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不登校のステージが変わった瞬間

ちょうど1年前の今ごろ、子どもにとってつらい気持ちが限界だった。
帰宅すると、玄関でうずくまっていて動かない。麦茶を持ってきて、少し飲んだら?と声をかけていた。そんな頃。

限界まで頑張った

そこから、9月の中旬の運動会まで、なんとか頑張って、できるかぎりの力を出し切るんだと言い、学校へ行くことを頑張った。運動会の当日に見に行って、誰の助けも借りずに、一人で全力で頑張っている姿に涙が出て、心から感動したのを覚えている。「よく頑張った!」と心の中でさけんだ。

学校の先生は、その私を呼び止め「~してくれない」「言ったんですけどね」「こだわりが強いですよね」などと、我が子への愚痴を言っていた。私は、こんなに感動している時くらい、言わないでほしいと思いながら「そうなんですね」と聞き続けた。

学校から離れた

運動会の帰り道、校舎の前を通り、校庭や教室などを見渡して、「もうここには来ないかもしれない」と感じた。

それからは、完全に不登校。部屋の引きこもった。パソコンでYoutubeを見る毎日。「外に行く?」と誘うと「行かない」という。地域の人に会うのを嫌がった。小学生にも会いたくない。家族としか話さなかった。

とにかく、心が安全な場所が必要だった。相談できる窓口も人もいない。家にいることが一番安全だった。電話や訪問もお断りした。時々、同級生がプリントを持ってきてくれるけれど、子どもにとっては心の負担になった。

親としては、何も言わず、やりたいことをやっていいよと伝えた。見える範囲に学校関係のものがないようにダンボールに入れて片付けた。

そこから1年

農家さんのお手伝いで外へ出たことがきっかけで、少し目を合わせて会話ができるようになり、地域を出て2人で旅に出ることができた。知らない地域の人と話すことが面白いと思うようになった。でも、まだ自分に自信がなかった。

オンライン教室に参加したり、オンライン・スクールに参加したことで、学校とは関係のない子どもたちと出会い、会話ができるようになり、一緒にスクールが運営するサーバーで遊ぶようになった。

マインクラフトで一緒に建築をしたり、ジェットコースターを作ってお互いの作品を乗って楽しんだ。毎日笑うようになり、時には言い合いをしながらも、仲直りして、友情を深めていった。

そのうち、趣味や考え方が合う友人が見つかり、2人で様々な企画や相談をするようになった。

親のほうは、通学している児童の保護者や学校とは、意見が合わず、お互いに理解しあえない状況は続いた。教育委員会は不登校に関連する法律さえ知らない。登校圧力や、電話での会話を強いてくる。子どもの状態を最優先に考え、今は話せないことを伝え続けた。


オンライン・スクールに参加して、沢山の子どもと会話をしていく中で
学校に行かなくても大丈夫なんだと思えるようになった。
どんなふうに変わったかというと、

・子どもは、第三の居場所をバーチャル空間に見出した。
・オンラインスクールで趣味の合う友達ができた。
・オンラインで会話をしながら話すことが上手になった。
・安全なサーバーでみんなでゲームをすることで笑顔を取り戻した。
・考えることが好きな子と友達になり、募集企画に応募する挑戦をした。
・オンラインの友達の親同士が仲良くなり、会いに行った。
・最初は緊張したけれど、顔を合わせて遊ぶことができた。
・一緒に修学旅行を計画して旅行に行くようになった。
・地域の小学生と挨拶をするくらいまでにはなれた。
・外を歩いて小学生に会っても気にならなくなった。

ここまで、心の状態が安定してきたので、学校と話す機会があれば、電話で話すくらいはできるのではと思えるようになった。子どもの中では、学校へは行く気持ちは芽生えない。「表面上だけのつきあいをしたくない」から。

本当の友情とは

誰かがいじられても、いじめられても、悪口を言われてても、みんな見て見ぬふり。誰かがひいきされてて、みんなが平等ではない。放課後に仲良く遊んでも、学校では知らないふり。頑張ってやっていった自由研究をばかにされる。ディスカッションする授業で意見を言おうとすると、生意気と言われる。だれかを嫌いと言うまでしつこく聞かれる。でも先生は、みんなうまくやっていると言う。

友達って何なのか?どうゆうものがやさしさなのか?なぜ学級では平等でないのか?お互いのアイデアをなぜ受け入れられないのか?どうして先生は気が付かないのか?子どもは、この表面上の関係が耐えられない。

オンライン・スクールで出会った友達とは、正直な気持ちを伝え合うことができる関係が築けている。楽しい時、つまらない時、いらいらしている時、悩みがある時、いろいろな会話を通して励まし合い、助け合い、笑い合うことができている。これが本当の友情だと感じることができた。

オンラインの力

地域では、「オンライン上の友達でしょ」と可愛そうという言い方をされる。これは、不特定多数が集う無料サーバーのオンラインの友達は、どこの誰だか知らない人でしょ。それを友達というの?という意味。

子どもの友達は、オンラインのゲームをするだけではなく、会社が運営するオンライン・スクールに申し込んで参加している子どもだから、普段の授業でも話をするし、オフ会で実際に会って話をすることもある。放課後の会話では、悩みを打ち明けたりするくらい本心で会話をしている。どこの誰かは、個別面談をしている会社が知っている。子ども同士で個人情報を知らないだけ。

逆を言うと、オンラインで表面上の付き合いをする人は、付き合わなくなるシビアさがある。オンラインという環境は付き合いをなくすことが簡単にできてしまう。だから、気が合う人や、話をして楽しかったという人とは、どこかでまた会って話をする機会があり、その過程を経て友達になっていく。

今まで出会って、一度しか話をしたことがない人やスクールを辞めてしまって会話をしなくなった人もたくさんいた。でも、新しい出会いが多いために、数人の友人ができた。

新たなステージへ進んでいる

友達ができて、今の自分でいいんだという自信がついてきた。外出もできるようになり、他の地域の友達が遊びに来てくれたりした。

今いる地域でうまくやっていけなくても大丈夫という確信が持てたようだった。うまくいかない同級生がいても、うまくいく人が世界のどこかにいる。オンラインスクールという場が第三の居場所となり、自分と合う人と出会うことができた。

今の心境を聞いてみると、

「ぼくみたいにつらい思いをした子はたくさんいるはず。
 以前のぼくみたいな人がいたら、声をかけたいし、
 一緒にマイクラで遊んだり、やり方を説明したりしたい。」

「オンライン・スクールに行くことができない人もいるかもしれない。
 だから、友達が企画している誰でも参加ができるマイクラを運営する
 サーバーを一緒につくって、楽しく遊びたい。」

「パソコンの使い方を知らない人がいたら、できるように手伝えると思う。
 実現へむけて、頑張っていきたい。」

とのことだった。次のステージへ進んでいて嬉しかった。

番外編

学習は、子どもに合う問題集を一緒になっている。それも軌道に乗ってきた。基本的に、数学・社会・英語をやっている。そこから国語と理科へ学びがつながっている。

特に英語は、会話の中でも出てくるまでになった。
学習方法を聞いてみると、今まではPythonなどプログラミングをしている中で覚えていったけれど、実は、先に英語を覚えてからのほうがプログラミングはやりやすいことがわかったということで、外国のYou Tubeを見て発音やフレーズを覚えて、好きな文章を翻訳ソフトにかけながら、文法のルールを理解しているというやり方だった。親は思いつかない方法だなと思った。