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ベンゾジアゼピンの離脱症状_07_視覚に関連する症状_視覚過敏・視覚情報の処理の障害など

(この記事の内容は、私の知識と経験に基づく個人的な考察と症状の記録であり、何らかの実験・研究・論文等に基づくものではありません。ベンゾジアゼピンの離脱症状を理解するための参考としてご覧いただけましたら幸いです。)

人間は眼に入った光のエネルギーを網膜で電気信号に変換し、脳に伝えることで物を見ています。
脳では複数の神経細胞が分担してこの電気信号を分析し、何が見えているのかを認識し、それに対するリアクションを起こすための指令を体に送ります。
視覚情報には、物の形・色・動き・奥行など多彩な情報が含まれており、見るべきものを集中して見る必要もあるため、脳ではこの視覚情報を分析して認識するために、非常に複雑で繊細な神経細胞の活動と連携が行われます。
ベンゾジアゼピンの内服や離脱に伴ってGABAによる神経の活動の調節に支障が生じると、視覚に関わるこれらの神経細胞の働きがスムーズに行われなくなり、視覚に関する様々な症状が出現することになります。

私には下記のような視覚に関連する症状が起こり、結果として、眼で物を見る事、読み書きをする事などに支障が生じ、現在も生活に大きな影響を及ぼしています。

今回この記事を書くために少しインターネットで検索をしていたところ、最近は眼科領域で、ベンゾジアゼピンの内服に伴う視覚関連の症状を「ベンゾジアゼピン眼症」といったような概念として確立しようという動きもあるようです。こういった研究や認識が広まっていくといいなと思います。


視覚過敏・視覚刺激による自律神経発作

私は、下記のような多様な視覚的な刺激によって自律神経発作(ベンゾジアゼピン性自律神経発作・パニック発作様の発作)が生じる状態が続いています。

初めに述べたように、視覚情報は、目に入ってきた光を神経の電気的な活動に変換して脳に伝え、その信号を、視覚を司る脳の神経細胞が認識し、さらにその認識に対して様々な神経が働くことで体がリアクションを取るという経路をたどりますが、GABAによる神経細胞の活動の調節が機能しなくなることによって、この視覚の経路を司っている神経の活動が、様々な部位で適切に制御できなくなった結果として生じていると考えています。

1.光

まず、光自体がとても強い刺激に感じられて苦痛が生じますし、光を見ることで自律神経発作が生じます。

具体的には、暗い家の中から急に明るい外に出た時、太陽を直接見た時、窓や自動車などに反射する光、テレビで流れる演出用のライトやフラッシュの光、救急車やパトカーなどの光で発作が起こることが多いです。

視覚過敏がひどかった頃は、窓から差し込む光、パソコン・スマホ・テレビ自体が発する光、蛍光灯の光など、あらゆる光で自律神経発作が生じていました。
聴覚過敏も同時にあるので、テレビのように光と音が同時に出るものは、さながら光と音の拷問のようでした。

ずっと暗闇の状態では生活できないので、家族にサングラスを買ってきてもらいました。
ただ、サングラスを寝た状態でかけようとすると、真上を向いている必要があるのが困りました。視覚過敏が強い時期は他の症状も強く出ていたので体を起こしていられる時間がとても短かかったのですが、全身の症状が辛くてじっと上を向いて寝ていることもできなかったため、サングラスをかけていることが難しく、部屋を真っ暗にして過ごすしかありませんでした。
また、私は目が悪いので日常的にメガネをかけているのですが、メガネの上に重ねて使うサングラスは、重みが有ったり視界のゆがみが出て気分が悪くなってしまったので、度入りのサングラスでないと使うことができませんでした。

単純に明るい光に反応するというだけではなく、明暗の急激な変化でも発作が起こります。
例えば、晴れの日に、外から家の中に入った時のような急に暗くなる変化でも自律神経発作が起こることがしばしばありました。

現在は、サングラスをかけて生活する必要は無くなりましたが、今も強い光を見たり、テレビの演出で使われるライトの光、記者会見のフラッシュの光などを見ると自律神経発作が起こることがあります。

