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目盛りの細かさについて。
「友達」という概念がいまいち分からない。
という話が発端。
同級生なら同級生。
職場の同僚なら同僚。
一緒に舞台をつくるひとは、一緒に舞台をつくるひと。
同じ劇団が好きで一緒に観に行くひとは、そういう、ひと。
どの人も大事なひとで、
たしかに繋がっていて、
私を形づくるひとだけれど、
「友達」かと言われると、そういうことではない。
決して薄情なつもりはなく、
気づいたのは、目盛りが細かいのだということ。
きっと私の言う彼や彼女を総括して、
「友達」と言うのだ。
挨拶を交わしたひとは「友達」
タメ口で話せる人は「友達」
涙を見せ合ったひとは「友達」
過ちを叱ってくれる人は「友達」
皆各々に「友達」の位置づけもあって。
誰もが知っている共通言語のようでいて、誰とも分かり会えない寂しさ。あるいは尊さ。
私は、どこまでも相手と私の一対一でありたい。
どれだけ親しくなっても、「友達」にも「親友」にも分類も昇格もしない、相手と私だけの、まだこの世に名前の存在しない関係性。
緑を、
黄緑だと言うひとがいて、
青と黄色だと言うひとがいて、
「あお」と読むひともいて、
だんだんと、緑がゲシュタルト崩壊をおこしてきて。
その重なったり重ならなかったりする概念の「あそび」が、人間らしくてとても好きだ、という結論に至った。
「友達」、いません。。。
、、、、広義にも、、あれ、、、あまり。。
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絵をたくさん描いています。以前はどちらかというとデトックス的な意味合いが強くて、紙に吐き出すように描いていましたが、いつの間にか前向きな温かな絵を描くようになりました。柄にもなくインスタにも挑戦しています。(@rayiwayama)
昨日手に入れたギターを持ってカラオケにも行きました。ギターそっちのけで「川の流れのように」と「メロディー」ばっかり歌ってました。ちょっと昔の曲が好きです。そんなことより秋元康さんが作ってたことに驚愕。生きてる人が作った曲だとは。。。おやすみなさい。
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