見出し画像

頭打ちの成長、牢獄のモラトリアム


無邪気さという凶器

ああ。自分の存在が恥ずかしい。恥ずかしくて堪らない。
恥、恥、恥、恥だ。恥、だ。


思ったことを口に出さないというのは、難しいことだなあ。

無邪気さ故に、幼さ故に、無知であるが故に、私は人を傷つける。
そのくせ、自分が傷つけられたことばかりを泣き喚くような、愚かで弱い奴なんだ。



思ったことをそのまま言ってしまうというのは、逃げで、他人への甘えなんだと思う。

私は数年前、相互の人々に甘えて、言いたい放題言ってきた。
そして嫌われてきたし、嫌われなくても煙たがられたり戸惑わせて、これでもかと周囲を疲れさせてきた。

それでいて被害者ヅラで、「嫌われちゃう私可哀想」なんて態度をとってきた。


自分が痛い人間であるのはよくわかっている。
わかっているけれど、自分の欠点と向き合うたびに心が折れそうになる。
ストイックに努力することで、自分の至らない部分と向き合うことから目を逸らして逃げてきた。



成長を止めた肉体、置いてけぼりの精神

自分は、まだまるで子どもだ。

年齢は成人している。でも精神は、社会的経済的にには独立した経験がほぼなく、なんら保護下の子どもと変わらない。

歪な環境と生育歴。

ところどころ抜け落ちた階段を登ってきた。
愛着障害、不安障害、対人恐怖。ひきこもり、機能不全家族、不仲両親、ネグレクト。不登校、教育格差、施設育ち、社会の底辺。


自分ひとりで完結してきた世界。
自分の都合だけ考えて、事足りていた世界。
不都合になったら、機嫌を損ねて退散すれば解決したと解釈できた世界。


取り残された心は、まるで小さい鉢に入れられたままの観葉植物みたいに、成長を妨げられてしまっている。

伸びようとした根っこは、その成長にそぐわない小さな鉢の側面にぶつかり、自らの根に絡まりがんじがらめになっていく。


人生8割が恥ずかしい、故に存在も恥ずかしい

他人と関わってこなかったというのは、物凄く大きな損失だったろう。

保育園児だった5歳には既に重度のひきこもりだった。
母に連れられてスーパーに出かける以外、私はほとんど外に出ることはなく、頭の中を覗き込んで過ごした。

冷たい空気で満たされた部屋、暗闇にぽっかり映るテレビ。アンパンマンのVHSに、内容の理解できない学習教材の並ぶ本棚。
問いかけて返ってくるのは、壁からの反響と、友だちのふりをして返事をする自分の声のない返事だけだ。


母は記憶の中ではだいたい寝たきりで、神経質で脆い人だった。
ゆえに私を保育園に送り届けるどころか規則正しい生活もままならず、私の心身はその頃からボロボロだった。
悪徳宗教のおじさんにお金を渡す光景を、私はいつも真横で眺めていた。

夜に帰ってくる父は、母と視線を合わせず、お互いに存在しないように振る舞った。

家の中は、常に緊張が走っていた。
変に発言すればヒステリックな母に叩かれるか、父にギロッと鋭い目で睨まれるので、いつも空気を読んで行動しなければいけなかった。

いつも、何が正解で、自分の何が悪くてそんな場所にいるのか考えていた。
ずっとずっと、答えの出ない迷路を彷徨っていた。


他人との距離感がおかしい理由

幾らかあと、施設に入った。
学校から不登校で連絡が行って、児童相談所にも連絡が行って、たぶん何らかの指導があったんじゃないかなと思う。

その後施設で10年ぐらい過ごしたけど、本当にマナーとか一般常識は身に付かなかった。
社会から隔絶されすぎてたから。

でも、沢山の家族と毎日一緒にいたような感覚だった。
だからこそ、他人と家族みたいな近すぎる距離感で、馬鹿正直なことをズケズケと口走ってしまうのかもしれない。



そういえば、本当は飛び降りようなんて思ってもいないのに、スタッフに心配して欲しくて2階から飛び降りようとしてみせた事があった。

自分は真面目でおとなしい、NARUTOでいうヒナタちゃんのような少女だった。
だから、手のかかるわがままな子に比べて、大人から気にかけられている、愛されている、と感じられる機会が欲しかったのだと思う。

いまも、結局誰かに愛されたくて創作活動をしているに過ぎないのだ。


自分の意志でここに留まっている

脆すぎる心を守るために、社会に出ないという形で、私はいまの環境に甘んじている。

もはや芯から脆すぎて、自分の力では生きていけず、かといって、社会のために貢献する力も無い。
肉体も脆弱で、生きていることそのもののハードルが高い。毎日溺れかけている。

弱いモノを見捨てない社会って、優しいけどなんて残酷なんだろう。
今日も終わりのないモラトリアムを、私は生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?