2.人工的・幾何学的なパターン

次に、人工的・幾何学的なパターンが繰り返される模様を見るとめまいがしたり、自律神経発作が生じたりします。
特に、色のコントラストが強い模様が苦手です。

例えば、白い紙の上に格子状に黒い線が交わって並んでいる物を見ると発作が起こります。このため、表や枠のある書類などを見ることができません。
また、幾何学模様などの壁紙が張られた部屋にいる事はできませんし、ボーダー、ストライプ、チェック、ドットなど同じパターンが繰り返される柄の服を見ると具合が悪くなってしまうため、そういった柄の服を着ている人と面と向かって話す時はなるべく目をそらす必要があります。
訪問看護で来てくださっている方がいつもストライプ柄のシャツを着られていたのですが、線を見ると気分が悪くなることをお話しして、無地のシャツに変更していただいたりもしました。

住所のように漢字がずっと連続してびっしり並んでいるものは直線が密に並んだり交わったりしているため、見ると具合が悪くなりますし、反対にひらがなばかりが続いている文章はずっと曲線が続くので具合が悪くなります。アルファベットも同様です。
また、福祉関係の書類には、全ての漢字にフリガナが付いている事が時々あるのですが、これも発作が起こります。

この人工的・幾何学的なパターンに反応する症状は、色のコントラストが小さかったり、柄の大きさなどによっては起こりにくくなってきていますが、今もかなり残っています。

3.色

色覚の過敏性もあり、真っ黒な色や、紺・ダークグレーなど黒に近い色、赤・黄・緑・青のような原色の色を見ると、強い衝撃のような感覚があり、具合が悪くなります。
また、色とりどりの物が一度にたくさん目に入る場所では、色だけで自律神経発作が起こります。

光の強さによって症状が起こるのであれば光を反射する白で具合が悪くなり、光を吸収する黒が大丈夫なはずですが、実際には逆の反応が起こりますので、単純に光の強さに反応しているというわけではないようです。

逆に見ていて楽に感じられるのは、アースカラーと呼ばれるような、自然の中にあるようなくすみのかかった色合いで、中でも一番刺激が少ないのはベージュ系の色です。
ですので、可能な範囲で、身の回りの物を少しずつそういった色へ変更し、視覚の負担を減らしていきました。

今は、ニュアンスカラー、パステルカラーと呼ばれるような色も比較的見やすく感じるようになってきました。カラフルな色も、まだ、ずっと見ていたり、たくさん同時に目に入ると発作が起こりますが、少し身に着けたりする分には大丈夫になってきました。

この色に対する反応は、人工的な色と、自然な色とでまったく違っていて、ここまで書いたのは人工物の色の話です。
とても体調が悪くて何を見ても発作が起こるような時期は別ですが、少し物が見られるようになると、人工的な色と自然の色との差が歴然としてきます。
花柄模様の製品を見て発作が起こるのに、花壇に咲き乱れる花を見ると綺麗だと感じます。
自然の中にある色は、ランダムで絶妙なグラデーション・パターン・配置などがあって、脳の過剰な神経活動をむしろ抑える効果があるのではないかと感じます。
このため、私は記事の冒頭に花や自然の風景の写真など、かなり色鮮やかな写真を貼り付けてしまっているのですが、もし自然の色でも具合が悪くなる方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。

4.動き

視覚で動きをとらえる事によっても自律神経発作やめまいが起こります。

急に見る方向を変えたり、遠くを見ていて急に近くを見るなどの動作をすると自律神経発作が起こるので、例えば、体調の悪い時は、道路を渡る時に左右を見ることができません。

自分自身の視線の移動だけではなく、見ている対象の動きでも自律神経発作が起こります。
例えば、スマホのスクロールや、テレビ番組の演出のための激しいカメラワーク、ドローンの映像、文字が右から左に流れるように表示される画面などを見ると発作が起こります。

