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勇気をくれた先生

不登校になってしまったけれど、今思い返すと学校生活の中で、たった1年間だけとても楽しい学校生活を過ごした。それは子どもの人生でとても大切な1年だった。改めて振り返ってみる。

#忘れられない先生

各学年の様子

■1年 
喜びいっぱいで、ランドセルを背負い、目を輝かせて希望に満ち溢れた笑顔で学校へ行っていた。学校では、きっちり物事を教えてくれる先生。早生まれで、まだできないことが多かったため、1人だけA4サイズに「できるようになること」を机に貼られた。いつでも前向きで、先生のことが好きで一生懸命学校生活になれていった。親は毎週電話が鳴り、できないことを報告された。でも先生を応援しようと全面協力をし、家で練習を重ねた。

■2年
授業中に外のひまわりを見に行ったほんの10分間に上履きがなくなった。先生から1日スリッパで過ごすように言われた。親は、金曜日に上履きがないことで事件発覚。全員の先生で捜索し、棚の後ろに隠されていたのを発見。3学期の保護者会で初めて様々な事件が明るみに出た。犯人はわからないまま3学期が終わった。そのほか、先生からはランドセルの取っ手を捕まれ息が苦しかったり、腕を強く捕まれあざができやこともあった。とうとう自分を否定し、「死にたい」と言った。

その言葉を聞いて驚き、仕事を辞めた。何も知らされない2年生で何があったのかを保護者へ個別に聞き取りに行った。不可解な事件がいくつもあったことがわかった。どれも解決していない。

そして、3月も残りわずか。学校から他の地域へ出る先生の発表があり、驚いた。なんと、校長・副校長・主幹教諭・教諭・補助員など教員2名を除いてほとんどの先生がいなくなることがわかった。出発の3日前、副校長に相談にのってもらった。本心でアドバイスをしてくれて、できるかぎりの引き継ぎをしてくれると約束してくれた。

■3年
子どもを主体的にやる気を引き出してくれる先生が担任だった。この先生との出会いは、一生忘れられない大切な思い出となった。

2年生で友人関係が悪化したクラスで、「君は素晴らしい力をもっている。」と大好きな絵を描くような係を作らせてくれたり、どんなことでも出来たことがあれば、見逃さず褒めてくれる。強い子と弱い子の隔たりなく、みんなが平等に評価される世界になり、クラスが明るくなり、子ども同士がお互いに尊重しあっていた。放課後も一緒に遊べるようになった。

その当時の気持ちを、子どもは鼻歌で歌い、楽譜に起こし、気持ちを記号で表して作曲した。題名は「ある日」。曲の中には、朝が起きられない目覚めから始まり、今日は何をしよう?友達に電話する?でもやめよう。でも遊びたい。よし電話しよう。やった!約束できた。一緒に遊んで楽しい。あーあ時間がすぐ過ぎる、もう夕日。夕日がきれいだな。楽しかったなというのが現れている。そして、3年生の終わりにピアノの発表会で父親と連弾した。

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「お母さん、ぼくはこの先、先生が変わって何があってももう大丈夫。」
と聞いて、涙が止まらなかった。この曲を弾くと今でも涙があふれ出る。
3年の先生へ、「本当にありがとうございます。息子の命を守ってくれて、本当に感謝しています。指導が大変だったかもしれませんが、おかげさまで立派な小学生になりました。これからは1人で歩いていけそうです。」と伝え楽譜をプレゼントした。

■4年
今度は、恐怖の学級だった。先生が怖く、すぐに怒られる。怒られたくないから、先生の顔色を見て、気に入る振る舞いをする子もいた。ちょっとでもおかしいことをすると、クラスの子が本人には言わず先生へ告げ口する世界。クラスは目に見えない力で押さえつけられていた。この頃からいじわるがエスカレート。20分休みも強い子の意見が通るようになった。先生は気が付かない。とうとう学校の雰囲気がいやで、たびたび休むようになった。放課後もいじわるをする人が多くなった。

■5年
子どもが言うには、先生がよく無視をすると言っていた。しかも目の前にいるのに。加えて、学級だよりがあまり出なくなり、先々の予定がわからなくなった。毎日、間違えないように慎重に準備をしている子どもは、読めない予定で慌てることが多くなった。慌てて失敗すると、本人が「できない」「支援が必要」という言葉で常に言われるようになった。それでもめげずに、子どもは必死に学校への準備や行動をできる限り気をつけた。

通知表にも「支援していきます」と書かれ、親は何を支援するのか不明だった。クラスの中では強い子数人が誰かをいじめていた。○○を嫌いになれと強要されるようになった。雰囲気が悪く、とうとう学校に行かなくなった。

勇気は消えなかった

3年生でもらった勇気と自信。子どもの中ではしっかりと根をはやしていた。自分に自信を持ち、自分の意見を持ち、何が良くて悪いのか判断できた。そして何でも自分ひとりでできると自信をもっていた。

しかし、学校に行こうと思うと、体の具合が悪くなる。度々休んだ。

休んでいても、オンライン教室で積極的に友達を作り、楽しく遊んでいる。もう学校に頼らなくても自分で勉強ができるし、家での食事や片付けなど家事もできる。あまり学校にこだわらなくなった。そして不登校になった。

そんな自分の生活に変化がある状態でも「お母さん、○○くんが今いじめられているから、助けてあげて」と言ってきた。友人を大切にする気持ちも、3年生の時の先生から教えてもらった。改めて先生に感謝した。不登校だけど、もう彼は大丈夫。先生、ありがとう!

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