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Q: ウガンダで最適な広告媒体を述べよ

この記事は Feedforce Group Advent Calendar 2021 の 23 日目の記事です。

初めまして、Rayです。昨日は弊フィードフォースグループ人事のネコヤナギさんが24万円のキャットタワーを購入されたお話でした。猫のために行動できる方に、悪い人はいません。猫好きな方、ぜひフィードフォースへの応募をお待ちしております。

まずは自己紹介から。

アナグラム株式会社でコンサルティング・広告運用をしている、Rayと申します。生まれてから15年ほどはアメリカに滞在していたため、今年で日本が10年目になります。そこそこ日本に溶け込めているのではないか?と密かに思っている一方で、日本語って高コンテクストで本当に難しくて、Ex-patは大変です(これはまた別の機会に話します)。

本日はウガンダでの事例をフックに、僕がアメリカと日本で育つ中で見てきた「広告」の違いについて話していきます。

Q: ウガンダで最適な広告媒体を述べよ

急で申し訳ないですが、あなたはウガンダでビジネススクールを始めることになりました。蒸し暑い中来てもらって、悪いです。

さて、ウガンダでビジネススクールの参加者を募る上で、最適な広告チャネルを教えて下さい。

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(...シンキングタイム...)

...ちゃんと考えましたか?特にこれといった正解はありません、頭の体操がてらちょっと考えてみましょう。

まず、ウガンダの簡単な統計情報を見てみましょう。

・世帯数別ラジオ普及率:65.3%
・世帯数別テレビ普及率:21.8%
・個人のスマホ普及率:16%
・言語数:43

参考:National Information Technology Survey - CIPESA
参考:The State of ICT in Uganda - Research ICT Africa

テレビ、スマホは10世帯 or 10人に2つという普及率。ラジオの普及率だけを見ればラジオ広告が最適に見えますが、43言語が話されている国で単発のラジオ放送の集客が上手くいくとは想像しにくいです。

さて、実はこの質問はウガンダで実際にNPO法人を立ち上げて現地のスタートアップコミュニティで活動している知人に聞かれた質問を、僕が皆さんに投げかけているだけなのですが、そんな彼から返ってきた答えは「アドトラックを走らせるんだよ」でした。

ツイート記載の通り、共通言語が少なくマス向け媒体もないウガンダで広告を打つ最も効果的な手段は、文字のない動画をトラックで放映して街中を走りまくること。

「え?それはそもそも”広告”なのか?」、「"最適"ということはCVRもその後の転換率も加味できてるの?」という質問に関しては..なんというか皆さんの興味を唆るための言葉の綾ですので、あまり深く気になさらないで下さい。

なお、反応率はトラックに取り付けたGoProで行き交う人の視線を計測・分析→トラックを走行させる中で最も反応率の高いエリアを編み出すという、運用型広告でいうちょっとしたターゲティングテストのようなものをやっていたようです。

そもそも「広告」ってなんだっけ?

ちょっと話は変わりますが、僕のいるアナグラムという会社の人は、本当に広告が大好きです。特に運用型広告については変態的なまでにアップデート情報を追ったり、媒体の設定をある意味”ハック”の領域にまで持っていってCPAを下げるための施策を考えたりと、ちょっともう凄いとしか言いようのない方ばかりです。

そんな広告マニアばっかりと接しながら、昨年末にウガンダの起業家とアドトラックについて話していて僕が思ったことは、「そもそも"広告"ってなんだっけ?」という問いでした。

広告(こうこく、英: advertising)は、非人的メッセージの中に明示された広告主が所定の人々を対象にし、広告目的を達成するために行う商品・サービスさらにはアイデア(考え方、方針、意見などを意味する)についての社会的な情報伝播活動であり、その情報は広告主の管理可能な広告媒体を通じて広範に社会に流されるものである。

参考:Wikipedia

個人的には、「他者への認識を通して意図した反応を促す(少なくとも現時点では視覚的・聴覚的な)コミュニケーション全般」という風にとらえています。「現時点では~」と書いたのは、五感をハックする技術がより発達できれば、将来的にそれが味でも感触でもいいと思っているからです。

日本とアメリカにおける「広告」の違い

さて、ここから本題です。日米という全く異なる国に住んでた自分からすると、面白いくらいに日本とアメリカの広告、というか広告に対する認識って違うんです。ウガンダのようにトラックを走らせることはないですが、同じ”テレビCM”というチャネル一つでさえ放送内容も異なれば、放送内容に関する業界内のルールも違う。

例として、比較広告。

2本のコーラを購入して、それを足場にペプシを購入する少年の動画。ペプシVSコーラの二項対立は有名ですが、日本でこれほどまでに露骨な比較(挑戦)広告は、ちょっと放映できないんじゃないでしょうか。

次に、プロモーション内容の違い。

参考:Ad Arch

同じBRAVIA 4KのCMでも、美しさを表現する上で人物を起用するか、無数の花びらの舞う姿を流すかで異なります。なぜ、ブランドを訴求する上でアメリカで美しいモデルを起用したり、日本で美しい風景を流すことにはしなかったのでしょうか?(例外はいくつかありますが、日米の広告を比較すると上記の傾向はあるような気がしてなりません。特にセレブレティ広告は日本の方が圧倒的に多いです)。

「広告」を知ると、歴史・文化が見えてくる

「そういう文化だから」、「お国柄だから」といえばそれまでなのですが、もうちょっと見ていくと面白いことが分かります。

まず、比較広告について。大統領選で互いのネガキャンが認められるくらいのアメリカですから、ペプシCMに限らずライバルをディスる広告は結構多い印象です。なぜでしょう?