以上、視覚過敏・視覚刺激による自律神経発作について書いてきましたが、私が苦手な光や柄は、一部のてんかんの人の発作の誘発因子にもなるそうです。
てんかんとベンゾジアゼピン離脱症候群には様々に異なる点があるはと思いますが、てんかんも脳の神経の異常な興奮が原因になっているとされていますので、脳の神経の興奮を抑えるGABAの機能が低下しているベンゾジアゼピンの離脱症状と類似の現象が起こるのかもしれません。
ベンゾジアゼピンは抗てんかん薬としても使用されるお薬であることを考えると、ベンゾジアゼピンの離脱とてんかんに類似点があるのも頷けます。


眼をスムーズに動かすことができない・眼の焦点が合わせられない

体調が悪い時には、何かを見ようとしても、見たい部分に視線や焦点を合わせることができなくなります。
無理に合わせようとすると自律神経発作が起こってしまうので、見ることを諦める以外にありません。

眼球は前後左右様々な方向に細かく動かすことができ、健康な人であれば、特に意識しなくても見たいものにちょうど視線が合うようにする事ができます。
これは眼球に6本の筋肉が付着していて、それぞれの筋肉の収縮が神経によって適切に調節されることで自由自在に眼球の向きを変えられる事によって実現しています。
また、眼にはカメラのレンズのような働きをする水晶体という部位があり、この水晶体には毛様体筋という筋肉が付着しています。
近くや遠くを見ようとした時は、その指令が神経を伝わって毛様体筋を動かし、水晶体の厚みを変化させることで、見たい場所にピントを合わせます。

私の視線や焦点が合わせられない症状は、ベンゾジアゼピンによって神経の活動に支障が生じたことで、この眼球の方向や水晶体の厚みのスムーズな調節ができなくなったために起こっていると考えています。

視覚情報の取捨選択ができない

人間の視覚に備わっている機能の一つとして、見たい物に集中できるという機能があります。
例えばスーパーのチラシのように、たくさんの画像や文字がびっしりと並んでいるのを見ても、目的の物を見つけて、その部分に集中し、値段などを確認できるような機能です。
これは、目に入った情報を目的に合わせて脳の神経細胞が処理することによって成立しています。
ベンゾジアゼピンによって神経細胞の活動の調節が適切にできなくなると、この視覚情報の取捨選択にも影響が出ると考えられます。

このため、私は、見たい物の周囲に別の物があると、周りの物まで全部見えてしまって、見ようとしている物を見る事ができないという症状が出現しました。
無理に必要な物だけを見ようとするとめまいや自律神経発作が起こります。

例えば、私は仕事をしていた頃、やる事リストや予定などを忘れないように付箋に書いてパソコンのモニターの周りに貼っていました。しかし、今そういった事をすると、パソコンを見る時に付箋が視界に入ってしまい、パソコンの画面だけを見ようとすると発作が起こることになります。

また、街中やスーパーマーケットのような場所は、色とりどりの様々な物が一度にたくさん目に入ると同時に、様々な音が一度にたくさん耳に入ってくるために視覚情報・聴覚情報の両方の取捨選択ができなくなり、大きな発作が起こる可能性が高くなります。このような公共の場所は、発作が起こったからといってその場に倒れ込むと危険や迷惑にもなるため、そういった場所に出掛けることは今も不可能です。

また、文章は、当然ながら横にも上にも下にも文字が有るので、自分が今読んでいる文字をだけを見ることが難しく、体調の悪い時は文章がまったく読めなくなります。
このブログは、真っ白なwordの画面に、自分が見やすいような倍率に拡大して書いているので、体調の良い時は読み書きできます。
同じ文章でも、画面に線が入っていたり、他の情報も同時に表示されていると読むことができなくなります。
このブログの媒体にnoteを選んだのは、画面がシンプルで、私の眼でも読み書きがしやすく、読者の方に視覚の症状が出ていても比較的読み安いのではないかと思ったからです。

この症状の程度は変動がありますが、今も上記のようなチラシや、広告がたくさん貼られているブログなどを見ることができない時間は毎日あります。

聞くところによると、自閉症の人で、視覚情報が過多に入ると、その取捨選択ができずに気分が悪くなってしまって日常生活に支障の出る方がいらっしゃるそうです。
視覚情報の処理において、ベンゾジアゼピンの離脱時と自閉症に何か共通するような状態が生じているのかもしれません。

