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頑張りどころを履き違えないために

私はこのnoteで
常々書いていることが1つあります。


それは
ストレスは執着から生まれている
ということです。

〜すべき
〜でなければいけない

という〝べき思考〟が
自分自身にストレスを与え
メンタルを病む根源になっていると
以前から私は言ってたりします。

これは紛れもない事実だと思います。


一方で

クオリティの高い作品を作らなければいけない
世の中に役立つサービスを生み出さなきゃいけない
人のためになる発信をし続けなければいけない

などの〝べき思考〟って
ストレスを生み出すかといえば
ストレスフリーでは無いにせよ
仕事において必要な向上心にも
思えますよね。


おそらくこの棲み分けを
ハッキリさせていないと
自分や他人の〝べき思考〟に
ストレスを感じることになるんですよね。

この違いって一体何なんでしょう?


この違いを一言で表すと
執着執念の違いだと思います。

より良い仕事をしようとか
より相手のためになるものを提供しようというのは
執念なんですね。

仕事においても

プレゼンや提案を
自分たちに対して
相手が本気で伝えようとしているのか。

遊びや趣味にしても
SNSやnote、YouTubeなどの発信も

自分の時間や労力を使って
本気で取り組んでいれば
聞き手には必ず伝わります

逆に言えば
このぐらいでいいか
と手を抜いたものに関しては
割とすぐバレますよね。


人間関係も一緒です。

相手が何に関心を持っているのか?
に関心を持ち続けるというのは
案外大変な作業でして
慣れるまで片手間ではできません。

不自然だとしても一生懸命
相手に関心を持ち続ける態度や姿勢
想いが相手に伝わるから
相手があなたに関心を持ってくれるように
なるのです。

それも執念だと思います。

それぐらい本気で向き合い
取り組むことが執念になります。

執念は成し遂げるために必要なものだと思います。


執着は余計なプライド、固執すること
自分の都合によって
生み出されるものだと思います。

相手のためであるとか
誰かのために何かを成し遂げたいであるとか
執着〟はそういう類のものではないと
思います。

執念はギバー、執着はテイカー

一見似ている言葉ではありますし
辞書には〝執念〟も〝執着〟も
中立的な言葉として扱われていたりするので
あくまで私の捉え方ですが

ギバー(与える人)でいるかどうか
そこが大きく違うのだと思います。

仕事や人間関係で
相手や誰かのために本気で取り組む姿は
間違いなくギバーです。

逆に自分の都合で
執着を生んでいるというのは
テイカー(奪う人)と言えると思います。

まとめると
〝べき思考〟も
誰かのためになるのであれば
有用である
という割とシンプルな答えに辿り着きました(笑)

〜すべきだ!
と頑張ってる際には
それが〝誰か〟に矢印が向いているかどうかを
意識すると良いのかもしれませんね😌



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