」「デリバリーは、店に行くよりいろんなものが安く食べられて楽しい!」と思う(ベトナムはもともとデリバリーがさかんな国だし、配送料も50~100円ぐらいなのだ)。

■4月中旬―収入、あがってる……?(感染者数~268人)

どうやら、鎖国状態のベトナムに今いる日本人は、価値が高まっているらしい(そうだよな、今、外国人は誰も入国できないんだもんな)。
超微量だが、仕事で新規案件が来たのだ。
同じく海外在住日本人の方から「ロックダウン中で息苦しいのでオンライン飲み会してくれませんか」という依頼が来たり、日本の調査会社から「ベトナムの食文化についてリサーチしてくれ」と言われたり。
まあ、仕事が増えたのは、この感染症に関する所感を書くため、私はTwitterを久々に使い始めたため、いろんな人に見つかりやすくなったのも理由かもしれない。

■4月下旬―収入、さがってる……?(感染者数~270人)

23日、外出自粛要請が解除され、レストランなどが開き始める。

ベトナムは4月30日~5月2日の4日間に、正月を除いて一年最大の連休があるので、この時期に外出自粛要請を解除できたのは最高のタイミングだったと思う。もし政府がそれを見越していたとしたら大した手腕だ……

私はもともと在宅好きだし生活にも仕事にもほとんど支障がなかった方だが、それでも外出自粛要請は3週間が限界に思う。正直最後の1週間は、新規感染者ゼロの日が続いたこともあって、街の人々も警戒がダレて、外出しがちになっていた。

一方で私は、きれいごと(?)を言って仕事を一件断ってしまったのをとても後悔する。同時に、観光ライターの仕事が超微減だが減り、急にお金のことが不安になる。

円高ドル安になってるっぽい。私の本業の固定給はドルだてなのだが、これがなぜか円換算されて私の口座に円で振り込まれる。てことは……わたし……損……?

で、えーと……おろすときにベトナムドンにするから、今は円高ドン安なので、うーんと……

難しくてわかんねえ!!


■まとめ1 ―有事に外国にいるということ

以上、まとまらないがここ3ヶ月の感染症を取り巻く私の生活環境の変化を記した。

有事に外国に住むことの注意点として

・ビザで塩対応される可能性がある。最悪突然「出てけ」と言われる
・(現地語が読めない場合)情報が手に入らないor遅い
・親の死に目に会えない場合がある(平時もだが、有事は特に)
・差別される可能性がある

このあたりは、この感染症に限らず起きることなのだろう、と学んだ。

逆にメリットかもしれない点として

・現地在住日本人としてレアキャラ化する可能性もある
・為替によって得や損をする場合もある
・ビザの措置が逆に甘くなることもある
・よくも悪くも、帰る/帰らないという選択肢が生まれる(逆に日本がヤバい時は外国に留まることができるかも)
・その国の新たな一面を知る良いチャンスになる

こんなことがあるのだろう。

私はもともと、
「外国暮らしが合うかどうか分からないから、とりあえず住んでみよう。嫌なら帰ればいいし」
という考えのもとでベトナムに行ったので、ルーズな契約、手軽なビザはそのスタンスに合っていた。結果として今若干面倒なことにはなっているが、その点は後悔していない(1ヶ月後にどう思うかは分からないけど)。

ただ、ちょっと懲りた。

次にもし外国に長期的に住むとしたら、覚悟を決めてガッツリ、になると思う。例えば、その国の人と結婚してしまい配偶者ビザが手に入った、とか、その国に惚れ込んでしまい現地語をがっつり学ぶまでに至った、とか。

あるいは、数か月前に理想として思い描いていた「春と秋だけ日本にいて、夏と冬は外国で暮らす」という生活、(そもそも収束後にそんな生活が許されているかも分からないが)、これもアリだとは思う。ただし、私が世界のどこでも完全オンラインで安定して働けるようになり、しかもビザなしで3ヶ月ステイできる国に限れば、と言う話だけど。


■まとめ2 ―有事にベトナムにいるということ

感染症対策において、

「生存しつつ、経済を停滞させない」
「生存のためには停滞は仕方ない」

大まかに2つの方向があるとして、前者をとったのが日本、思い切り後者をとったのがベトナムだったと思う。

もしろん、どちら寄りの政策をとるかは、その国の人口、医療レベル、民度(というとアレだが感染症に関する知識の浸透具合など)、産業構造、自給率……などによるし、何が正解かはまだ誰にも分からない。
ベトナムも、今は世界のお手本のような事例ではあるが、一ヶ月先にどうなるかは分からない。

ただ、ベトナムを見て思ったことは。

・一党制だからか、決断がめちゃめちゃ速い
・その決断の速さは国民の自由の代償でもあるが、感染症対策とは相性が良い
・ベトナムの人は(おそらく自国の医療への不信から)感染症にビビリすぎだが、この感染症に関してはビビりすぎるぐらいでちょうどよかった
・ベトナムの人は政府に対して(少なくとも表向きは)とても従順。非常時に大変辛抱強い

4点目に関しては、ベトナムの気候や、ベトナム戦争、農業国であることなどが関係あると思うが、それに関しては長くなるので、別の記事を準備している。

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■まとめ3 ―お金について

4月下旬の私は、急に金銭的な不安に陥りお金をかき集めたくなったが、最近の私はもっと考えが進んで、もはやお金すら無意味になるかもしれないとも思い始めた。ドル安円高によって、自分の給料が目減りする、とかいうレベルではなく、もはや世界恐慌の足音すら感じている。

「お金すら無意味になるかもしれない」と感じるのは、我々世代の日本人ではひょっとして初めての経験ではなかろうか。もはや本当に、お金じゃなくて「いいね」を集める時代が来るかもしれない……そういえば、有償でオンライン飲み会を持ちかけてくれた人も私もnoteを読んで声をかけてくださったそうだし……

「いいね」は信頼、とか、応援のしるし、とか言うけど、個人的に、インターネットの歪みはあらかた見尽くしており、いいねの暴力性や、非常に良いコンテンツだけども「いいね」がつきにくい性質のものも知っている。

だが、皆が在宅でネットばかり見る生活になるのだから、困った時にネット越しに助けてくれる人が多いのは糧になるだろう。
実際私も今月は、好きなツイッタラーさんが誕生日だったのでnoteに1000円サポートしたり、やたらkindleを買って好きな作家たちに微力ながら応援の気持ちを送ったりしている。

ネット越しの応援は国境が関係ないし、もしかしたら私のような人と親和性が高いのかもしれない。(私のような人とは、文字媒体を売ったり買ったりする人、ネットと在宅が好きな人、外国に住んだり引っ越しが多い人である)。



以上、こんなに長いのに読んでくださりありがとうございました。Twitterでは一日1ツイート程度、ベトナムの様子をツイートしているので、今後の動向が気になる方はフォローしてくれると嬉しいです。


渋澤怜(@RayShibusawa

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記事中に挿入したプロパガンダ調のポスターは、ベトナム人の若手デザイナー、Le Duc HIepさんが作ったものだそうです。 https://yeah1music.net/sao-viet/loat-sao-viet-dong-loat-lan-toa-thong-diep-o-nha-la-yeu-nuoc.html


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