まず、広告代理店とは何を”代理”するのか。「当然クライアントのマーケティング活動だ」という答えが返ってきそうですが、実は日本の場合広告代理店とはメディア(媒体側)の代理人であることが多かったのです。

日本の場合、広告代理店は歴史的にはメディアの代理店でした。例えば、電通は最大手ですがもともとはニュース配信会社で新聞社にニュースを売っていました。新聞社はお金の代わりに広告スペースを提供していたのが、電通という広告会社のはじまりで、いってみればメディアブローカーです...(中略)。広告主の宣伝部が独立した感じがアメリカの代理店であるのに対して、日本は概ねメディアのブローカーです。

参考:出頭則行

それに対して、アメリカは「クライアント」の代理人。一業種一社制という縛りがあることで、比較広告というものが成立するということがわかりますね。

このためアメリカ(および日本を除く先進国各国)の広告代理店には「一業種一社」という原則があります。クライアントの代理人であるならば、クライアントの競合になる可能性のある同業種のライバル企業の広告を扱えるはずがないからです。 これに対し「メディア側の代理人」というスタンスを取るのであれば、むしろ一業種一社というルールは社会的公平性を欠くことにもなり兼ねません。日本の大手広告代理店の多くが一業種複数を扱うのはこのようなスタンスの違いが生んだ慣習であると思われます。

参考:ムサシノ広告社

業界の構造、もっといえば業界誕生時点でのビジネスモデルやそれによって生まれる力学次第で比較広告についてのルールが分かれるって、おもしろい。

次に、プロモーションの違いについて。

「日本人はブランドが好きだ」ということは誰しもが聞いたことがあると思います。個人的には議論の余地があると思っており、「日本人がブランドが好き」なのではなく、「(比較的)近い価値観を持った(比較的)似た人種が、(比較的)同じメディアに触れている」ということが真理なのではと考えます(格差の有無、人種の定義等については本論とズレるため一旦触れません)。日本のスマホ市場におけるiPhone比率が外国と比べて異常に高い、というのは偶然ではないと思っています。

混沌とした「サラダボウル」とも言われる多民族国家のアメリカに対して、人種の9割以上が日本人であるというのが日本になります。当然、視聴環境の前提条件において共通点が多いのは後者であるため、一つの記号(この場合CM=北川景子)に対して示される反応も多様ではあるものの、方向性自体はある程度定まっているのではないかと考えます。

「北川景子はやっぱりキレイだよね」

10人中6人でもそう思ってくれれば、美の象徴として北川景子をBRAVIA 4KのCMに起用することは成功と言えるのではないでしょうか。

対して、アメリカであれば美の基準はかなり多様性に富んでいます(良い・悪いという話ではありません)。逆にここで北川景子を美の象徴として放映すると、

「私はアジア人ではないし、そもそも私たちの人種グループが上手くrepresentation(表象)されていない」
「そもそも私は美しいと全く思わない」

「むしろポリコレ的な理由でこのアジア人モデルが起用されたのでは?」という憶測も生まれそうですが、これらはソニーが望んだ反応にはならないでしょう。BRAVIA 4Kに限った話でいえば、特定の人物を起用するよりは「花びら」という恐らく人類共通の美的感覚に頼った方がアメリカ人からはポジティブな反応を得られそうです。

最適なコミュニケーションは何か?を問い続ける

そろそろまとめに入ります。僕が伝えたいのは、「広告って面白いよね」ということだけではなくて、あくまでもそれを一つの手段として捉えながら「対象となる集団に対して最適なコミュニケーションは何か?を問い続けたい」ということです。

極端な話、葬儀屋さんのクライアントがいるとしたら、検索結果で上位表示を狙って何千円ものクリック単価をかけるような熾烈な戦いを繰り広げるよりも、マグネット広告を@50円でポスティングして1%の世帯で冷蔵庫に貼ってもらった方がユーザーに想起→コンバージョンしてもらいやすいですよね。

弊社のマネージャーも「このお客さんだったら本を出版したほうがいいよね」という運用型広告の代理店とは思えないファンキーな発言をする方もいたりします(余談ですが、それら運用型広告以外の手段をクライアントのために正直に提案できるアナグラムという運用型広告の代理店が、ちょっぴり好きだったりします)。

運用型広告はあくまでも一つの手段に過ぎないし、もっといえば広告自体も一つの手段に過ぎない。PRだっていいし、ポップでも、書籍だっていい。「他者への認識を通して意図した反応を促すコミュニケーション全般」ということを意識すれば、”ウガンダでアドトラックを走らせる”というちょっとおもしろい発想ももうちょっと生まれやすくなりそうだな、と自戒の念も込めて本記事を書きました。

明日24日は、弊社で大活躍の西尾さんが「オタク新卒が生き残るためにやったこと」を書いてくれるそうです。読んでいただけた方は素敵なクリスマス・イブを過ごせること間違いなしです。皆さんお楽しみに!

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