視覚情報の意味や内容を理解できない

ここまで述べたような症状から、文章を読み書きしたり、枠や表を見る事が難しくなりますが、ここでさらに、たとえ視覚情報を「見る」ことできたとしても、その意味や内容が「理解」できないという症状が加わります。

初めにも書いたように、視覚情報は脳内で多数の神経細胞によって処理され、非常に複雑な段階を経て最終的に意味のある情報として理解されます。
ベンゾジアゼピンの影響でこの視覚情報の処理の過程に不具合が生じると、例えば「何かを見ている」という所まで処理が進んでも、その先の、それが「何を意味しているのか」まで進めないなどといった事が起こり得ます。

例えば、目に映っているものが日本語であるということは分かるけれど、文章が何を表しているのかが分からない。
また、「あ」という文字が「あ」と発音され、「お」という文字が「お」と発音されることは分かるけれど、「あお」と書かれていた場合に、それが「青」という色を表す単語であるということが認識できない。
体調が悪い時の私の脳ではこういった現象がしばしば起こります。

書類の読み書きができない・文章で書かれた情報を得ることができない

ここまで書いてきた様々な症状の結果として最も困るのは、重要な書類の読み書きができないことです。

様々な手続き上の書類などは、多くが表のようになっていたり、記入する欄に枠が設けられていたりします。
また、よく考えて理解しなければならない文章や、精神的に緊張する場面では、この緊張による脳への負荷が視覚による負荷と同時にかかるため、書類の内容が理解できないという症状が悪化しますし、大きな自律神経発作も起こりやすくなります。
大事な書類ほど難しい文章で書かれていて、かつ、よく理解したり丁寧に書く必要性を感じるため、輪をかけて読み書きが難しくなります。

現在は、福祉や医療に関する書類などは、支援相談員さんにお願いして代筆していただいていています(必ずしてもらえるという事ではありませんので、希望される場合は個別に相談されることをおすすめします。)。その他の書類は家族に代筆してもらっています。
また、今のところ、聴覚情報の方が視覚情報よりも理解しやすい時が多いので、どうしても読まなければならない書類などは、人に頼んで音読してもらうこともあります。

自分で読み書きできる時には気付かなかったのですが、人が生活していく上で、様々な契約など、書類を読み書きする場面は思った以上にたくさんあります。
私のように仕事などがまったくできない者でも、自分で住所や名前を書かなければならない場面、確認しなければならない書類などがいくつもあって、生きていくために必要不可欠だったりします。
それらを処理する能力が障害されている状態というのは、他人に代行してもらうことのできない契約や金銭管理などの行為が自分でできなくなるため、生きていく上で大きな支障となります。

また、これらの視覚に関連する症状によって文章で書かれた情報を得られなくなった事が、ベンゾジアゼピンの副作用や減薬について理解する際にとても大きな障壁となりました。
私が減薬を始めた頃、医療現場においてベンゾジアゼピンは基本的に副作用の無いお薬であり一気断薬するものであると認識されており、少なくとも私は、ベンゾジアゼピンの離脱症状や減薬の仕方を医療関係者の方から積極的に教えて頂けるような環境にはありませんでした。
このため、自分で自分の病気や減薬方法について調べなければならない状況が生じたのですが、パソコン・スマホ・本が見られない、読めない、理解できないという状態に陥りました。
私の場合は幸いにも協力してくれる人達がいましたので、人にブログなどを読んでもらって分かりやすく教えてもらうようなこともでき、なんとか減薬方法を確立することができましたが、自分に何が起こっているのか、解決するにはどうしたらよいのかといった情報を得ることに大きな支障が生じる状況を経験することとなりました。

眼底出血

ここまで書いた事と話はそれるのですが、私は減薬中に眼底出血を発症しました。
これは、ベンゾジアゼピンによって起こる視覚に関する神経の不具合と直接関係するものではないのですが、自律神経の障害などで血圧を一定に保つ働きに異常がある事などが関連している可能性は否定できないと思いましたので、ここに記録しておきたいと思います。


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